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二年前 終われなかった話10

 予定時間より十分ほど早く着いたが、国府津咲夜はすでに待ち合わせ場所に立っていた。

 場所は国府津専用の病室(と城野は推測している)の前。これから夜弦と話をするのだから待ち合わせとしては当然の場所であるが、このなんとも無機質な通路には慣れない。排他されるようなそんな感覚を覚えてしまうのだ。

 わずかに緊張をしながら、城野は咲夜に声をかけようとした。


「なんですかその澱んだ沼のような顔は。これから新入社員を迎え入れるのですよ、少しは明るい顔をしたらどうです」

「ここが病院でよかったな。怪我をしても治療してもらえるんだからな?」

「あら、私があなたに劣るとでも? 人を見た目で判断してはいけませんよ」

「まあまあ、ふたりとも、喧嘩しに来たわけじゃないんだから…」


 咲夜はだいぶストレスが溜まっているようだった。これまで見たどの顔色よりも一番悪い。クマもくっきりと存在を主張しているし、ただでさえハイライトの少ない目からは光が消えている。


「相当お疲れのようだな。身体を労われよ」

「まったくです。どこかの誰かさんがどこぞの組織を壊滅させたりしなければこんなに後始末で数か月走りまわることもなかったでしょうね」

「俺のせいじゃねえし…」

「あなたも関わっているでしょう。…まあ、いいです。ひと段落付きましたから」


 咲夜は言いながら生体認証とパスコード入力をして病室に城野、百子、そして姫香の三人を招いた。

 小さいナースステーションを通り過ぎ、病室――ではなくこれもまた小さな談話室スペースへ彼らは向かう。プライベートなところなので他の患者との交流というよりは、面会客と話すという要素を強く出していた。テレビと、暇つぶし用の本が数冊。そして談話室のほとんどを占領しているテーブルと椅子。

 そのテーブルの一角に座っている青年がいた。

 窓の外をぼんやりと眺めていたが、彼らに気付くとはにかんだ笑みを見せた。


はじめまして・・・・・・。あなたが城野さん、ですか?」

「…はじめまして。そう、俺は城野憲一。こっちが椎名百子で、こいつが妹の姫香」

「お名前だけは咲夜さんから聞いています。僕は…ええと、夜弦、と言う名前しか覚えていなくて。僕、記憶喪失なんですって――すでに聞いていました?」

「ああ。あんたには悪いが、すでにそのことは知っている」


 座りましょう、と咲夜が声をかけた。城野は夜弦の前に腰かける。


「なんだか僕、事故に遭って記憶喪失になったんですってね。リハビリをすれば身体はなんとかなるそうですけど、記憶はどうにも難しいって…」

「戻る。待てば、戻る」


 姫香だった。

 城野、百子、咲夜は驚いて彼女を見るが、それ以上姫香は何も言わなかった。

 夜弦はきょとんとした表情のあとに微笑んだ。どこか救われたような顔で。


「ありがとうございます。…焦っても仕方ないですからね」

「…それで、あんた、いや君…の話なんだが。俺の経営している事務所で働いてもらいたいなって思っているわけだ」


 無理やり本題に推し進めていく。姫香が妙なことを口走り咲夜の疑念を深めたら厄介だ。

 とはいってもあくまで事務所に務めさせたいのは国府津のボスであり、夜弦本人がどうとは全くの未知だ。慎重にならなければならない。

 これでもし「嫌です」と言われた場合どうすればいいのか想像もつかない。


 探るような城野に対しあっけからんと夜弦は言う。


「はい、咲夜さんから提案されました。探偵事務所をされているんですってね。僕、たぶん探偵の経験はないと思うのですが…それでよかったら働かせてもらえませんか」

「いいのかオイ。怪しい場所だから避けたいとかそういうのはないのか」

「だって、わざわざこうして顔を見せに来てくれていますし。悪いひとではなさそうだなって」


なぜか後半の言葉だけは百子の方を向いて話している。

城野はいろいろ突っ込みたかったが、己の顔の悪さは自覚しているので黙っておいた。


「僕がこうして記憶喪失で困っていることを病院の関係者伝手で咲夜さんのところに届いて、城野さんに話が行ったんでしょう? ただでさえ自分のことも分からない面倒な人間なのに、雇ってくれるなんて本当に申し訳ないです」

「…気にするな。人が足りないからこちらも困っていたんだ」


「大丈夫ですよ夜弦さん。所長・・はこう見えてもお人好しで、面倒見がいいですから。ね」


 咲夜がほぼ棒読みで口をはさんでくる。

 城野が咲夜を思わず見ると、彼女は「なにか?」と言わんばかりの死んだ目で見返してきた。


「かくいう私も日頃から所長によくお世話になっています」

「所長?」

「そうだね~。仕事も体力面ではハードかもしれないけど…ちゃんとサポートするよ。任せて」


 城野の率直な疑問に被せるように百子が合わせてきた。


「この四人で探偵をしているんですか?」

「そうです。とはいっても私はまだ日が浅いですが」

「ん?」


 雇った覚えのない女がなんか言っている。再び咲夜を見れば「そうですけど」と死んだ目で見返してきた。確定事項らしい。これもまた、拒否権はないのだろう。この場で言うことで頑固たる事実にしようというあまりに手の汚い攻め方をしてきたのはいただけないが。

 城野は事務所に増やさなければいけない机の個数を考え始めた。

 すでに妹が一人増えたのだ、所員が一人二人増えても誤差の範囲内だ。その誤差はいったいどのくらい広いのか城野自身分からない。

 少し虚ろになってきた城野の前で夜弦が真面目な表情になる。


「ご迷惑をおかけするとは思いますが、がんばって仕事を覚えます」

「…迷惑をかけない人間なんていないし、仕事も覚えるほどない。これからよろしく、夜弦」

「はい! これからよろしくお願いします」


 その屈託ない笑顔が、いつか憎悪で塗りつぶされてしまうのだろうと思うと、城野はひどく恐ろしくて、悲しい気持になった。

 記憶を取り戻す日は、明日か、一週間後か、一年か、十年か。それとも一生こないのか。


 預かった以上、少しでも意味のある時間を青年が過ごせたらと城野は考えて、苦笑した。

 ひどく恨むだろうと分かっているはずなのに。


 終われなかった話の延長戦を、彼らは生きていく。


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