二年前 終われなかった話9
城野が住むアパートの一室。
小さいテーブルをはさんで城野と百子が向かい合っている。置かれたお茶がすっかり冷めても、どちらも手を付ける気になれなかった。
話の内容が内容なのだ。城野は咲夜と話したことをすっかり百子に打ち明けた。
「それで、その…国府津夜弦くんを預かることになったの? 雇うってことなんだよね?」
蒼い顔をした百子は、恐る恐る確認した。
苦虫をかみつぶしたような表情で城野は頷く。
「拒否権は――ないだろ。確か、二つ名が『残酷の国府津』だっけ? 確実に敵に回したら不味い組織じゃねえか」
「そうだね…。一般人のあたしたちがどうこう出来る相手ではないもの」
「『鴨宮』にバレたらどうする。やっぱり、何らかの制裁は来そうか」
「むしろ『国府津』の反感を買いたくないから静観すると思うよ。…でも、バレたらめんどくさい事になりそうだし伏せておこうと思う」
「そうしてくれ」
深いため息をついて城野は横を見た。
いつの間にか城野のそばで姫香が眠っている。最初は関係のある話だからと同席させたが飽きてしまったようだ。
『鬼』の娘である以上、国府津夜弦の記憶が戻ると城野と同程度に命が危ういと分かっているのだろうか。思い返せば死体と血と肉が散らばる空間を平然と裸足で歩いていたところが城野と少女の出会いだったので、麻痺している部分があるのかもしれない。
そうでなかったら「国府津夜弦に会いたい」などと寝ぼけたことを言わないはずだ。そしてその言葉通りにしてしまった城野も、もしかしたらその時寝ぼけていたのだろう。
「…ケンくん、その子は結局何なの?」
「…妹だよ」
「その子は『鬼』となんらかの繋がりがあるんでしょ?」
さすがにそこは分かるか、と城野は特に動揺もしなかった。
百子とて伊達に探偵業をしていない。多くの人間たちを見、対話をし、騙したりごまかしたりしてきた。
それに百子が入社してきてから二人はほぼ毎日会っている。まるでともに生まれ育ったきょうだいのように、互いのクセは熟知しているといっても過言ではない。だから百子は城野が隠し事をしていることをとっくに気づいているはずだ。それを今まで言及してこなかったのは――城野を信用しているから。
「その子の存在によってあなたの命が脅かされるなら――」
「殺すか?」
「殺すよ」
争いごとが嫌いなはずの彼は、はっきりと言い放った。
その声色には虚勢も冗談も含まれていない。重要な決断をした時と同じ固い声音だ。
城野は目を丸くした。
「いま、ここで。もうここでしか殺せないだろうね。情が湧いてしまったら、もう殺せなくなる」
「……百子」
「なに?」
「こいつは、もう俺の家族なんだ。妹なんだよ。どんなに張りぼてでも家族だ」
姫香はどう思っているのか知らない。
飢えもなく、清潔で、安全なセーフティハウスぐらいにしか思っていないかもしれない。
本当のことを知るものが居れば、これは異常だと言い張るだろう。親の仇の組織、そこのボスの娘を妹としてかくまっているなどと。いつ寝首を掻かれるかすら分からないのに。
異常だと分かっていながらも城野は彼女を捨てていくことはしなかった。いや、捨てられなかったのだ。捨て子の自分がそれを許してくれなかった。
「…そっか。もう情が湧いちゃったんだね」
厳しい表情を緩めて百子は言う。
「そういうところあるよねえ、ケンくんって。人を切り捨てられない優しさがあるんだよね」
「けなしているのか…?」
「んーん、大事なことだよ。分かったよ。その子がケンくんの妹なら、あたしもそれに倣う」
冷えたお茶を口にして百子は渋い顔をした。
その様子を見ながら城野は百子にひどく申し訳ない気持になる。
『鬼』を襲撃に行かなければこんなことにはならなかったはずだ。百子を巻き添えにはしたくなくて単身出ていったのに、結果的には巻き込んでしまっている。
「あんたには迷惑ばかりかける。『国府津』のことも…」
「好きであなたに付いていっているんだから。それに言ったでしょ。地獄の底まで一緒にいくよ」
確かに海辺でそんなことを言った。
敵わないなと城野は笑う。対して百子は真面目な顔だ。
「ケンくんがしたいことをしなよ。あたしも一緒に悩むし、一緒に決める。どうしようもなくなったら一緒に死のう。一人にはさせないよ」
「は…男らしいな」
「こうみえてもあたしは男だよ。平気だよ、二人なら。もしまた『鴨宮』に殺されかけそうになったりとか、誘拐されたとか、危ないことになってもあたしたちなら大丈夫」
「――そうだな。百子が言うんだから、そうなんだろう」
数日後、咲夜から連絡が入った。
体調が安定した国府津夜弦と面会しろと、ボスから指示が下ったそうだ。




