二十八話『グランギニョル』
机に突っ伏して眠っていたらしい。肩には毛布がかかっている。起き上がると音もなくするりとそれは落下した。
あたりを見回すとリビングのソファでモモが座った格好で眠っていた。膝の上にはノートパソコンが乗せられており、ちかちかと光を放っている。
ケンイチが消息を絶ってから丸三日。俺たちは昼も夜もなくあいつの所在を探し回っていた。
まずはあの後、渡会の指示を受けながらモモの出したデータ通りの場所に行ってみたが、ガラの悪い連中がわずかにいるぐらいでがらんとしていた。喧嘩を売ってきたヤツにお話してみたもののただの集合場所だったということしか聞きだせなかった。
そしてケンイチの友人に片っ端から連絡をし、時には会ってみたもののあいつの行方は分からないままだった。
あいつの乗り捨てた車が見つかったのが昨日。移動ルートはモモが出したが、その後の消息はやはり掴めない。あいつは腐っても探偵だったんだと思う。見つからないように用意周到に準備していたのか、それとも天才的な無意識なのか。
モモは俺が心配だと家に泊まり込み、そうして今に繋がる。
申し訳ないとは思うものの有難い事だった。ひとりになるといろんなことを考えてしまう。
さて――時刻は早朝。まだ深夜と言っても差し支えない。
こんな体勢だったからこんな時間に起きてしまったのか。いや、違うな。なにか…物音がした。
家の前に車が止まったような気配がして目が覚めたのだ。室内のインターホンを起動し、暗視機能はあるがノイズが交じる景色を見る。車らしき影は見当たらない。
ちょうど覚醒したときにエンジン音がしたので、もしほんとうにこの付近に車が停まっていたとするならそれだった可能性が高い。と、するともう去ってしまったのだろう。
こんな時間に何をしていた? 旅行帰りにしてはずいぶん変な時間だ。
平常時なら不気味に思い朝までドアを開けなかっただろう。だが浅い睡眠と重なった疲労のせいで思考力が低下していた。藁をもつかむ気持ちとも言えた。
鍵を外し玄関を開ける。
冬場の朝四時の空気はキンとしていて鋭利な刃物のように身体を痛めつけてくる。
まだ鳥も寝ている時間帯だ。あたりは暗く、不気味なほどに静まり返っている。
「……」
何かが、玄関の門扉の前に置かれている。
うすぼんやりとして見えないので、慎重に近寄っていく。爆弾を送り付けてくる人間が世の中居るかもしれないのだ。特に城野家には心当たりしかない。
おそるおそる近づくと徐々に輪郭がはっきりしてくる。段ボールだ。ガムテープが巻かれている。
下の部分は湿っているようで、生臭いにおいがした。
段ボールに触れた手が震えていたのは、寒さのせいだけではなかった。
むしろひどく暑くて汗が出てくる。上手く指先がコントロールできず何度もガムテープの端を爪でひっかいた。
そうしてパンドラの箱は開かれる。
生首がひとつ、入っていた。
両手でそれを掬い上げる。こんなに軽いものなのかと妙な部分で驚いてしまった。
――首の傷はひどいものだ。ここまで人間ができてしまうのかと疑いたくなるほどに。
歯は抜かれ、目はえぐられ、鼻と耳はそがれ、口は裂けている。頭皮は髪を無理やり引っ張ったのだろう、肉が露出している部分もあった。
拷問されたのは火を見るよりも明らかだった。
面影をろくに残さない有様なのに俺には分かる。
城野健一、その人だった。
どうみたって最後に会ったときと変わりがないのだ。輪郭も、髪の色も、頬にある黒子も。何年こいつと一緒にいたと思っている。耳があった個所の下にある傷は俺と大喧嘩したときに残ったものだ。他人であるはずがない。
その口から皮肉の一言でも出れば完ぺきだったことだろう。
そこまで考えて俺はひどく可笑しな気持になった。笑いたくて仕方がない。
悲劇の連続は、喜劇だ。
妻を失い仇討ちに行った男が結局何もできず、こんな散々な死に方をしているのに、それを笑わなくてどうする。
ざまあみろ、俺を連れて行かないからそうなるんだ。
目も鼻もない顔から表情を推測することは困難であったが、唇が噛み切れていた。抜かれる前に強く噛み締めたに違いない。死ぬ直前まで悔しくて悔しくて仕方がなかったのだろう。
きっと、一矢報いることもできなかったに違いない。
「ああ」
馬鹿だよなぁ。頭は悪くないのにすぐに思ったこと言ってしまうからあんたの周りには変な人間しか残らなかった。その環境のせいで俺がどれだけ大変な目に遭ったことやら。
何かを言いたいのに、出てきたのは意味のない言葉と白い息だ。
もうすぐ夜明けがやってくる。一段と強い冷えが身体を凍えさせる。
「あああ」
寒いだろ。寒いよな。あんたは寒いのが嫌いだったからな。
それでも小さいころの俺がスケートをやってみたいと言ったらしぶしぶスケートリンクにいってくれたんだっけ。おばさんが上手くて、あんたは俺とおばさんをじっと眺めていた。「楽しかったか」と聞かれて俺が「うん」と答えると頭をぐしゃぐしゃにかき回してきた。
結婚前におばさんが選んだマフラーを破いたときはおまえに烈火のごとく叱られた。そのあとにおばさんと選んだマフラーをあげたら趣味じゃないとか言いつつボロボロになるまでつけていてくれた。
夏にかき氷機を買ってきて「無駄遣いして」とあきれるおかあさんを横目におまえと俺は山盛りのかき氷を作った。味はよく覚えていないけれど、すごく楽しかったのだけは覚えている。
おかあさんと手をつなぎたいのにおまえが邪魔ばかりするから泣いたこともあった。「おれの嫁さんは渡さない」とかアホなことを言っておかあさんに怒られていた。
「ちくしょう」
なんでこんな時に、いろんなことを思い出してしまうのだろう。
幸せだったころの記憶を今思い出してもむなしいだけだというのに。
実の親に捨てられたなんてもうどうでもよかった。
俺は城野家の人間だから。ふたりは言葉では言わなくても態度で表していたのだ。俺はそれに今まで気づいていなかったけど。
生首を抱きしめてうなだれる。こんなに小さくなってしまって。
触れた肌はあまりにも冷たい。
一分か、十分か、一時間か。モモが俺を探しに来るまで、ずっとそうしていた。
『鬼』を殺さなくては。
そうしなければ、この喜劇は終わらない。
連中を同じ目に遭わせてやるから地獄の底で楽しみに待っていろ、親父。
〇
どこから残酷喜劇が始まったのかはもう誰も分からない。
どうすれば幕を閉じるのかも未だ誰にも分からない。
記憶喪失の青年と悪意の塊のような男によって追加劇の幕は開かれたばかり。




