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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
間章 グランギニョル
208/278

二十七話『困惑の夜』

「…は?」


 間抜けな声しか出なかった。

 なんで、この時間にいないんだ。だってさっきおやすみって言って…。コンビニにでも行っているのか。

 コンコンと玄関を叩く音に我に返り、慌ててそこへ向かいカギを開ける。

 青ざめた顔のモモが立っていた。


「…モモ?」

「ケンくん、あたし、どうしよう。取り返しのない事をしてしまったかもしれない」


 小刻みにモモは震えていた。

 おぼつかない手つきで俺に携帯を押し付ける。

――ディスプレイにはチャットのSNS。ケンイチとのやり取りが表示されている。そこに書かれていたのは…


「『後はよろしく頼む』? なんのことだ?」


 夜中、といっても二時間ほど前に突然送られてきたようだ。脈絡もなく。

 これが一体何なのかを聞こうとしてモモを見る。彼の顔は真っ白になっていた。

 モモは何かを言おうとして、しまいにはその場にへたり込んでしまった。カタンとスマホがモモの手から滑り落ちる。


「モモ!?」

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…!」

「謝ったって意味が分からねえよ! 何が起きた!?」


 頭を抱えて嗚咽と共に謝罪を繰り返す彼の肩を乱暴につかむ。

 余裕がなかった。

 嫌な予感というものをこれほどまでに強く感じたのは初めてだ。


「あたし、ずっと『鬼』の情報を所長に渡していたの」

「知ってる。ナントカレンレンから聞いている」

「それで、それでね…あたし…あ…うう、うぐぅ…」

「泣くな! それでも男か!」


 正直言ってモモにこの言葉かけは適切なのか分からなかった。

 それでも泣き止むのを待つほど時間がないということは確かだった。


「…あたし、このまえ、三日前ぐらいに、『鬼』の動きを、所長に渡したの!」

「…動き?」

「最近『鬼』に大きな動きがあって、ちょっと不穏だったのね。それで、どのあたりに集まっているのかっていう大まかなデータを出せたから、所長に見せたんだ…」

「そしたら、なんて?」

「『分かった』って…ただそれだけ。何の素振りもないから、もしかしたら渡会さんに渡すのかなって考えていたんだけど、でも、でも、よく考えたら所長を動かすには十分すぎるモノだったんだよ!」

「続けろ」


 予想はいくつかあるが、質問を挟むぐらいならモモの話を最後まで聞いた方が早い。


「所長にはパイプがある。あたしの曖昧なデータを確実なものとして完成させられる人はきっといるはず…ううん、いるんだよ。あたしはしょせんネットを介した机仕事ホタルだけど、実際に足で稼ぎ肌で感じる人たちの情報を手に入れる環境が彼にはある」

「それで」

「あたしの出したデータをもとに、そういう人たちによって確かなものとなった情報を使って――『鬼』の元へといってしまったかもしれない!」

「モモの見立て的に、今日、いや昨日から今日にかけていったい何があると考えている!?」

「分かんない…なにか集会とかあるんじゃないかな…」


 何にショックを受けたのかは分からない。だが、この時俺は確かにショックを受けていた。

 俺に黙って『鬼』のもとへ行ってしまったこと?

 その予兆に気づけなかったこと?

 それとも――


「嘘だ。…だって、俺も行くって言ったら、反対してなくて……俺はここに居る、あいつが行っているわけない!」

「所長がケンくんを連れて行きたくなかったとしたら?」

「なんで? 俺が弱いから?」

「違う。そんなことじゃない。…息子だからだよ」


 モモは涙で潤みながらもしっかりとした目で俺を見ていた。

 今度は俺が冷静さを欠いて、モモが冷静になる番だった。


 理解ができなかった。

 俺は、あいつのただの部下で、ただの居候で――おばさんが死んでからは、本当に一つの縁もないのに同じ屋根の下で暮らし続けていた。それだけ。それだけ?


「今すぐ渡会さんに連絡して…。今から動きだせば、きっと間に合うかもしれない」

「……」

「ケンくん」

「分かった…連絡する。モモ、中に入れ。それで、一応あいつに電話なりなんなりしてくれ。もしかしたらコンビニ行ってるかもしれないし、知り合いのとこでだべっているかもしれないし…」


 笑ってしまうぐらいに希望論だった。

 あいつは機会を逃さない男だ。もしずっと探していた『鬼』が姿を現したのだと知ったなら、迷わずあいつはそこへ向かったのだろう。

 もう手遅れかもしれないと漠然とした確信を覚えながら、俺は渡会に電話をかける。

 何度も何度もかけて、ようやく相手が出た時に、俺は一言言った。


「親父が、母さんの仇討ちに行った」


 そこから、俺はよく覚えていない。

 ただ分かることは、あいつは携帯をもっていかなかったということだ。ケンイチの枕の下で二百通近い着信を抱えながら、俺たちに見つかる時を待っていた。パスワードは簡単だった。おばさんの誕生日だったから。


 息子、という言葉が頭の中でぐるぐるうごめく。

 いつからそう思ってくれていたのか、聞きたくて仕方がなかった。

 一方で他人だと思ってくれていたならあいつは俺を道連れにしてくれていたのだろうかとも考えていた。


 それが分かるときは、もう永久に来ないのだろう。



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