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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
間章 グランギニョル
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二十五話『血も涙もない人間には何が流れているのか』

 墓参りの翌日。

 ケンイチは大学病院へ朝早く検査に行き、午後三時ほどには終わったと連絡があった。

 最寄り駅まで迎えに行くか聞くと「疲れたから適当にどっか泊まって明日帰る」とのことだった。電話越しでも疲労した声色だったので相当なのだろう。

 一人で夕飯を作るのも面倒なので、久しぶりにモモと呑みに行こうという話になった。


 俺もモモも居酒屋開拓をするほどチャレンジャーではないので、今回もいつも行っている慣れた店になった。リスクを負うのは仕事だけで十分だし。

 それに、あまり外でボロを出したくないモモは半個室を頑なに希望するので自然と選択肢も狭まる。酒に酔った勢いで女装していることが何かの拍子で周囲にバレたらどうしようというのが本人の心配らしいが、こいつはザルだ。あんまり不安に思わなくていいと思う。俺はちょっと弱い。


 ともあれ、俺は昨日のケンイチとの会話をモモに話した。

 なぜ嘘をつかなくてもいいような場面で嘘をついていたのかが気にかかっていた。


「そりゃあ、嘘をつきたいからでしょ~?」


 ビールジョッキを両手で持ちながらモモは首を傾げた。所作は女のそれである。

 最近は肩の重みも減ったのか表情が明るくなった。


「そもそも『大丈夫』なんてだいたい大丈夫じゃない場面で使われるじゃない~。というかあたしたちよく使うじゃない。とってもヤバいときとかに」

「ああ……」

「いつだったか三人別々で行動していた時にそれぞれで酷いトラブルが起きちゃって、連絡取りあったとき『大丈夫』『マジ大丈夫』『こっちは大丈夫』しか言えなかったことあったよねえ」

「あれはよく全員生還できたよな。下手すりゃ今頃仲良く山の養分になっていたぞ…」

「死ぬかと思ったもん。なんとかなって良かった――いや、なんとかできてよかったけどさ」


 嫌な案件だったね…としみじみする。

 それはさておき。


「ここでひとつ、所長の言動の意味を考えてみるのも面白いかもよ」

「いいぜ。やろう」


 ほかに話題らしい話題もないし。

 モモはネットの世界でいろいろやっているようだが、俺はそちらには疎いので事あるごとに解説を挟んでもらわなくてはならない。そうすると両者ぐったりと疲れてしまうのだ。

 あとはモモが通っていた全寮制女学院の話もあるが、たまに法を破っているので宅飲みならともかく外で話すにはちょっと危ない。虫も殺せない顔してたまに外道な所業をしている。


「で、所長はなんて返してきたんだっけ?」

「『大丈夫だろ。大したことじゃあない』」

「きな臭いねえ」

「だろ? 俺の言った『大丈夫』とあいつの言った『大丈夫』が同じ意味を持っているなら、なおさら意味が分からねえんだよ」

「だいたい予想はつくけど、どんな意味?」

「『悪い病気ではないのか?』。そういう意味で俺は使った」

「それの返答として『大丈夫だろ』は楽観的な視点からの『悪い病気ではない』ってことかな。所長のことだから何重にも意味が含まれていることがあるけど…日常会話だからそこまでは考えないでおこうか」

「あいつの頭んなか考えると頭痛がしてくるな…」


 誘導尋問も易々と使いこなしてしまうような奴だ、簡単には理解できない思考回路をしているのだろう。


「続く『大したことじゃあない』は、病気が大したことじゃないってことだよね」

「それが嘘なんだろうか」

「恐らくね。だって妙じゃない? 病院――それも大きい病院で検査するのに、大したことないと断定するのは彼らしくなくない?」

「だよな」


 適当なことを言ったようには見えなかった。

 さすがに二十四年の付き合いだ。相手が詐欺師顔負けの男とは言えそのぐらいは分かる。


「なんか隠しているよ。病気が良くないのかもしれない」

「それはうすうす思っていた」

「関連して、さらに裏があるように思えるのはあたしだけかな」

「いいや、あるはずだ。予想はつかないが、長年の付き合いからくる勘が告げている」

「手っ取り早く本人に聞いてみたら?」


 思考ゲームが唐突に終わった。

 なんだかんだで楽しかったので残念な気持である。


「…あいつから話してくれると思うか?」

「待つんじゃなくて行くの。それに、ケンくんになら話すと思うよ。親子だもの」

「親子だからってそうとは限らないし、加えてあいつとは血の繋がり全くないから」


 おばさんがいなくなった今、俺とケンイチは他人同士が同居しているような図になる。

 もちろん戸籍ではあいつの息子ではあるが、生物学的には他人だ。


「そうかな~。わりと気にするよね、ケンくん」

「…気にしてるかな」

「所長に息子として愛されたいんだろうなっていうのがある」

「ええ…」

「あたしもだから。殺されかけても何回かは、父親に息子だって認知してもらい時があったよ」


 自分を例えにしてくれるのはいいんだが、内容がひたすらに重い。

 今そこを通った店員が二度見した。


「ちょっと信じてみたら? 拒絶されたらあたしの膝枕で慰めてあげるよ」

「あんたそれ他の奴には言うなよ…」


 柔らかいのだろうか、膝枕。いや今はそれじゃない。

 あいつに拒絶されるのは…悲しいというよりむかつくが先に来る。


「なんか変な壁作ってるんだよね。ケンくん。いまだに自分を居候に思っているみたいな」

「そうかな」

「そうだよ」


 言われたのは初めてだった。

 自覚は全くない。


「もし所長が病気なら、話を聞くだけでも気持ちを軽くしてあげられることは出来ると思う」

「必要はないだろ。あいつのことだから勝手に復活するよ」

「ケンくん」


 苦笑しながらモモは言う。


「いくらクズとはいえ、人間だよ、あの人」


 だから辛いことも悲しい事も当然あるんだよ、と付け加えた。





 次の日の昼頃にケンイチは帰ってきた。


「おかえり」

「おう、帰った」


 コーヒーを出す。香ばしいにおいが立ち上る。

 テレビの音に紛れて何度か声を出そうとしてはためらう。


「…どうだった?」


 絞り出すような言葉が出た。

 ケンイチはテレビから視線を外し俺を見る。予想していたと言わんばかりの、そんな顔をしていた。


「ああ、癌だって」


 なんてことないように、ケンイチは言った。

 いや。それはいっそ他人事のように。

 昨日さんざんケンイチの対応を予想してはへこんだりしていたのに、あまりにもあっさりしすぎていて拍子抜けした。

 違う、今はそういうことではなくて、癌ってこいつ言った。

 落ち着け。何を言えばいいんだ。冷静になって考えろ。


「おれよりパニックになるなよ。ある程度予想ついていただろ」

「そりゃ、そうだけど…。さすがにびっくりした」

「おれもだよ」

「そ、それで、どんな感じなんだ、今。軽度とか重度とかあるんだろ」

「いきなり余命を聞かないあたりお前は優しいな。んー軽度かどうかって言われるとなんとも言いにくいな」


 ケンイチはおもむろにリモコンをもちぱちんとテレビを消した。

 音の洪水が停まる。

 遠くで救急車と消防車のサイレンが聞こえた。

 子供の泣き声。鳥が喧嘩する声。自転車のベルと、車のエンジン音。


 そんな、静かな日常音を塗りつぶすように、俺の養育者は言った。


「だいぶ進行して、転移もしている可能性があるってよ。さすがに落ち込むよな」





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