二十四話『菊の花』
ケンイチは、墓参りに持っていく花をいつもオーダーメイドしていた。
といってもそんな大したものではない。菊の花を抜いた仏花を用意してもらうのだ。
さすがに一回、二回と頼んでいると花屋も慣れてきて、電話で注文すれば用意して待ってくれているようになっていた。
「いつもなんで菊を除くんだ」
墓参りへ行く途中の車内。
最初の数年はなかなか理由を聞けなかったが、五年目(――おばさんが失踪した年から数えれば八年)にしてようやく口に出すことができた。
赤信号でブレーキをかけ、横目でケンイチをうかがう。お見通しだったのか、ばっちりと奴と目が合ってしまった。
「万里江さん、嫌いだったんだよ。だからおれもあまり好きじゃない」
そう答えてケンイチは肩をすくめてみせた。
「万里江さんの親――つまりクソジジイの趣味は菊花の栽培なんだと。で、奥方は生け花の先生。そっちも菊の花をよく使っていたらしい」
「金持ちっぽいなあ」
あまりおばさんの家――渡会家のことは知らない。小学生の時に捨て子だと悪口を言われて以来、おばさんの意向で渡会家とは疎遠だからだ。
ケンイチの親や親せきに至ってはいることすら知らない。まあ、これといって会いたくはない。
「実際そうなんじゃないか、知らんけど。万里江さんは両親とあまり仲良くなかったから、なんていうのか、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』っていうだろ」
「なるほどな」
菊の花を見るたびに両親を思い出してしまうのか。それは、つらかっただろう。
葬式の時に棺桶にしがみついて泣いていた万里江さんの母親を思い出す。生前にその言葉をかけてやればよかったのに、と離れた場所から俺はぼんやりと思っていた。
青信号になる。
「――そりゃさ、死んだ人間について色々気を遣うのはおかしいとおれも思うよ」
あまりにも、あまりにも悲し気な声音だった。
運転中でよかった。
ケンイチがどんな顔をしていたのか見なくてすんだから。
生唾を数度呑み込む。こういう時、どんなことを言えばいいのか分からなかったが言わないよりはマシだろう。
「…あんた、日頃から言っているじゃねえか。こういう墓参りも弔いも、死者のためじゃないって。置いていかれた生者のためだって。だから、あんたも俺もこれでいいと思えば、それでいいんじゃないのか」
「お前はいくつになっても慰め方がド下手くそすぎる。全部おれからの引用かよ」
間髪入れずに雰囲気をぶち壊してきやがった。
良いこと言ったんだからそこは少しでもいいからしみじみとしていろ。
恥ずかしくなってくる。
「慣れてないんだよ、失礼な」
「ハッタリはうまくなってきているのになあ。敵に対してのコミュニケーションだけでなく味方に対してのコミュニケーションも学んどけ」
…いや、あんたに言われたくないんだけど。
でも既婚者なあたり甘い言葉は囁けるんだろう。一瞬想像してみたけど結婚詐欺というフレーズしか浮かばねえぞ。
「特にお前、人に対して情報の提示が遅いきらいがある。相手の反応を気にするあまり後手に回るのは良くないぞ」
「それモモにも言われたことあるよ。ケンイチだってモモのこと俺にずっと隠していたじゃんか」
「隠しているのと言わないのとじゃ意味が違うからおれはいいの」
「横暴だ…」
右に曲がったと同時にケンイチは「あ」と声を上げる。
どうしたのかと見てみれば、彼から鼻血が出ていた。
あわてず騒がず慣れた手つきでケンイチはティッシュを取り出して鼻血をぬぐう。
助手席に置かれた小さなゴミ箱へ鮮血に染まったティッシュが落とされた。
「最近頻繁だな。鼻の粘膜焼いてもらえば?」
「キーゼルバッハならそれでいいんだろうけど、おれは奥の方らしい。医師が言っていた」
「キー…なに?」
「キーゼルバッハ。鼻の入り口らへんの粘膜。血管が集まっているんだとよ」
「へえ」
「ケンジ、お前、情報は聞きかじるだけじゃなくてちゃんと調べろ。変なところで適当だな」
「うるせえな。むしろ変に情報あるあんたのほうが不思議だわ」
「おれが知らなくて相手が知っているって事実に我慢ができないだけだよ」
ただの負けず嫌いだった。
地頭は良いのだと思う。獲得した知識を彼は自分なりに飲み下している。
そういうところがあったから去年の毒殺事件でモモは助かったんだけども。
「もうちょっと検査したいっていうから明日病院行ってくる」
「検査って。それ、大丈夫か」
「大丈夫だろ。大したことじゃあない」
声もなくケンイチは笑った。
そういうとき、こいつは嘘をついている。
「それと、まだやることがあるからな。おれには」
「無理すんなよ」
「平気だ」
ほんとかよ、と俺は零した。ケンイチは何も答えずに大切そうに花束を抱えた。




