表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
間章 グランギニョル
201/278

二十話『毒と脱出』

 飛び込んだ部屋の一角には人だかりができていた。

 野次馬にしては妙だ。見物というよりは、観察のような。見届けるかのような。

 中心で倒れる百子を眺めている。

 BGMもない静かすぎる部屋で、激しくせき込む百子を、何もせず、黙って見ている。


 一言で言えば、異様。

 どうして誰も助けようとしない? 手を差し伸べ、背をさすろうともしない?

 こいつらはマネキンなのか?


 ケンイチは力任せに人だかりを崩し、百子のそばに屈むと彼の上半身を起こした。

 俺が傍にころがるグラスが変に気になって触ろうとしかけたところに、ケンイチが怒鳴りつける。


「アホ! 肩を支えろ!」


 突然の指示に俺は慌ててケンイチに代わり百子の肩を支えた。ぐったりと腕に体重がかけられる。

 近くにあった水差しを手に取り、ケンイチは百子の髪をひっつかんで無理やり上を向かせた。俺にはケンイチが何をしたいのか気づき始めていたが、じっくりとは考えられない。


「飲め!」


 そして水差しを百子の口にあてがうと一気に傾けた。

 水攻めを思わせるような光景だった。

 百子の口からあふれた水が顔を、喪服を、床を濡らしていく。


「かはっ」


 水差しから水が無くなったと同時に百子がむせた。

 バシバシと粗っぽく何度か百子の背中を叩いた後にケンイチは水差しを投げ捨てた。

 周りは突然の拷問のような行為に目を白黒させてざわめきはじめている。


「担げ」


 俺は百子の膝の裏に手を入れようとして、「違う」と静止をかけられた。

 意味が分からずに仰ぎ見たケンイチの顔は冷え冷えとした表情だった。焦っている時の顔だと、なんとなく頭の片隅で思う。


「今は荷物みたいに担げ。姫抱っこだとお前までぶっ倒れるぞ」


 それだけ言うとケンイチは部屋の出入り口に目を向ける。

 いつの間にかそこには老人が立っていた。苦々しい顔をしている。


「お待ちください――あなた方は、いったい何をしているのか分かってらっしゃいますか?」


 俺はびりびりと威圧を感じている。それは老人からだけではなく、周囲からもだ。絶対に逃がしはさないというような。

 マクロファージにみつかったウイルスとはこんな気持ちだろうか?

 ただ誰も力ずくで止めに来ないあたり、乱入してきた俺たちが怖いのか近寄りたくないようだ。


 思わず身を固くした俺の横で、ケンイチが不敵に笑った。

 ニヤニヤと、周りを嘲るように。

 普段はひどくむかつく笑いなのに今はとても頼もしく思えた。


「これから病院に行って胃洗浄に行くんだよ」

「胃洗浄と? それは何故ですかな?」


 ケンイチは落ちたグラスを蹴り上げ、そばにいた男の足元にわずかに残った液体を振りかけた。

 ひっと悲鳴を上げて男は後ずさる。

 ケンイチは一連の動きを見て得意そうに笑いながら老人に言う。


「このグラスの中身を舐めろ。一舐めで許してやる。できるか? できないだろ。それが答えなんだよ」

「いったい何をーー」

「質問に見せかけた時間稼ぎは嫌いだ」


 ずんずんと力強い足取りでケンイチは老人に近寄る。俺もそのあとに続いた。

 ケンイチが老人に手を伸ばした。緊張を走らせた彼の肩をぽんと叩いて横にどかせ、そのまま早足で出ていく。

 ケンイチの横に並ぶと彼は俺の耳元でまくし立てた。


「車まで走れ。窓を全開にしろ。百子の呼気を吸うな。いいな」


 理解はしきれていないが、すべきことは分かった。俺は頷く。


「行くぞ!」


 その声に背を押されるようにして俺は走り出した。

 百子だっていくら華奢な外見とは言え成人男性だ。それなりに重い。

 しかし走る。全力で走る。何もかも無視して走る。

 ケンイチが後ろを走っていた。何人か、追いつこうとしているやつを転ばせたりしているようだが振り返っている場合ではない。


「こっち!」


 駐車場へと続く通路で待ちかねていたかのように少女が叫ぶ。少年がその横でノートパソコンを手にしていた。

 部屋の中で見なかったと思っていたら、俺たちの脱出準備をするために離脱していたようだ。

 自動の非常扉が閉まりかけている。警報ベルもなっていないのに。


「早く!」


 言われなくても。

 俺たちは滑り込み、止まることはせずなおも走り続ける。

 少年と少女は後ろで同じように駆けていたがスピードには付いて行けずどんどん引き離されていく。


「これ! ハンカチん中にオレの名刺がある!」


 渡しそびれたハンカチをケンイチは投げ捨てるように少年に渡す。


「駐車場の南ゲートを開放しているの! そこを通って!」

「今からこのアドレスにメールを送信する! 添付した病院に行ってくれ!」

「サンキューな嬢ちゃん! 坊ちゃん!」


 ケンイチが返事をすると二人は速度を徐々に緩めていった。

 足止めをしてくれているならありがたいんだが。


 車に乗り込んで言われるがままに窓を全開にする。

 後部座席で椅子を限界まで倒し百子をそこに横たわせた。

 顔は真っ白で、唇が紫色――チアノーゼが起こりつつある。


「出るぞ!」


 シートベルトを締めないままにケンイチは車を急発進させた。

 開いている南ゲートの直前、ケンイチはたった今受信したメールを一瞬見て道路へ飛び出した。


「なあ、百子は助かるんだろうな!?」


 俺自身パニックになり、ケンイチに怒鳴るようにして聞く。

 対して彼は至極冷静な口調で答えた。


「――まだ生きていてもらわないと、困る」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ