十三話『女学院発ハッカー』
「面白そうだったから」
帰宅し、朝飯をのんきに食っていたケンイチに詰め寄ると予想と全く同じ答えが返ってきた。
肩越しに椎名を振り返ると肩からカバンがずり落ち、絶句した顔をしている。当然の反応だろうなぁ。
「ケンジがめっちゃびっくりする顔が見たかったんだが、どうやら見逃したようだな」
「最低かよ。そんなに見たかったならちゃんと指定時間に出勤しろよ」
「あ、というか今日だったのか。明日だと思ってた」
「日付すら曖昧だったのかよ…」
悪びれた様子もなくみそ汁の椀に口を付けるケンイチ。
日付が曖昧って夏休み中の学生じゃあるまいし。
毎日暇な事務所は確かに万年夏休みみたいな感じではあるが。
それにしたって何も知らない新入所員を振り回すのはいただけない。
「…はあ。椎名さん、座って楽にしてくれ。どっから来たのかは分かんねえけど、朝早かったんだろ」
「いえ、この近隣に部屋を借りているので」
つまり気遣いは無用だと。
だが、俺としても自分の家の中に他人が突っ立っているというのはあまり好きじゃない。
椅子の一つを引いて身振りで座るように促した。
椎名は椅子を見て、困った顔をすると「いえ」と小さい声で拒否した。
緊張しているのだろうか。人の家だし、見知らぬ人間に囲まれているから遠慮しいなのだろう。
そう思っている俺の横で、沢庵をつまみながらケンイチは詩を読むようにつぶやく。
「『その空席はこの二人にとって大事な人の席で、ワタシが安易にそこに座っていいのだろうか』」
「……」
「当たらずとも遠からずだろ? 椎名百子」
「ケンイチ、何を言って…」
「男の靴しかない玄関、ダイニングテーブルには三つの椅子、なのに用意されているのは茶碗二つ。数が合わないな」
いきなり何を言い出すのか、俺には全く理解できない。
ただ椎名は若干青ざめて聞いていた。
「まっ、ここだけ見りゃ普通に考えても訳アリの家だっていうのは分かるだろうけどな」
「何が言いたいんだよ?」
「うむうむ、推理を急かしてくれるのは気分がいいなワトソン君」
じらすつもりなのか、奴はゆっくりと茶を飲む。
それを見ながら俺はぼんやりといつ椎名にコーヒーを出そうか考えていた。
「気を使うにしては思考の展開が急すぎる。何故か? 知ってるからだよ。オレたちのことを事前に調べているはずだ、この――お嬢様は」
「っ…」
いやに「お嬢様」という箇所を強調した。
確かに所作はけっこう上品というか、きれいだなとは感じていたが。
ケンイチはいったい何をナイフとして椎名の傷をえぐろうとしているのだろう。俺には全く分からず、実質俺は蚊帳の外だった。
「調べるって?」
「言葉通りだよ。ネットと繋がった情報なら余すことなくこいつの手中だ」
「…そんな大仰な人間ではありませんけどね、あたしは」
絞り出すように椎名は声を出した。
その態度や言葉がケンイチの言葉が正しいということを示していた。
あからさまな動揺を隠すことは得意な人間らしい。
「これは責められている――という認識でよろしいですか?」
「いやいやまさか。事前学習は大事だからな。ただまあ、『知らないふり』をできないっていうのは問題だって話だ。露骨に顔に出ていたぞ」
ぱっと自分の顔に手を当てるところからしてバレバレなんだよな。
ケンイチは俺に顔を向けた。
「一言二言話して妙だなって思わなかったか? そんなに話していないなら気づかないかもしれないが」
「いや…? 察しは良いほうだと思って…あっ」
思い出した。
――『対応したのは?』
――『城野健一さんです。あ、健康の健のほうの』
あれか。
「…俺の名前って分かる?」
「ええ…城野賢一さん、でしょう?」
ああなるほど、きな臭いなこれは。
なぜなら俺は名前までこの女に言っていないのだから。
さっき自己紹介でそこまで言っていなかった、とは伝えないでおく。なにもそこまでいじめる必要もないだろう。
俺が積極的に自分の名前を出さないことを知っているケンイチは面白そうに笑う。
「補足するとな、ケンジ。この事務所は所長の名前こそ出すが従業員の名前は出さない」
「…じゃあどこから」
ちらりと椎名を見ると、彼女は無表情と呼ぶ他ないほどに表情を消していた。
何十人もクライアントを見てきたから分かる。これは隠し事をしている。
「しらばっくれなくてもいいんだぜ、ルベルム女学院きってのハッカー。いや、クラッカーかな?」
「……意地が悪いですね」
椎名は目を閉じ深く息を吐いた。
「最初から分かっていたならここまでの時間は無駄ではないですか…」
「からかったらいい反応するかと思ったんだよ。結果はすごくいい反応だった」
「…いや、どういうことだよ。説明してくれ」
俺だけネタ明かしされていないんだけど。
「こういうことだよ。こいつは――」
「城野さん」
椎名がいささか厳しい眼でケンイチを見据える。
今まで遊ばれていた怒りとは違う、べつの感情がそこに含まれているようだ。
「家のことには触れないでもらえますか」
「なるほど。それもそうだな」
ケンイチにしては素直に頷いた。それが素直に気持ち悪かった。
「こいつは山奥にある全寮制のルベルム女学院の卒業生だ。家庭の事情によりそんなところに押し込められていたが、ハッキングの腕前は天才。ハッカーの間じゃ何て呼ばれているんだっけ? 電脳女帝?」
「…そういうのはいいです」
あ、ちょっと照れてる。
いまいちピンとしていない俺をみてケンイチはいささか嘆息しながら説明を続ける。
「だから、こいつはここに来る前にオレたちの情報を洗いざらい調べているんだよ。そりゃ互いに押し付けられた存在だしな。オレの前科、お前の経歴、…万里江さんのこと。いわば、内容を知った状態で読むミステリーみたいなもんだ」
「ああ、だから…。俺とケンイチの名前の漢字を知っていたり、おばさんの席だからって座らなかったのか」
「そういうこと」
「ならさっさと言えよ…。いくらあんたでも新入社員の女子をいじめるなんて最低だぞ」
「ん? ああ」
なぜそこで不思議そうな顔をするのか。
そして心底面白そうな顔をするのか。
「へえ、さすがはあの女学院を生き延びただけあるな。気づいていないぞ、こいつ」
「それは光栄ですわね」
皮肉たっぷりに椎名は答える。
そして俺に向けて、言った。
「どれほどの付き合いになるかわかりませんが、後々面倒なことになっても嫌なので先に言いますね。あたし、男です」
「は?」
男?
こいつが?
だって名前も女なのに? 小野妹子みたいなあれ?
椎名は混乱する俺の手を取って自分の胸に当てさせる。
「ほら。ふくらみがないでしょ?」
「は?」
ほらって。いやなにしてんだこいつ。おっぱいの有無を確かめさせてるのか。
視界の端でケンイチがげらげら笑っていた。首の骨折ってくれねえかなあいつ。
こうして最悪な初対面から数日後、最悪な依頼が入った。
もう思い出すのも非常に嫌なので詳細は省くが、椎名と二人で辞職届の書き方を調べていたのだけは言っておく。




