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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
間章 グランギニョル
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十一話『万里江』

 渡会浅次郎というのは、警察の偉い人で、おばさんの父親。

 俺が知るのはそれぐらいしか知らない。

 小学校低学年以来、俺は渡会家の正月にも盆にもいかなかったのでほとんど記憶にない男だった。

 おばさんはケンイチとの結婚も最初はかなり反対されていたようで半分勘当を食らい、さらに俺を引き取ったことで親戚内でうわさになり、その関係で親子の縁も遠のいたらしい、というのはうすうす気づいていた。けんいちという名前は不幸しか呼ばないのか。


「どういうことだ」


 事務所に突然あらわれて突然とんでもないことを言い放った男にケンイチは冷静に聞き返す。

 激昂をするのではとハラハラしたが、拍子抜けするぐらいに静かにソファに座っていた。

 対面のソファに座る渡会のおっさんはちらりと突っ立ったままの俺を見た。


「話す前にその子を帰らせろ。子供にはきつい話となる」

「いい。ケンジ、ここ座れ」

「城野!」

「こいつは万里江さんの息子だ。あんたが認めようが認めなかろうが城野家の人間だ」


 初めて、そのようなことを言われたような気がした。


「だからこいつも聞く権利がある。いいな、賢一・・


 ケンイチは渡会のおっさんではなく、俺を真っ直ぐに見る。

 俺は、黙って頷いた。ケンイチの隣に座ると渡会のおっさんはあきらめたように首を振り「そこまでいうのなら」とつぶやいた。

 彼は高そうなバッグから紙の束をとりだす。そしてテーブルの上に几帳面に並べていく。なんとなく、その様はおばさんを思い出させた。

 のぞき込んでみてみると、モノクロの写真だけの紙や反対に文字がびっしりと書かれている紙などさまざまだ。


「これが、失踪した日の防犯カメラの映像だ」


 一枚の紙、さらにはひとつの箇所に渡会のおっさんは指をおいた。

 それを目で追い、表情を変えないままケンイチは呟く。


「近くのスーパーだな」


 確かに見慣れた場所だ。

 少し画像が荒いが、それでも身内なら分かる。あの日分かれた時と全く変わらないおばさんが写っている。


「ああ。この時間、万里江は買い物をしていた」

「……」

「そのあと、17時12分。スーパーを出た。三分後の15分。ガソリンスタンドに映っている」


 渡会のおっさんはそこで黙った。

 

「ここから先の足取りはつかめない」

「それでどうやって死亡を断定した?」

「まだ話は終わっていない。むしろここからだ。不審な車の情報がある」


 ガソリンスタンドからのカメラや、駐車場の防犯カメラから引っ張ってきたのだろう。

 一台の車を囲むように赤い丸が書きこまれていた。それは、他の写真にも同じようにある。


「盗難車だ。三日前に見つかった。盗んだ人間の特定はできているが、まだ捕まっていない」


 示された車の写真は発見された後のものだろう。

 車体にへこみが認められた。


「……」

「そして、車内には血痕があった。DNA鑑定に回した結果がさっき来ていた。…万里江だ」


 俺は、話が頭の中に入ってこなかった。ケンイチの表情がどんどん抜け落ちていくのを見てしまった。


「車の損傷具合もひどい。真正面からだろうな」

「こんなんなら、轢いたって周りにバレるだろ。音で」

「この時間はあたりが暗くなっている。街灯も多くない。それに、スーパーからここに至るまでの道は公園と空き家が多い。悲鳴がなければ気づかれないというのはありえない話でもない」


 確かに、このあたりは小さな畑やら空き地が転々としていて人通りもあまりない。

 以前近くで起きたひき逃げも、被害者の同伴者が通報したからすぐ騒ぎになったようなものだ。


「車体の状況から見るに、重体は免れないだろうという話だ。そしてどこの病院にも万里江と一致するデータの女は運び込まれていなかった」

「犯人が放置していれば――万里江さんは」

「死んでいるだろう」


 なぜ、こんなにこいつらは冷静でいられるのだろうと疑問に感じる。

 死体を前にしていないから?

 希望を持っているから?

 おばさんの安否すら分からないというのに。


「それは公式の捜査か?」

「いや。私的だ」

「なんのために?」

「娘のために」


 ケンイチが短く息を吸った。そして勢いよく立ち上がる。

 あ、と声を出す暇もなかった。


「そういう優しさを! なぜ万里江さんに早く見せなかった! 子供が産めないと嘲られる娘を庇えなかったお前が、今更! 今更だッ!!」


 ケンイチは顔を怒りの表情で固め、渡会のおっさんを見下ろした。


「ケンイチ、待てって! 落ち着け!」

「オレとの結婚を許したのだってあの人が子供を産めないって分かった後だったよなぁ!? これまでさんざん万里江さんを苦しめやがったくせして、いざいなくなると青ざめるのか! 滑稽だよなァ! えェ!? どうなんだよ!?」 


 めったに見ることのないケンイチの激昂に俺はただ呆然とするだけだった。

 ずっと動き回っていたのは、焦りの感情を消化するため。とにかく考え事をしないようにするため。――最悪なことを考えないようにするためだったのだと、今更ながらに思い当たった。


 それに加え、あろうことか万里江さんを虐げてきた渡会のおっさんが残酷な仮説を持ってやってきた。

 怒る理由は、よく分かる。ゆえに止められない。

 俺が言葉を選んでいると、渡会のおっさんは目で制してきた。

 言わせておけと。

 いやでもそこで大人の余裕見せつけてきても結局の原因はあなたも関わりあるからかっこつければかっこつけるほど間抜けに見えてくるんですけど。とは言えなかった。


「申し訳ない」

「謝ってほしいなんて一言も言ってねぇんだよ! ふざけるんじゃねえ、てめえ、娘が死んでいるかもしれないのになんで、そうやって、そう、……」


 後に続く言葉が出なかったのかケンイチは唇をかんだ。

 かすかに肉が破れる音がして、唇から赤が垂れた。


「…これからどうするんだ、親父殿」

「犯人を見つけ、万里江の所在を吐かせる」


 ケンイチは、はッと嘲笑を顔に張り付けた。

 期待はしていないと言っているようだった。


「すまないが、こちらは時間だ。何かわかったらまた連絡をする。そっちも――」

「はん。オレの気まぐれを願っていることだな」


 二人は正面から互いの顔を見る。そこに浮かぶ情動は何なのか。

 殴り合いが始まるのではとひやりとしたが、そのようなことはなかった。

 渡会のおっさんは書類を集め、バッグにしまう。外に漏れてはいけないものらしい。

 俺と社交辞令的な会話を一言二言かわし、彼は帰った。


 事務所には、俺とケンイチが残される。

 重々しい空気。

 動くこともためらわれて、俺は立ち尽くしてケンイチの様子をうかがう。


 ケンイチは自分の口元を手の甲で拭い、延びた血のあとをみて不愉快そうな顔になる。

 それから、俺のほうに向きなおった。

 怒っているような、泣いているような、笑っているような。

 まるで俺の抱えていたはずの感情すべてを持ち去ってしまったような表情だった。


「ケンジ、オレは決めた」

「…なんだよ」

「犯人見つけてぶっ殺す」


 俺は言葉には出せず、首を振るだけで肯定を示した。

 こいつの心の喪失を埋めることを俺は出来ないと知っていたから。だから代わりに埋めるものを探さなくてはならない。


 できるだけ長く犯人には生きてほしいと願う。

 そいつが生きている限り、俺たちはきっとまだおばさんのいない席から意識を逸らせるだろうから。


 …また俺はお母さんに置いて行かれたのか。

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