二話『話し合い、決着』
「し…!?」
「そうなった場合は恨みますよぉ」
俺に蹴とばし返しながら保護者は笑った。
的確に脛を蹴らないでほしい。非常に痛い。
「まあ、あなたには関係ない一家の命ですから? そんなに深く考えなくてもいいんじゃないですかね?」
「な、な…そこまで」
「いやいや。普通死にたくもなるでしょう。たかがガキのじゃれあいで人生壊すとなっちゃあ」
母親はしばらくぱくぱくと酸欠の金魚のように口を開閉させていた。
この話題――俺の処遇に関することは後回しにしようと決めたらしい。保護者の言葉は付き合いの長い俺には軽口程度のものだと分かるが、何も知らない人が聞けば神妙なものだろう。保護者の根っこの悪さが存分に出ている。
「せ――性格が荒いのは捨て子だからでしょうかね?」
だからと言って俺の人格攻撃はするなよ。かわいそうだろ、俺が。
男子学生がぎくりとした顔で俺を見る。
そもそもの原因はその言葉だったのを言っていないらしい。
その事実を母親が先に知っていたのか、男子学生が先に知っていたのかはこの場合関係ない。重要なのは両方知っているということだ。
俺は息を細く長く吸い込む。
怒りを抑えるのはあまりうまくできない。だがここで暴れるわけにはいかない。
昨日、大事になる前に止めてくれた担任のためにも。
俺の保護者は対照的にへらへらとした笑いを浮かべていた。
「それと、探偵なんてものをしてらっしゃるようですけど、そんな仕事だから子供も素行が悪くなるのではなくて?」
「ははは、職業差別はいけませんなぁ」
確かにそうだ。
探偵という仕事は関係ないというか、ほとんどこの保護者に責任があるというか。
どんなにぐいぐい押してものらりくらりと交わされて母親は焦りが出てきたらしかった。
唇をわななかせ、
「あと」
一番こいつに
「あなたの奥さんも」
言ってはいけないことを
「子供が産めない身体なのでしょう? 母親として問題が――」
「あ?」
保護者による低い声がこの部屋すべての温度を奪う。
俺は強く目をつむった。
理由はもちろん、この状況をどうするか考えるためにだ。
なんで一番の地雷を踏んじまうんだよこの母親は。
「オレの妻が、なんだって?」
「で、ですから――」
「もしやと思うが、陰でそのように妻のことを悪く言っているのか?」
保護者の腰が上がった。
机を迂回していくなんてこの男はまどろっこしい真似をしない。このまま机を乗り越えて――暴力をふるう。
と、ここではっとした。
まずい――! さすがに暴力沙汰は、まずい!
具体的に俺の将来が消えてなくなる!
今、このクソ野郎は俺のことなんて今一ミリも考えていない!
「ガキのじゃれあい」では済まされない年齢と立場にいることを自覚しろこの馬鹿!
かくなるうえは仕方ない。俺がプライドを犠牲にするしか方法はない。
喧嘩で言えば保護者の強さはすさまじく、俺は太刀打ちができないのだ。何かが起きてからでは遅すぎる。
「すいませんでしたぁッ!」
机に頭を叩きつける勢いで俺は頭を下げる。
英語の教師は外国では「アイムソーリー」を絶対に使うなと言っていた。いくらこちらに責任がなかったとしても、言った本人が本当に悪いということになってしまうからだ。
この場合も、俺が十割悪いわけではない。あの殴り合いは元々男子学生が原因だったりする。五分五分と言ったところだ。
だが、殴り合ったことに対する責任を、いや、この責任だけで済ますために俺は頭を下げた。
「反省しています!」
しん、と室内が静かになる。
汗と動悸が止まらない。頼む、誰かいい方向に軌道を修正してくれ。
横で保護者が沈黙の後、座りなおした。息を吐く音が聞こえた。
とりあえず目下の危機は去ったようだ。
「…ほ、本人もこう言っていますし! 今回はどうか許してくださいませんか?」
俺の担任が乗っかってくる。あんたここまで何もしていないよな。
「…とはいっても」
まだ食い下がってくるのかよこの母親。
勘弁してくれよ。
悪態の一つもつきたくなるが、ボイスレコーダーを確実に持っているはずなので何も言えない。
「こちらをお渡しするので、考え直してもらえませんか」
先ほどと打って変わって落ち着いた声で保護者はカバンから何かを引っ張り出した。
どうやら写真、それが三枚。
伏せて机の上を滑らせて母親の前に置く。
「これは?」
「見ればわかると思います」
その声にかすかに笑いが含まれていたので、絶対ろくなものではない。
母親が恐る恐るめくって、そして瞠目した。
「こ、これはどこで…」
「探偵には守秘義務があるのでお伝えできませーん」
完全におちょくりだしたが、母親のほうはそれに反応する余裕がないようだ。
のぞき込もうとする男子学生に見られないようにぐしゃりと握りつぶしバッグに突っ込むと、立ち上がった。
「今回は不問とさせていただきますけどね、」
「まだそれ以外にもあるんですよねぇ」
負け犬の遠吠えすら許さず、保護者は追い打ちをかける。
母親は顔を赤くしたり青くしたりで忙しかったが、「失礼!」といって出て行ってしまった。
俺たちはぽかんと見送り、互いに目を合わせてクエスチョンマークを生やすことしかできない。満足そうな保護者を除いては。
自分の母親の一連の行動に恥じ入ったのか、伏し目がちに男子学生が言う。
「…ごめんな、俺の親が…。あと昨日のことも」
「ああ、いや…殴った俺も俺だし…」
ぼそぼそと気まずく謝る。
俺も疲れたのでこの件は終わらせてしまいたかった。
「…解散、しましょうか」
男子学生の担任が言った。
教師というのは胃が痛くなりそうな仕事だと思った。




