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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
六章 スケープゴート
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二十.五話『さいごのねがい』

 仮面の男たちに囲まれ、姫香は無言で通路を歩く。

 触れられはしなかったがなにかおかしな動きでもすればすぐに取り押さえられるだろう。

 自分の非力さは知っている。無駄な抵抗をしても何にもならない。


 着いた先はこれまでの扉よりも立派に作ってあるものだ。

 ここにお偉いさんがいるということは直感的に分かった。


「お連れしました」


 姫香は足を止めかけたが背を押され、無理やり入らされる。

 中身を見渡せば豪奢とも質素とも言えない、なんとも評価のしにくい部屋であった。

 同じ系統の調度品があるため一応まとまりを見せてはいるが個々の価値はあまりよく分かっていなさそうだ。姫香自身もそこまで詳しくはないものの、この部屋の主はあまりセンスが良くなさそうだと思う。


「ああ、ご苦労」


 ソファにかけていた、丸眼鏡の男が顔を上げた。

 口元には柔和な笑みを浮かべている。


「下がっていいよ。準備もあるだろう」

「しかし…」

「大丈夫だ」


 すこし強めの口調で丸眼鏡の男は言った。

 仮面の男たちは言いたげな雰囲気はあったもののそれ以上は逆らわず、静かに下がる。

 姫香を残して、扉が閉まった。


 しんと静まり返った部屋。

 睨みつけてくる姫香に向かって、丸眼鏡の男は対面のソファを指し示す。


「こちらへどうぞ、『鬼姫オニヒメ』さま」

「っ!」


 一瞬で姫香の顔は驚愕に変わる。

 それは二年余り前に用をなさなくなった名前だ。


 『鬼姫』の名前を知っているということは、すなわちこの丸眼鏡の男はただの宗教のまとめ役ではない。裏社会に足を突っ込んでいるどころか、頭まで浸かっている。

 加えて言えば――たとえ裏社会の住人とはいえ、神崎の考えにより表にめったに出ることのなかった『鬼姫』を知る外部の者は少ない。


 ゆえに、姫香は警戒のレベルを一気に上げた。


「…誰だ」

「そんなに力まなくてもお教えしますよ。ここのもともとの役割は『シェルター』でした」

「『シェルター』?」

「お座りになられてください。そこにいては話しづらいでしょう」


 逡巡の後に姫香はおとなしく丸眼鏡の男の正面に座った。

 二人の間にあるテーブルにはティーカップが二つ置いてある。


「私は坂本と言います。――私が知っているのは小さなころのあなたですが、顔つきは変わらないものですね。見てすぐわかりましたよ」

「…どこで会った?」

「会ってはいません。ただ、写真では見たことがあります」


 だいたい察しがついた。


長谷ハセジュンという男はご存知ですね?」


 やっぱりそうだった。

 姫香の写真をひたすら撮っていた変態は長谷しかいない。

 三回ぐらい神崎にネガを焼かれていた気がする。


「なぜ、あいつを」

「この『シェルター』は『鬼』『虎』『龍』から――それ以外もありますが――脱走した構成員の避難場所、と言えばよろしいでしょうか」

「ここ、長谷、逃げ込んだと?」

「その通りです。もっとも、当時はここではありませんでしたし、彼はほんのわずかな期間しかいませんでしたが…まあ、そういう人たちもいました」


 長谷は姫香が十二の時ごろに逃げている。

 逃がしたのは、姫香だった。

 とんでもないアホを放流してしまったと気づいたのは最近だが。後悔はしないが、反省はする。


「かつて、私は彼ら――『鬼』『虎』『龍』のかつてのトップ三人の友人でした。しかしいかんせん私には暴力は苦手なものでね。あのような組織までは作れませんでしたよ」

「どうして、ここ、バレない」

「逃げ込んだという事実はあっても、証拠がなければ意味がない。そんな単純な理由ですよ。外に出ず暮らしていれば、見えないでしょう?」

「……」


 たしかにそうではあるが。

 もしかしたら水面下で何らかの取引があったのかもしれない。だがこれ以上は姫香には興味もないし関係のない話だ。


「私も静かに暮らすことが目的でしたのでね」

「……」

「さて『鬼姫』さま。なにやら一言二言言いたいことがあるようですが?」


 間髪入れずに姫香は答える。


「私の服、チョーカー、イヤーカフ。返せ」

「やれやれ。返せ、など。立場が分かっていないのでしょうか。――いえ。長谷純と神崎ハジメに育てられたならそれも仕方ないですかね。問題児とはこちらまで聞き及んでいましたから」


 あの二人は問題児以外の何物でもなかったと思い返す。

 そんなことはどうでもいい。


「この服、着せた、なぜだ」

「邪魔だからです」

「邪魔だと?」

「儀式の邪魔なんです。アクセサリーは武器にもなりかねませんし…あのようなレースの多い衣装、切り裂くのにはいささか時間がかかるでしょう?」

「…どういうことだ?」


 嗜虐を含んだ笑みで、坂本は笑う。


「『かみさま』に、心臓を食べてもらうのですよ。服の構造が複雑だと取り出すのに時間がかかるので」

「…おまえ、あの子に、何、している。あの子は、人間だぞ」

「そうでしょう。アルビノが原因で捨てられたかわいそうな子ですよ」


 あっさりと、坂本は白い少女の出生を口にした。

 商品の説明をするような軽い口調で。


「なぜ、あの子を、利用している」

「利用? まさか。私が『かみさま』を生かす代わりに、『かみさま』には私の為となってもらっているのですから。あれが指し示す人間と関われば事態はうまくいくんですよ。何が見えているかはわかりませんがね」

「……」

「逃げてきた構成員の中にはいまだ人を殺したくてたまらない人間もいます。それを解消するために定期的に場を設けているのですよ」


 人を殺す快楽は麻薬を使うそれよりも強いと、『鬼』にいたとき誰かが話していた。

 組織から追われ、逃げ込んでも――人を殺す欲が残る者がいるというのか。

 そのためだけに誰かが殺されるのだ。


「…心臓は、なぜ」

「彼女に神聖さを出させるために。『かみさま』には『かみさま』らしく、人間からすると異端の行動をしてもらわなくてはならないので」

「おまえ、たったそれだけで…!」


 立ち上がりかけた姫香に坂本は手のひらを見せた。


「もう一度言いましょう。あなたは今、ご自分の立場が分かっていますか?」

「……」


 唇をかみしめた後に、姫香はおとなしく座りなおす。

 これほどまでに己の無力さを呪ったことはない。

 姫香に渦巻く気持ちを知ってか知らずか、坂本は手元の錠剤をスプーンの裏でつぶしはじめた。それを琥珀の液体が入れられたティーカップに入れ、かき混ぜる。

 それを姫香の前に置いた。


「どうぞ。ミルクと砂糖はこれらです」

「…今、入れたのは、なんだ」

「睡眠薬です。あなたはこれから儀式の贄になってもらうので」


 けろりとした顔で坂本は言った。

 いっそ清々しいその態度に姫香はただ目を細めるだけにとどめる。

 このようなタイプは何を言っても無駄だ。長谷で学んでいる。


「…意識、あるまま、だと、思ったが」

「そのほうがお望みでしたか?」

「望み、のように、思うか」


 睨んでみせたが、坂本はひるんだ様子もない。

 当然だ。己のフィールド、己の優位を知っているのだ。たかが小娘の表情に怖がるわけがない。


「救ってやったばかりか、あれの存在を皆が尊み、拝んでいるのですよ。それでも私が悪いことをしていると?」

「お前、そう思っている、だけだろう。彼女、ペットじゃ、ない。人間だ」


 坂本は鼻で笑う。


「あの神崎に育てられてまだそこまで言えますか。いえ、まあ、まだ人の言葉を話せるというのも驚きでしたが」

「……」

「あれがかわいそうというのなら、あなたのほうがもっとかわいそうだと思いますがね」


 姫香は手をぎゅっと握り締めた。

 小指に結ばれた髪の毛が指に食い込む。


「あなたが死んで悲しんでくれる人はいるでしょうか、ねえ? 『鬼』の娘などこれ以上ないほどに厄介な人間が死んで喜ぶ者はいても、涙を流す者はいないのでは?」

「…うるさい」

「不幸ですね。救いきれないほどに不幸だ」


 坂本は、本当におかしいというように姫香を見て笑う。

 悪意に満ちた笑みだ。気持ちが悪かった。


 姫香はティーカップを手にすると一気に飲み下した。

 苦い味が突き抜ける。確実に舌を火傷した。咽頭も悲鳴を上げる。


「おや」

「私の命、引き換えだ。あの子、自由に、しろ」

「無理ですよ」


 坂本は淡々と否定をする。


「あれは自動販売機の動かし方も知らない。自分と同い年の子供がいることも、自分の知らない言語を話す人間がいることも、すべて」


 ――分かっている。

 それぐらい、姫香にも分かっている。あの少女があまりにも、どうしようもないぐらい世間を知らないと知っている。

 一人で外に放り出しでもすれば凍死か餓死をしておしまいだろう。もっと悪ければ、誰かに騙されて襲われて殺されもするかもしれない。


 それでもどうせ死ぬのなら、意味のある死を迎えたかった。

 無駄に死ぬのは嫌だ。

 いつだって自分のママのように誰かを守って死ぬことを願っていた。


 だから、異能を持った白い少女の自由を引き換えになら、姫香は死んでもいいと思った。

 もしかすれば――夜弦が、あの子を救ってくれるかもしれないから。


「ああ、本当に愚かでかわいそうですねえ」


 ぐらりと世界が回る。

 過去に睡眠薬を盛られたことはあったが、日常的に使っているわけではない。

 そのためなのか、効き目は思ったよりも早い。


「……なぜ、あの子と、私、会わせた」

「言って聞かないので。いたく気に入ったようなので満足させるために少しの時間一緒に入れました。ああ、あれは単純ですから、儀式になれば何事もなく心臓食べるでしょう。それはご安心を」


 遠のく意識の中、憐みのこもった声だけが聞こえていた。


「箱庭で朽ちていけばよかったものを。挙句の果てにおなじ箱庭の小鳥を同情するなど、滑稽の極み」


 外を知ってしまえば永遠に自由を渇望する。

 何も知らなければ幸せだったのに。

 知ってしまったから、不幸だと思ってしまった。


「あなたの存在など、だれも望んではいないのですよ。『鬼姫』さま」


 知っている。

 姫香は口の中でつぶやいた。


 生きているだけで誰かを不幸にし、誰かを殺すこの身を誰が愛するというのか。


 さみしいなぁ、と姫香は思った。

 ひとりでいくのはさみしい。

 いみもなくしんでいくのはかなしい。


 ぐるり、と世界が回り。

 意識は途絶えた。





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