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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
六章 スケープゴート
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十八.五話『みらいはきりのなかに』

「ひめかちゃん!」


 まんじりともしない気持ちのまま鏡花を待っていた姫香は、明るい声に頭を上げた。

 ひょこりと天井裏から鏡花の顔がさかさまにのぞく。遅れて白い長髪が垂れた。


「どうだった」

「うん、とりあえず降りてからねー」


 一度鏡花の頭が引っ込み、かわりに包帯を巻いた足が出てきた。

 ばたばたと動く足が手製の踏み台に触れると、思慮浅く鏡花はそこへ一気に体重を預けた。偏った場所に重心を置かれた踏み台は、重力に従って崩れていく。


「わっ」

「えっ」


 当然のことながら鏡花の身体は落下し、そのまま足元にいた姫香ごと巻き込んだ。

 床を一瞬揺らすような衝撃音とともに二人は倒れこむ。遅れていくつかの踏み台の元が雪崩のように床に落下する。


「いたた…」

「……手をどかして」

「えへへ、ひめかちゃんの胸ってやわらかいねえ。まんまる」

「一発…一発、殴っても、いいか…?」


 返事を待たずに姫香は軽く手を握り、鏡花の頭を小突いた。

 「いったーい」とケラケラ笑いながら鏡花は姫香の横に移動する。二人して並び、横になる体制になった。

 姫香は天井の穴を眺め、聞かなくてはいけないことを思い出した。


「…夜弦は?」

「ん? たぶん会えると思うよ」

「たぶんって。連れてこなかったのか」

「お兄さんじゃあの道壊れちゃうよ。分かってないなぁ」


 それもそうかと姫香は納得する。

 姫香でさえ耐久性に疑問を持ったのだ、もう少し思慮深い(はずの)夜弦なら進んで入ろうとはしないだろう。

 ならば今どこにいるのか。

 聞かずとも鏡花が勝手に話し出した。


「三澤を使ってこっちがわに場所を移したの。これならすぐ帰らないし、いつでも会えるでしょ?」


 つまり、夜弦は監禁されている、ということでいいのだろうか。

 そこまで心配はしていない。よくよく考えてみたらあの強さを持っているのだ、ドアの一つや二つ蹴破って出てくるだろう。――まさかな、と苦笑しながら考えを打ち消した。

 ただ彼だって馬鹿ではない。何らかの方法で脱走はするに違いない。


「まあ、悪い手では、ないな」

「いま褒めた?」

「褒めた」

「わあい!」


 何をするにしても限られている行動の中で、できる範囲のことはしてくれたのではなかろうか。

 あとは夜弦の出方次第だ。そのための御膳たてをこちらからは何もしてやれないため、がんばれとしか言えない。


「あとは、あんまり一緒にいたくなかったんだよね」

「なに?」

「あの人、気持ち悪いんだもん」


 夜弦本人が聞いたら泣きそうなセリフだと姫香は思った。


「なんでもないような顔して、全身真っ黒。ひめかちゃんはまだいろんな色があるし、いろんなむずび方があるからいいんだけど」

「……夜弦は、全部、同じだと?」

「そうそう。それしか知らないんだねー。ずっところす!しか考えてないよ、あれ」

「……」


 さすがに、姫香も口をつぐむ。

 この部屋は時計がないためにどれくらい経ったかは不明だが、それでも夜弦と接したのは短時間だろう。

 そのわずかな時間で、本質を見抜いているのはただものではない。――と考えて、「ああそういえばこの子はかみさまだったか」と姫香は思った。

 あまりにも強すぎる能力をいまだ悪用していないのは無知すぎるゆえか。ならば周りが必死に外に行かせないようにする気持ちも分かる気がした。どんな悪影響を与えるか未知数だからだ。


「ねえひめかちゃん」

「なんだ」

「そんなにあの人にころされたいの? 糸がどんどん絡まっているよ。苦しそう」


 息が詰まる。

 騙せない。すべてを見通しているのだ、この少女は。

 今はじめて姫香はこの少女を脅威と感じた。


「怖くない? いやなら、わたしがひめかちゃんをころしてあげるよ?」

「……」


 顔を傾けて、鏡花の瞳を見る。

 透明な、美しい、ビー玉のように透き通った赤い目がこちらを見つめている。

 そこに浮かぶ感情は――慈愛だった。

 良心からそのようなことを言っているのだ、このかみさまは。


「…それは、あいつと、相談、して。私は、選べない」

「そうなの?」

「ああ…」


 胸に渦巻く感情を整理しきれない。それどころか、自分が何をしたいかも定かでない。

 この数時間でいろいろなことが起こりすぎて知恵熱が出そうだ。


 ぐるぐると考え事をしていた姫香だったが、ふと思ったことを聞くことにした。


「私と、おまえ。糸は、何色だ」

「分かんないの。わたしのだけは、なんにも」


 鏡花は少し寂しそうな表情になった。

 ついさっき「ころしてあげる」などと言っていたので、てっきり黒か何かだと思っていたのだが。そもそも見えないらしい。


「仲間はずれなんだねぇ」

「……」


 自分には無効の能力という可能性もある。

 姫香は自分の瞳の色は分かる。誰も殺していないので透明だ。

 それとも仮に人を殺したときに自分の淀みが見えないことに気が付くのだろうか。


 初めて見せた憂いを帯びた表情に、姫香は少し考えた後に上体を起こした。


「鏡花、糸、あるか」

「糸?」

「本物の、みんなに、見える、糸だ」

「それをどうするの?」


 口には出さず、鏡花の小指の付け根と自分の小指の付け根を交互に指さした。

 意味が分からず眉をひそめてそれを見つめていた鏡花だったが、あっと声を出した。


「繋ぐの?」

「そう。ある、糸」

「ない!」


 姫香はずっこけた。


「…仕方ない、シーツ、とか、から…」

「これでもいい?」


 ぷつんとためらいなく、鏡花は自分の髪の毛を数本抜いた。

 姫香は城野が見たらどんな顔をするのか気になった。


「…まあ、いい。指出せ」


 締め付けないように注意しながら鏡花の指に巻き付けて結ぶ。

 別の一本を姫香の指に巻いた。さすがに結ぶことは片手ではできないために鏡花に手伝ってもらう。ちょっと強めに絞められたが、きっと大丈夫だろう。きっと。


「真ん中、糸は、見えないけど、ちゃんと、繋がってる、みたいな」


 もう少し口が回ればよいのにと思いつつも説明する。

 鏡花はそれはそれはうれしそうに何度も頷いた。

 慰めの意味合いもあったので、上々の反応に姫香はほっとする。


 そんな時間は続かなかった。

 ノックの代わりに鍵が外される音がドアから響いた。

 姫香は即座に立ち上がってそちらを睨みつける。


 重い音とともに姿を見せたのは、のっぺりとした仮面を被る人間が三人。

 あの巨体の、姫香を殴った男――話を聞く限り三澤という名前らしい――は見えないので少し安心する。


「ごはん?」


 のんきな声で姫香の足元から鏡花が言った。


「いいえ。申し訳ありません、かみさま。今はそこの女に用がありまして」

「……」


 姫香は無意識に欠けた耳に手を当てる。

 ここまで不安な気持ちになったのはあっただろうか。いや、そもそも不安なんて今まで感じたことがあっただろうか?

 ――いつのまに自分にここまで感情が生まれていたのか?


「もう連れていっちゃうの?」

「ええ、残念ながら」


 鏡花の――少女に対してはにこやかに、しかし姫香へ向ける視線は厳しいものだった。


「来い。万が一にでもかみさまに危害を出そうなどと考えてみろ、お前は無事ではすまない」

「……」


 ゆっくりと足を踏み出す。

 なにもできない無力な存在である姫香は、相手に従うしか手段がない。


「ひめかちゃん」

「大丈夫、私たち、ちゃんと糸、繋がってる、から」


 少しだけ振り向いた。

 赤い目と黒い目が交差する。


「また、あとでね」



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