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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
六章 スケープゴート
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十話『ぎすぎす』

 「ちょっと出ます」と咲夜さんが退席して。

 わずかに苛立つ所長と、それを心配げに見る百子さんと、そして僕の三人が視線を交わせる。


「とりあえず僕が出ると決まりました。で、次は潜入方法ですが」


 最短ルートで潜入するにはどうすればよいのか。

 あまり気長にやっていくつもりはさらさらない。なんせ、姫香さんだ。


 好意を向けている相手が攫われてしまったというのは心穏やかではない。

 それにあの人、普通にとっ捕まるというより危険な目に合いやすい気がする。

 とはいっても誘拐されたのは過去に一回しかなかったが。

 その一回がだいぶ異常だったのでそう思ってしまうのかもしれない。


 いや…普通に考えて誘拐されるなんてことがある時点で異常だろ。しっかりしろ僕。

 

 所長はあっさりと答えた。


「セミナー行ってこいよ」


 どう考えてもメセウスの会のセミナーのことだろう。

 あんな反応に困ってしまう話をわざわざ聞きに行かなくてはならないのか。


「いやいや、そんな簡単に」

ふところからもぐりこんでいくしかないだろ。下手に連中を刺激させるのは悪手だ」


 そうは言うけど。

 それが最善手だとは僕も思うけど。


「どうするんですか」

「何が」

「僕があちらの色に染まってしまったら」


 どうやら予想外の発言だったらしく、所長は言葉に詰まったようだった。

 おとといの勧誘を僕は特に何も思わなかったが、もしもの場合もある。

 周りの考えに感化されないとも限らないのだ。なぜなら、


「僕は記憶を失っているんですよ。…信徒から耳障りのいい言葉を貰ったら、簡単に手の平を返すかも」

「そのぐらいであんたが転がるとは思わねえけどな」

「所長が僕に隠し事していなければの話ですよねそれは」


 あ。思わず毒を吐いてしまった。

 所長の目が細められる。

 僕もひるまずに真っ直ぐ見返す。


 視界の端で百子さんがおろおろとしていて可哀そうに思ったけど、我慢してほしい。


「何の話だ」

「騙している――とまでは言いませんけど。ずっと僕に言ってないことがあるんじゃないかと思って」


 所長の左手がかすかに動く。

 ライターの火をつける仕草だ。もちろん手の中にライターはないから素振りだけだが。

 ――所長は、心が揺らぐと煙草を吸おうとする。


 彼から視線を離して僕は架空の火を見つめる。


「…それで? あんたはどんな言葉を信徒に望んでいるんだ」

「何も望んでいませんよ。記憶を失った僕に響く言葉がどんなものなのかは僕にもわかりませんし」

「そうかよ」

「僕はまあ、ちゃんと行きますし、姫香さんだって取り戻します」


 取り戻す『つもり』、ではない。

 必ず任務は成功させる。

 それが僕らに・・・求めら・・・れることだ・・・・・

 成功しない・・・・・かぎり・・・僕は帰れない・・・・・・


「ただ最近、少しだけですが所長あなたが信用できない」

「今言うことかそれ」

「今言うことだと思いました」


 確かに状況的にはこんなこと言っている場合ではないけれど。

 流れとしては、今しかなかった。

 思わず口が滑ったからには仕方ない。


「ま、俺が信用できまいがどうとかはいい」

「いいんですか。部下に疑われるなんて最悪じゃないですか」


 疑っている僕に言われるのもさぞかし腹が立つだろう。


「最悪は最悪だ。だが――俺にも非はあるしな」


 ぽつりと所長が投げた言葉。それは石ころが落ちた湖のように僕の心に波紋を生む。

 それは――。

 隠し事の存在を認めていることで良いのか。


「なんの非、ですか」

「……おいそれとは言えない」

「また黙秘なんですね」

「慌てるなよ。でもそうだな…あんたはずいぶんと核心に迫ってきている」


 迫っているとは僕自身思えないのだが。


「でもそれは今じゃない」

「いつですか」

「自分で気づくんだよ。大丈夫だ、その様子だともうそろそろっぽいし」

「……」

「自分の正体に気づいたら俺んところに来い。望んでいたことやらせてやるよ」


 …話してくれるのではなく?

 妙な引っ掛かりを覚えつつも、仕方なく僕は引き下がった。

 いつの間にか詰め寄る姿勢になっていたので元に戻った。


「その日を楽しみにしてますよ…あと、聞き耳はやめましょうよ咲夜さん」


 扉がゆっくりと開き、外気の空気が入り込む。寒い。

 そっと顔を覗かせた咲夜さんはバツの悪そうな顔をしていた。


「すいません、つい…」


 別に怒ってはいないんだけど。

 入るには入れないのもあったんだろうな。


「外から聞こえるんですか?」

「ボロなのである程度は」


 サクてめぇと所長が毒ついた。


「何があったか分かりませんが、今しなくてはいけないことは忘れないでください」

「分かっていますよ。姫香さんを取り戻す。あと依頼も頭の片隅に入れておきます」

「…三分の一ぐらいには入れといてくれ」


 善処はする。


 咲夜さんが入ってきたことで空気が少し変わり、ようやく百子さんは強張った笑みを浮かべた。

 これまで僕たちがまるでガラスのボールでキャッチボールをしているのを見学するようにハラハラと見守っていたのだ。


「ヨヅっち」

「はい?」

「あのね、きっとヨヅっちなら大丈夫だよ」

「なんでですか?」

「だってきみ、神さまも死後の世界も信じていなさそうだもの」


 なぜ分かったんだろう。




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