第87話
プヨ歴V二十六年六月二十四日。
アパートメントを出た信康はブーランジェリー・グランヒェルで朝食用のパンを数種類購入し、そのパンを食べながら駅馬車組合に向かった。
駅馬車組合に到着すると、組合長から自分指名の配達が十二件程あり、最後にルベリロイド子爵家のマリーザからの指名だと言う。そして恒例行事と化している組合長からの勧誘があったが、信康は即答で断った。
露骨に肩を落として落ち込む組合長を無視して、信康は配達する荷物を受け取ると直ぐに馬車に乗り込み馬に鞭を打って出発させた。
信康は最後になるであろう配達を熟しつつ、馴染みとなった客達と別れの挨拶を交わした。信康の時間に正確、または素早くかつ丁寧な配達が今後は受けられなくなると知った客達は悲しみ残念に思った。
しかし信康の今後の傭兵稼業が上手く行く様にと、激励してくれた。
そして餞別及び心付け代わりに、平均よりも遥かに多い報酬を貰う事が出来た。そうして過ごす間に、最後の配達先へと信康は向かう。向かう先はマリーザが住むルベリロイド子爵邸だ。これまで一番最初に配達していただけに、最後の配達が逆に一番後回しと言うのが、信康にとって違和感を感じずには居られなかった。
信康は何時も通りルベリロイド子爵邸の大門に到着すると、大門に付けられている呼鈴を鳴らす。
すると、執事のダリアが対応に出て来てくれたので、互いに挨拶してからルベリロイド子爵邸に入って行った。ダリアに何時もの部屋に案内されると、其処には優雅にソファーに座っているマリーザが居た。信康の姿を目にすると、立ち上がって綺麗に一礼して見せた。信康も応えて、返礼する。
「お疲れ様。こうなる様に指定したとは言え、待ち草臥れましたわ」
「だったら何時もみたいに、一番になる様に指定すれば良かっただろう?」
「そうする訳には行かなくってよ。もしそんな事をしたら貴方、昼食にも茶会ティータイムにも参加して貰えないかもしれないじゃない」
「まぁそうだが・・・今日は茶会位までなら、普通に付き合ってやるぞ」
信康がそう言うと、マリーザと共にテーブルの方へ移動して椅子に座る。テーブルの方には、昼食の為に用意したと思われる豪勢な料理が並んでいた。二人が座るのを確認してから、ダリアも席に着いた。マリーザ曰く「ダリアはわたくしの執事バトラーですけど、同時に大切な姉妹で一番の親友ですから」と信康が説明を受けた時は素直に感心を覚えたものだ。
「・・・今回は魚料理が多く揃っているな」
「今日は新鮮な魚が手に入ったそうよ。お気に召さなくって?」
「そんな訳が無いだろう。実にありがたい気遣いだと思ってな。感謝しているよ。ありがとう、マリィ」
「・・・そう、だったら構いませんのよ。料理長に腕に縒りを掛けて作って貰った料理ですし・・・この量もわたくし達だけでは食べ切れませんから、御遠慮無くどうぞ」
「そうか。それではお言葉に甘えて、遠慮無く」
信康に感謝されたマリーザは、両頬を少し赤く染めて顔を逸らした。
普段はそうやって感謝される事は無いのか、マリーザは照れ臭かった様だ。そんな主人のマリーザを、微笑ましそうにダリアは見ていた。
二人の様子を他所に、信康は絶品の魚料理に手を付けて食べて行く。朝食は簡単に済ませていたので、この量は喜ばしかった。談話を挟みながら三人で食事を勧めて行くと、談話はある話題に入った。
「数日前に傭兵部隊の兵舎の改築工事が終わって、その内帰還するのよね? それから傭兵部隊は七百人程増員されて、一千人の部隊になると聞いているわ」
「相変わらず、お前は耳が早いな。その通りだ。傭兵部隊は漸く、軍隊の一部隊として機能出来そうになる。そしてその傭兵部隊の兵舎に今日中に帰らないと、プヨとの傭兵契約を解約されてしまうんだよ」
「ふぅん・・・だったら貴方をこの屋敷に拘束して、強制的に契約を解約させるのもありかしら?」
「勘弁してくれ。そんな事になったら、流石に俺も困るから」
「マリィお嬢様。あまりノブヤスさんを困らせません様に・・・それにノブヤスさんの実力を考えれば、屋敷中の人間を総動員しても取り押さえられないかと」
「うふふふっ、冗談ですから。ノブヤスに嫌われる様な愚行など、犯す心算は無くってよ」
マリーザが口にした冗談なのかどうか断言出来ない企みを耳にして、信康が困った様子で頬を掻いた。ダリアも信康側に加担して、マリーザに諫言を漏らした。するとマリーザは可笑しそうに笑ってから、信康を捕らえる心算は無いと明言する。
信康はマリーザならなりかねないと少々心配したが、そう聞いて漸く心中で安堵の溜息を吐いた。それから他愛も無い会話を続けながら昼食を終えると、食後のデザートと茶会を続けて開いた。
デザードを食べ終え、茶が入ったカップを置いた。
「でも・・・今日で終わりですのね。寂しくなりますわ」
「何故だ?」
「貴方が配達の仕事を止めたら、こうして会うのも無くなるのね」
「そうでも無いだろう」
「え?」
「辞めるのは配達の仕事だけだ。確かに新たに来る新兵連中の練兵とかに忙しくなるが・・・ちゃんと休みはあるし、そもそも俺はプヨから居なくなる訳じゃない。お前さえ良ければ、また遊びに来るさ」
「・・・本当? そんな事を言ってもし嘘だったら、承知しませんわよ?」
疑心を抱きながらマリーザが念押しする様にそう言うと、信康は肩を竦めながら嘘では無いと誓約した。
「そ、そうっ!・・・・・・でしたら今後は定期的に連絡をするから、何時でも都合の良い時を言いなさい」
茶会後、信康はマリーザとダリアに見送られて、ルベリロイド子爵邸を出る。信康は駅馬車組合に戻ると配達報酬の大金貨九枚と金貨九枚に大銀貨八枚と銀貨七枚、そして追加報酬の白金貨一枚を貰ってからカルレアのアパートメントに戻った。




