第81話
信康はセーラを連れて三階に行った。
その道すがら、これから会う猫獣人を勝手に想像していた。
(猫獣人という事だから、猫耳に猫の尻尾がある女性か。故郷の大和でも、似た様な者に会った事があるからな。何となくだが、姿が思いつくな)
信康の故郷では、猫又と言う猫獣人の一種が居た。
大和皇国を中心とした東洋圏では亜人類と言われる種族は、俗に妖怪と呼ばれていた。
妖怪と人間と表向き共存しているが、実際は差別を受けている。
信康は子供時代の時に、妖怪の子供達と遊んだ事がある。その中には、猫又、妖狐、雪わらし、鴉天狗、鬼、そして女郎蜘蛛族の大和名である女郎蜘蛛族の子供達と遊んだ事がある。
(そう言えば、あいつは元気にしているか?)
幼馴染と言える妖怪で、ぬらりひょんという種族の子供の事を思い出した。
その者とは信康が大和皇国を出奔する前に会ったのを最後に、三年近く会っていない。
つい、昔の事を思い出していた信康。もう目的の部屋に着いても、気付いた様子はなかった。
「ノブヤスさん?」
「・・・・・・・おっと。ああ、大丈夫だ」
信康は手を振って大丈夫だと言うので、セーラはそれ以上追及しなかった。
そして三〇四号室の扉をノックした。
「誰だ?」
「セーラです。少しお話がしたいのですが、良いですか?」
「・・・・・・少し待て」
そう声を駆けられたので、信康達はドアの前で待つ事になった。
(今の声、本当に猫獣人の声か?)
信康も子供の頃の知り合いである、猫又以外の猫獣人にもあった事がある。
自分が知り得る限り、猫獣人の声はどんな時でも陽気を感じさせる明るい声だ。
しかし今の信康の耳に聞こえた声は、陽気よりも陰気を感じさせる声だ。
女性にしては低い声だ。猫獣人の声はもっと高い筈だと思っていると、扉が開いた。
そして扉が開いた先を見て、信康は驚愕した。
出てきた女性は両腕と両足が毛皮に覆われ、その毛皮の部分には黄褐色と黒い横縞が入っている。
頭の上にある耳と尻尾も同じ模様だった。頬の部分にも黒い横縞が三本入っていた
茶色の髪を肩甲骨の辺りまで伸ばし、前髪の毛先が黒く染まっている。
吊り目で、鳶色の瞳。整った顔立ち。
(猫は猫でも、虎獣人じゃねえか!?)
どう見ても、猫じゃなくて虎だろうと思う信康。
これで猫獣人と言うのだから、このアパートメントの住人は目が節穴なのかそれともこの虎獣人は何かの術でも使って嘘をついているのか、どっちだろうと思う信康。
しかし、もし後者ならば、猫獣人に擬態していないこの現状が説明出来ないので、ミシェルの真意が読めなかった。
「こんにちは、ミシェルさん」
「ああ、セーラか。今日は如何した?」
「今日は用事がありまして」
「それは・・・其処に居る男が関係しているのか?」
ミシェルは漸くと言うか、信康を見た。
其処で信康が名乗ろうとしたら、先にセーラが話し出した。
「二階の空き部屋に少しの間だけ暮らす、ノブヤスさんです」
「どうも」
信康は頭を上げて一礼する。
「うむ。私はミシェルだ。少しの間だが、よろしく頼む」
「こちらこそ」
ミシェルは頭を下げるので、信康も頭を下げた。
「それで、私に何の用だ? このノブヤスを紹介の為だけで、態々此処に来た訳では無いのだろう?」
「はい。実はカルレア大家さんに日頃の感謝を込めて、何か作ろうと思いまして」
「カルレアにか? ふむ、そうだな。カルレアあいつは肉よりも魚の方が好きだぞ。特に白身魚のパッセラが目が無い。どんなパッセラ料理でも行けるが、特にパッセラの水煮が大好物だ」
「ぱっせら? 水煮?」
「海底で暮らしている魚だ。平べったくて両目が上の方を向いている特徴を持っている魚だ」
「・・・・・・・あ、ああ、分かった。あの魚か。しかし、う~ん・・・」
セーラはまだ分かっていなかったが、信康は言われて漸くパッセラの正体が分かった。信康は何度か海で釣った事があったので、魚についてある知識はあるし捌き方にも自信がある。しかしこれでは、大和皇国で言う鮃なのか鰈なのかまでは、分からなかった。
するとそんな信康の心情を察したのか、ミシェルが更に補足を始めてくれた。
「パッセラと良く似た魚で、ソールと言うものがある。パッセラとソールの見分け方は、そう難しくなく意外と簡単だ。腹部を前に置いてから見て、顔が左側にあればソールで右側にあればパッセラだ。更にパッセラは安く購入出来る大衆魚だが、ソールは高級魚と言う扱いになっているぞ。カルレアもまだ、ソールは食べた事が無いかもしれんな」
「・・・ああ、成程。|鰈がパッセラで、鮃がソールね。ありがとう、理解した。感謝する」
「???」
信康は完全に理解した様子だったが、セーラは余計に分からず頭上に?マークが浮かんでいた。
「それにしても水煮か。成程、確かに美味しそうだな」
「えっ、ノブヤスさん作り方知っているのですか?」
「ああ。昔、俺がある傭兵団に所属していて其処に居た同僚の一人が、其処の傭兵団の料理頭を担当していたんだが・・・これが宮廷料理人顔負けの凄腕でな。色々と作ってくれたり、教えてくれた」
「ならば作り方も知っているのか?」
「勿論だ。それにあれって意外と、簡単に出来るだろう?」
「そう言えるのは、一度作った事がある経験者だからだ。セーラを見ろ」
信康はセーラを見ると、どう作れば良いのか分からず首を傾げていた。
ああ、これが作った事の無い未経験者の反応かと分かった信康。
「教えてくれて感謝する」
「別に大した事を教えた訳ではない」
「それでもこちらが助かったのは事実だから」
「気にしないでくれ。それで用事は終わりか? すまんが今はちょっと、作業中でな」
「それは済まない。もう良いから、作業に戻って良いぞ。改めて教えて頂き、感謝する」
「うむ、ではな」
ミシェルはそう言って、扉を閉めた。
「さて、帰るぞ。セーラ」
「は、はい。分かりました」
信康はセーラを連れて、自分の部屋に戻る。
「ノブヤスさんは料理が出来るのですか?」
「ああ。ある傭兵団に所属していた頃に、料理上手な同僚だった連中から料理を教わってな。お陰で傭兵団を抜けて未所属フリーで活動した時は、美味しい料理が喰えて助かった。どうせ口に入れるなら、美味い物が食いたいからな・・・同僚だった奴等から厳しく教わったから、腕の方は其処らの奴より上手に作れる自信があるぞ」
信康はそう言って、自信有りげに胸を叩いた。
事実、信康は当時所属していた傭兵団の料理頭だった同僚とその補佐役だった同僚の二人から、料理について厳しく教わっている。普段は大雑把で飄々としている癖に、料理に関しては鬼も逃げ出す程に厳しくなるので何度も投げ出そうと思った程だ。それでもその厳しい指導があった御蔭で、信康は料理が得意なのである。
尤も、故郷である大和皇国の料理は作る事はしない。何故作らないのかと言うと、そもそも味噌などの調味料が非常に入手困難だからだ。どれだけ上手に作っても、紛い物でしか無く苦労してまで作る価値が見出だせないのである。
「さて、ルノワ達にこの話をして魚を買って作るか。どうせ使うなら、鮃ソールを探して買いに行ってみるか。何なら両方とも買って、食べ比べさせても良いかもしれんな」
「はい、それは良いですね・・・あの、その時で良いのですが・・・」
「水煮の作り方を、教えて欲しいのだろう? 良いぜ。何なら一緒に料理でもするか」
「ありがとうございます・・・やった」
セーラは笑顔を浮かべて、共に信康の部屋へと向かった。




