第77話
ガシャーンッ!?
何かが割れる音が、披露宴会場内に響いた。
信康達はその音がした方向に、一斉に顔を向ける。
すると其処にはグイルの襟元を掴み掛かり、上下に揺らしている男性が居た。
グイルの足元には、何かの飲み物が入ったグラスが割れて散らばっていた。音の原因は、それの様だ。
「お前は自分の父親と兄貴が死んだというのに、妹の婚約を祝う披露宴を開くなんざ、随分と厚顔無恥だな。ええっ? 無能で馬鹿な兄貴が死んだ御陰で、当主様の地位が転がって来たグイルよ~」
グイルの襟を掴んでいる男性は相当酔っぱらっているのか、顔を赤らめながら自分の顔を近づける。そして、男性はグイルを罵倒し続ける。
「お前の親父の無茶な作戦の所為で、俺は二度と剣をまともに振るえなくなったと言うのに・・・あの野郎は~自分が犯した失態ミスで責任を取って刑死しても、御家はお取り潰しにならないなんて、そんなふざけた事があるかっ? ええ、そうだと思わねえか?」
「ロバードっ! お前、酔っているなっ。幾ら昔からの知り合いとはいえ、それ以上の暴言は許さんぞ!」
「おお~おお~言う様になったじゃねえか、グイル坊ちゃんよ~。俺は手前が小さい頃から面倒を見ていたんだぞ。そんな俺に、そんなこと言うとは、随分と出世したんだな~?」
ロバードはグイルから手を放して、腰のポケットに入れていた蒸留酒が入っている水筒の蓋を取る。そして水筒を傾け、その中身を喉を鳴らしながら飲む。
「プハ~お前の親父には色々と世話になったから、久しぶりに顔を出してやったんだ。そしたらこんな見栄と虚飾塗れの披露宴をするなんてな。お前の親父譲りの恥知らずっ振りには驚いたぜ!」
「ぬぐううううっ、こっちが下手に出たら好き勝手に言いおってっ!?」
「はっはははっ! おうさ、俺には好き勝手に言う権利があるぜ。何せ俺はロゴスと一緒に第三騎士団に入団してから、毎回ロゴスの後始末を散々強いられて来たんだ。そして最後にゃ二年前にロゴスを戦場に逃がす為に殿軍をした結果、現在の俺は二度と前みたいに戦えない身体になっちまった」
ロバードは負傷した所をグイルや周囲に教える様に、先ず右手で左腕を叩いてから左手で右腕を叩いた。
「俺が意識不明の重体になっていた時に、ロゴスの奴は何をしたと思う? 敗戦の責任を全部俺に押し付けて、俺が不在のまま軍法会議を開いて騎士団から追放しやがったんだよっ! お蔭で俺は爵位も剥奪されて、何処に行っても愚か者と言われ罵られ続けて来たんだ。俺をこんな生地獄に落としたロゴスは、敗戦の責任を取って刑死だぁ! はんっ、あのロゴス屑野郎にはもっと、酷い刑罰を受けてから死んで欲しかったぜ!」
「お、おのれロバードッ! 我が父を愚弄しおって! お前達、この不届き者を叩き出せ!」
『はっ!』
ロゴスの醜態を言い触らされたグイルは、激昂してロバードを沈黙させようと周囲の使用人達に命令を下した。グイルの周囲にいた使用人達は、グイルの言葉に従いロバードを囲んだ。
「あぁ?」
ロバードは囲まれていても何とも思っていないのか、余裕すら感じる程にふてぶてしい態度を見せている。
「やあああっ!!」
使用人の一人がロバートを捕まえようと、手を広げて襲い掛かる。
そのまま捕まるのかと思われたが、ロバードは酔っぱらっているのに襲い掛かる使用人を躱す。その躱し様に、使用人の首元に手刀を叩き込む。
「がっ!?」
使用人が沈んだのを見て、囲んでいる使用人達もロバードがただの酔っ払いではないという事が分かり、身構えた。
ロバードは動かないで、使用人達が掛かって来るのを待った。ロバードが何もしてこない事に、焦れる使用人達。そのまま緊張した空気が流れる。
「何をしている。相手はただの酔っ払いだ!! さっさとつまみ出せ!」
グイルにそう命じられ、使用人達が一斉に襲い掛かる。
ロバードは襲いかかる使用人達を、躱しながら急所に手刀を叩き込み、あっという間に使用人達を床に沈めた。
その手馴れた手腕に、信康は感心した。
(足を怪我しているのにあんな風に襲い掛かる奴らを躱しながら、首元に正確に手刀を叩き込むとは・・・相当の手練れじゃないと出来ないぞ)
そして惜しいとも思った。酒に溺れた今の状態でも強いのに、怪我を負っていない状態ならもっと強かったのだろうなと思えるからだ。
しかしロバードその善戦も、直ぐに終わりとなった。
使用人達がまた新しくやって来て、数人がかりでロバードに襲い掛かって来たのだ。
流石のロバードも多人数相手では分が悪い様で、直ぐに躱すのも苦しい状態になってきた。
そして使用人の体当たりを、ロバートは諸に受けてしまった。
「しまっ!・・・」
ロバードは床に倒れたのを見て、そのまま数任せに襲い掛かる使用人達。
数の暴力には流石に敵わず、ロバードは顔やら身体やらを殴られた。
幾ら酔っぱらったロバードが悪いと言っても限度があるだろうと思い、信康は殴っている使用人達の所に向かう。
「この酔っ払いが、二度とこの家の前を通れない様にしてやる」
「腕を折ってやろうぜ!」
「よし、身体と腕を抑えろ。俺が腕を折る」
使用人達がロバードが暴れない様に体と腕を押さえつけた。
「や、やめてくれ~そんなことされたら、おれは」
「うるせえっ! 元はと言えば、お前が悪いんだろうが!」
「よし、いいぞ」
「じゃあ、悪く思うなよ」
使用人がロバードの腕を折ろうとしたら、信康はその頭にグラスを傾けて中身を頭に垂らした。グラスの中身は重力に従い、下へと流れる。
「へっ?」
使用人はいきなり冷たい物が頭に掛かったので、訳が分からず困惑していた。
「頭が冷えたか? そろそろこの見苦しい袋叩きも、止めにしたらどうだ?」
信康は使用人達に話し掛ける。
中身が無くなったグラスを近くに居る、お盆を持っている使用人のお盆に乗せる。
「お前っ、邪魔をするのか?」
「何処の家の護衛かは知らないが、邪魔をするのか?」
使用人達がロバードから離れて、信康に詰め寄る。
「ふっ、分からんのか?・・・・・・俺は別に邪魔をした来た訳じゃない。お前等の主人と、お前等を助けに来てやったんだぞ」
「何?」
信康は使用人近づき囁く。
「周囲を見渡してみな。このまま腕を折る所を、お客様達に見せてみろよ。折角上がり掛けた威厳が、一気に失墜するぞ。この披露宴会場には、女性や子供も居るのだから」
「むっ・・・・・・・・・・」
「このまま続ければ、ヴァイツェン子爵家の悪評が王都アンシ中に広まるだろうよ。もし俺がお前等の主人なら・・・お前等が勝手にやったと弁明して、こうするな」
信康は首を切る手振りをした。
その手振りを見て、使用人達も今頃まずいと思った様で顔色を変えた。
「ほら、もう好きなだけ殴っただろう? 後は外に出すだけにしてやれよ」
信康の提案に使用人達は頷いて、何人かロバードを担いで外へと出る。
その様をグイルは、地団駄を踏みながら見送る。
「ええい、昔から世話になっていたから、今まで何をしても大目に見てやったと言うのに、この私にあんな態度を取るとは何たる侮辱、何たる厚顔無恥な奴だ!」
その様はまるで、癇癪を起こした子供みたいであった。そんなグイルに厚顔無恥とはお前の事だと、信康は心中でツッコミを入れる。
その醜態で、もう披露宴会場が白けている事もグイルが気付いていないのが、実に滑稽だと思う信康。これでは最早ヴァイツェン子爵家の権威の失墜は免れないなと、そう思いながら信康は呆れながらグイルを見ていた。其処へ信康の肩が、ポンと優しく叩かれた。
「我々もそろそろ、お暇させて貰おうか」
信康の肩を優しく叩いたのは、雇い主であるハンバードだった。ハンバードは信康に近付き、そう言った。信康は頷き、ハンバードの後ろに立った。
「それでは、ヴァイツェン卿。私はこれで失礼致します。お招き頂き、ありがとうございました」
「あっ!?・・・・・・・失礼。ドローレス殿、お帰りになる前に、一つだけお聞きしたい。例の件は、考えて頂けましたか?」
「ああ、援助の件ですか。申し訳ありませんが、あの話は無かった事にして下さい」
「な、何故です!」
「妹の婚約披露宴の席で、あんな不愉快な醜態を見せる人を援助して御覧なさい。ドローレス商会の評判にも関わりますし、何よりお金が勿体ないではありませんか。一介の商人として、その様な無駄遣いは出来ません。それでは、失礼」
ハンバードは優雅に一礼して、奥方のモナを伴いその場を後にした。信康もドローレス家の後に続いた。
信康はチラリと後ろを振り返ると、グイルは呆然とした表情で膝を付いていた。そんな無様なグイルの姿を見て、信康はクスクスと嗤いながら去って行った。
出口に向かって歩いていると、ビュッコック達と直ぐに合流出来た。
ビュッコックは先程の騒ぎを見ていたのか、しきりに信康の肩を叩きながら「お主も中々、上手い事をするではないか」と褒めた。
来た時と同じ順番で馬車に乗り、ファンナ地区にあるドローレス邸に戻る信康達。そして着替えて貸してくれた服を返却すると、信康は報酬として大金貨一枚を受け取った。
たった一日の護衛費用にしては法外過ぎる報酬を渡されたので、信康は拒否しようとしたらハンバードが「だったら、今後も私達とお付き合いしてくれると嬉しいよ」と言った。
お近付きになりたい人間が聞けば羨望と嫉妬で身を焦がしかねないハンバードの発言を聞いて、信康は苦笑しながら承諾した後にレズリーを連れてアパートメントに帰ろうとした。しかしアリーナがぐずりだしたので、レズリーは今日はこのドローレス邸に泊まる事にした。
信康も是非宿泊して欲しいとドローレス家に勧められたが、一家水入らずの場を邪魔するのも悪いと謹んで辞退して、一人でアパートメントに帰る事になった。
別れを挨拶をした後に、信康はアリーナに何と頬に口付けをされた。その際にレズリーが騒いで一悶着したものの、信康はドローレス家に見送られてケソン地区アパートメントへと帰り道に付く。
しかしファンナ地区のナンナン通りを歩いていると、魔石灯の凭れ掛かっている人物が居た。
酔っ払いかと思い、信康はその魔石灯の元に行く。
(うん? こいつはさっきグイルの奴の披露宴会場で一悶着起こしたロバードじゃないか)
ロバードという男性は顔の至る所を赤くしながら、鼾を掻きながら寝ている。
信康とロバードは知り合いという訳ではない。しかし信康はロバードの身内を知っているので、こんな所で寝ていては家族が心配するだろうと思い、取り敢えず起こす事にした。
「おい、起きろ。おっさん」
ぺちぺちと頬を軽く叩く。
そうしたら、ロバードの瞼が痙攣した。
「う、うう~ん。だれだ~?」
「こんな所で寝たら、幾ら夏場でも風邪を引くぜ? 早く家に帰りな」
「う、う~、おこしてくれて、わるいな、にいちゃん」
そう言ってロバードはゆっくり立ち上がるが、数歩歩くと足が縺れだした。
「おっとと・・・・・・ちょいとのみすぎたかぁ?」
「はぁ・・・此処であったのも、何かの縁だ。ほら、負ぶってやるから背中に乗りな。折角だから、家まで送ってやるよ。アメリアも、あんたを心配しているだろうしな」
「すまねえな、にいちゃん」
ロバードはしゃがんでいる信康の背中になると、信康はしっかりロバードを支えて立ち上がった。信康に背負われながら、自分の家までの道を教えるロバード。この際に信康が口にした一言に、ロバードは気付いていなかった。
その道なりを進む際、ロバードは自分が昔は騎士で子爵にまでなった事とか、これでも当時の第三騎士団では一番強かったとか色々な事を話しだした。
信康はマリーザの情報通りだなと思いつつ話し半分に聞きながら、ロバードの機嫌が損なわれない様に相槌を打った。
そうして歩いていたら、ファンナ地区の平民街にあるロバードの自宅に着いた。
そこそこ敷地面積がある、中規模程度の一軒家であった。流石にルベリロイド子爵邸やドローレス邸の大きさを知ってから見ると、どうしても小さく感じてしまう。
「悪いな、兄ちゃん。此処まで背負ってくれて・・・」
「いや、俺が好きでやった事だ。あんたは気にするな」
信康から降りたロバードは次に信康の肩を借りながら、玄関まで来て扉を軽く叩いた。
「おうい、今帰ったぞ~」
ロバードがそう声をあげると、玄関の扉が開いた。
「お帰りなさい。お父さん、今日も酒を飲んで来たの? って、貴方は・・・ノブヤスさん?」
「よぉ、アメリア?」
扉を開けた先に居たのは、アメリアであった。信康はヴァイツェン子爵邸の披露宴で、ロバードの話を聞いてアメリアの父親である事に気付いていたので驚きはしなかった。信康は心中で、情報を提供してくれたマリーザに感謝した。
「どうして、ノブヤスさんが・・・?」
「お前の親父さんが路上で寝てたから、無視出来なくて連れて来たんだよ」




