第362話
プヨ歴V二十七年六月二十九日。早朝。
カマリッデダル伯爵邸にある訓練場。
その訓練場で横になって寝ている、二人の男女が居た。
「ん、んん~良く寝た・・・・・・」
信康は兵舎に戻らず、カマリッデダル伯爵邸で一夜を明かした。
頭の中は靄が掛かっていたが、信康が目を覚ますと何かがせり上がって来た。
「おはようございます、ノブヤス様」
「・・・・・・ああ、おはよう。シキブ」
まだ眠気が抜け切っていない状態で、信康はシキブに挨拶した。
そして身体を伸ばそうと、腕を動かそうとしたら右手が何かに触れた。
それは髪みたいだった。
髪に触れた事で信康が反射的に、そちらに顔を向ける。
「・・・・・・」
信康の方に顔を向けながら、静かな寝息を立てながら安らかに寝ているステラが居た。
ステラの姿を見てそう言えば昨日は、カマリッデダル伯爵邸に宿泊する形になったと言う事を思い出す。
内心で外泊届を提出して良かったなと思いながら、手を伸ばしてステラの頬を撫でる。
「ん、んん・・・・・・」
スベスベな美肌を撫でても、ステラは起きる気配がない。
「気持ち良さそうに寝ているし、起こすのも無粋だな」
信康は静かに立ち上がると、自分が全裸だという事に気付いた。
部屋を見回したが自分とステラの服が傍で、キチンと折り畳まれて置かれている事が見えた。
「シキブが畳んでくれたのか?」
「はい」
「そうか。助かる」
信康は服を手に取ると、服を着始めた。
腰に鬼鎧の魔剣を差すと、身体を屈伸し始めた。
「んん~さて、どうしようかな」
信康はステラの隣に腰を下ろした。
シキブが後始末をしてくれたのか、昨日の残滓などは無かった。
このまま兵舎に帰っても、問題ないと言えた。
しかし女性をこのままにしておくのもどうかと思い、取り敢えずステラが起きるのを待つ事にした。
数十分後。
「ん、んはぁ~・・・・・・」
ステラが漸く、目を覚めて起床した。
「おはよう」
起きたばかりのステラに、挨拶をする信康。
「ああ、おはよう・・・・・・~~~」
信康と挨拶して直ぐにどうして此処に信康が居るのか思い出したステラは、昨日の事を思い出して思わず顔を赤く紅潮させた。
ステラは慌てて両手で、身体を信康の視線から隠す。
「今更、恥ずかしがる事か?」
「い、良いでしょう別に」
顔を更に赤面させて、そっぽ向くステラ。
信康は折り畳まれたステラの服を渡して、後ろを向いた。
ステラは何も言わず、服を着始めた。
「・・・聞きたいんだけど、其処に居る女性はどなた? うちの侍女じゃあないわよね?」
「ああ、こいつは・・・・・・」
そう聞かれて、信康は返事に困った。
(さて、どう説明したものかな・・・適当に誤魔化してもバレた後が面倒だし、正直に言っちまおうか。少なくともステラはもう俺の女なんだから、教えても何も問題は無いな)
信康がそう思ってシキブをステラに正直に紹介しようと思っていたら、シキブが先に口を開いた。
「ステラ御初に御目御目に掛かります。私はノブヤス様の忠実なる従魔が一体、シキブと申します。種族は不定形の魔性粘液です」
「ああ、そうなの。従魔ね、成程・・・・・・不定形の魔性粘液ッ!?」
ステラは驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げた。
そして、慌てて近くにある馬上槍を取ろうと手を伸ばしたが、信康が先に手を伸ばして馬上槍ランスを取り上げた。
「おっと、物騒な真似は控えてくれよ。そもそもステラが戦った所で、返り討ちに遭うだけだぞ?」
「あ、貴方ね。不定形の魔性粘液なんて危険な魔物を前にして、どうしてそんなに平然としていられるのよ?」
ステラは頼れる馬上槍も無い丸腰の状態でシキブと対面している所為か、身体を僅かに震わせながら信康にそう訊ねていた。
「はぁ。怯え過ぎじゃないか・・・と言うか俺とステラじゃ、危険の認識に相違があるみたいだな。お前は危険な魔物の基準を魔物の強さや能力で見ているみたいだが、俺にとっては全く違う。こうしてシキブは何もしてこないんだから、怯えたり警戒したりする必要は無いだろう?」
信康は手を伸ばして、シキブの肌に触れる。
スベスベとしていて弾力がある美肌。
この世の女性がシキブを見たら、羨望する肌艶と言えるだろう。
「何を其処まで怖がる必要があるんだ?」
「寧ろ怖いと思わない、ノブヤスが異常としか言えないのだけど」
シキブと平然と触れ合う信康の様子を見て、ステラは戦慄していた。
「言っておくけど、もし百人がこの光景を見たら、百人全員が私の味方をするわよ。それだけSS級の魔物は、危険視されているんだからね」
「はっはは。危険ね。だったら教えてやるが俺や故郷の大和では、危険な魔物と言うのは有無を言わず人を襲ったり、話が出来たり知能があるのに襲い掛かる魔物を危険と言うんだがな。どんだけ強くて凄まじい能力を持っていようと、理性的で人を襲わない魔物は危険とは言わないんだよ」
「恐ろしい程、寛容なのね。貴方が居た国は」
「寛容と言うか、理性的と言えるのが美点の一つかもな」
信康は故郷を思い出しているのか、遠い目をした。
「・・・・・・一応聞くけど、人は襲ってはいないのよね?」
「俺が命じたり俺と敵対しない限り、シキブが積極的に人を襲う事は無い。少なくとも自分の欲求を満たす為に、人を襲うなんて考え方は持っていないよ」
信康はそう言ってシキブの安全性を説明すると、ステラは注意深くシキブを注視した。
「・・・だったらもう良いわ。でも暴走はさせたりしない様にね」
「シキブは馬鹿じゃないから、そんな心配は杞憂だな」
「親馬鹿が過ぎるみたいね。忠告するけど従魔ペットの行いは主人に責任が行くんだから、ちゃんと躾けておきなさいよ・・・ふぅ、何だかどっと疲れたわ。お風呂にでも入りましょう」
ステラは溜め息を吐き、扉の方に向かって数歩進むが急に止まった。
「・・・・・・一緒に入る?」
「良いのか?」
「良いわよ。ただし、イヤらしい事は禁止ね」
「へいへい」
信康がそう返事して、振り返りシキブを見る。
「俺の影に戻って良いぞ」
「承知しました」
シキブは一礼してから人型から粘液の姿に変えて、そのまま地面に溶けるみたいに消えた。
「ねぇ、ノブヤス。何処であんな危険・・・凄い魔物を従魔にしたの?」
「う~ん。話すと長いぞ。話さないと駄目か?」
「駄目に決まっているでしょう? 知っちゃった以上、知らないと気が済まないわ。つべこべ言わずに話しなさい」
「・・・分かった。まぁ風呂に入りながらでも話すさ」
二人は訓練場を出て、カマリッデダル伯爵邸に向かった。
プヨ歴V二十七年六月二十九日。朝。
それから二人が食堂で朝食を取るのだが、使用人達は二人の仲を察して生暖かい視線を送り続けていた。
「失礼します」
其処へこのカマリッデダル伯爵邸の執事長である、四十代後半の男性が食堂に入って来た。
「あら、おはよう。どうかしたの? 爺や」
ステラは手を止めて訊ねた。
「はい、おはようございます。ステラ御嬢様。シーザリオン卿が参りました」
「ああ、もう、そんな時間なのね。少し客間で待たせておきなさい」
「畏まりました」
執事長は一礼して部屋を出て行こうとしたら、不意にチラリと信康を見た。
「うん?」
信康が視線に気付き、執事長の顔を見ようとしたがその時には執事長は食堂から出て行っていた。
「あの執事長だが、やっぱり此処に勤めて長いのか?」
「勿論そうよ。私と弟の爺やでもあるのだから・・・私達が生まれた時から、世話をしてくれているのよ」
「そうか。成程」
執事長から見ればカマリッデダル姉弟は、我が子か孫に等しい存在に違いない。それでステラと関係を持った、自分の顔を注視したのかと思った。
「さぁて、今日も張り切って練習をするわよ」
「おう、頼むぜ」
信康は適当に、そう言ってステラに合わせた。
勝敗に其処まで拘っていないので、半ば他人事みたいにそう言っていた。そんな信康の様子を察して、ステラが静かに信康を睨み付けた。
「言っておくけど、ノブヤスが一番の注目株なんだからね? 全力でしないと承知しないわよっ」
「注目株? 俺がか? それって昨日の朝に出た朝刊の所為か」
信康は自分とシーリアに関して書かれていた、昨日の朝に出ていた朝刊の事を思い出して思わず顔を顰めた。
「あのシーリアに勝って、昨日の試合で三人相手に圧勝した時点で、注目しない方が変でしょうが。勿論、リカルドもよ」
「・・・分かったよ。少なくとも、ステラや期待してくれる奴等に応えると誓おう」
信康はそう言って胸を叩いて宣言したので、ステラは漸く安堵した様子を見せた。
(と言ってもまだ、三ヶ月先の話だけどな。この三ヶ月を馬上槍試合の為だけに、過ごす事は無いだろう。出来れば静かに過ごしたいけどなぁ)
信康は心中ではそう思いながら、深々と安寧の日々が来る事を願っていた。




