第351話
一時間後。
「な、なんとか、のりこなせた・・・・・・」
リカルドは自分が目を付けたグラウェンに、鞍が付いていない裸馬の状態で跨っていた。
当初は睨み合いをしていた一人と一頭であったがグラウェンが痺れを切らしリカルドに向かって行徐々に接近して行き、最後に口を大きく開いてリカルドの肩に噛み付いたのだ。
リカルドはグラウェンの咬合力に思わず悲鳴を上げたが、そのお返しとばかりにリカルドはグラウェンの馬首に手を回して絞めた。
グラウェンは一瞬怯んだが、それでもリカルドを噛むのは止めなかった。リカルドも負けじとばかりに、腕に力を込めた。
そのままリカルドとグラウェンの勝負が続くのかと思われたが、グラウェンが根負けしたのか噛むのを止めて身体を激しく揺さ振り出した。
その動きリカルドは一瞬、宙に浮いたが馬首から腕は離さなかった。
何時まで経っても自分の首から腕を離さないリカルドに、業を煮やしたみたいでグラウェンが駈け出した。
振り落とそうと速度を上げて行くが、それでもリカルドは腕を離さなかった。
駆け出した事で身体が横になったのを利用してリカルドは、自分の足をグラウェンの背中に乗せてそのまま馬に跨った。
するとグラウェンはリカルドを振り落とそうと、前足を上げたり宙に後ろ脚を蹴飛ばしたりした。
激しく動くのでリカルドはグラウェンの鬣を握り締めて、落ちない様に太腿に力を入れる。
リカルドを落馬させようとするグラウェン。そのグラウェンを自分を乗り手として、認めさせようと奮闘するリカルド。
一人と一頭の激しい攻防が続いた。
そして、現在に至る。
「おお、お疲れさん」
柵の外で信康は牧場主から出された、チーズを摘みながら手を上げながら言う。
ジーンも相伴に与っていた。
「き、きみらさ。ぼくが、がんばっているのに、なにをのんきに、チーズをたべているのさ?」
「いや、何だ。お前が馬と格闘している間、あまりに暇だったからな。牧場主さんが『うちのジーンが世話になっているからな、これでも食べてくれ』って言って出してくれたから食べていたんだよ」
信康はチーズを食いながら、大きめに切り分けたチーズをリカルドに見せる。
「喰うか?」
「・・・・・・頂くよ」
リカルドは溜め息を吐き、グラウェンから降りるとそのチーズを食べた。
「おっ、結構いけるね。しかも結構しょっぱいから、軍の糧秣にしても問題ないかもしれないね」
「だろう。それに、これは酒にピッタリだ」
そう言って信康は既に片方の手に持っている、酒瓶をリカルドに見せる。
「グラスがないんで、このままで良いか?」
「ああ、丁度喉も乾いていたし助かったよ」
リカルドは酒瓶を受け取ると、そのまま口を付けた。
「んぐ、んぐ・・・・・・ぷふぅ、う~ん。このチーズだと僕は白じゃなくて赤が好きだな」
「ああ、俺もそう思う・・・いきなりだが、一つ聞いて良いか?」
信康がリカルドに唐突に尋ねて来たので、リカルドはチーズを頬張りながら信康の方に視線を向ける。
「お前って何時から自分の事を、僕って言う様になったんだ? 前は俺、だったろう?」
「ああ、それはね。実は昔から僕って言っていたんだけど・・・傭兵の仕事をする時に自分の事をそんな風に言っていると、何か舐められそうだから俺って言う事にしたんだ」
「ふぅん。成程ね」
リカルドは喉を潤したみたいで、酒瓶を信康に返した。
信康は酒瓶に口を付けて、中身を最後まで飲んだ。
飲み干した事を確認するため、酒瓶の中身を覗き込みながら言う。
「別に良いんじゃねえか? お前が言い易い方でさ。俺の知り合い達にも、一人称が僕って奴等は幾等でも居たからな。それでリカルドが自分の事を僕って呼んで馬鹿にする奴が居たら、そいつは見る目が無いと言っている様なもんだぞ」
「そうかな?」
信康はリカルドに、強く首肯して一人称の修正を勧めた。
「・・・・・・そうかもね。ヒルダも『あんたに俺は似合わないから、昔みたいに僕って言いなさいよ』ってよく言われてたからさ」
信康はリカルドの話を聞いて、流石は幼馴染だけあって良く見ているなとヒルダレイアを褒めた。
「じゃあお言葉に甘えて、今度から僕って呼ぶ事にするよ」
「それが良いぞ」
リカルドと信康が談笑していると、牧場主がやって来た。
「おおお、本当に乗り熟すとは」
「はい。じゃあ、これをお借りしますね」
「ああ。こちらこそ、御願いする。それとうちの従業員に鞍を持って来させるから、ついでだから乗って帰りなさい」
牧場主からの好意に、リカルドは思わず笑みを浮かべた。
「賃貸料とか取らないけど、豊穣天覧会が終わったら返却してくれよ」
「分かりました。後、もう一つ聞いても良いですか?」
リカルドは前置きをしつつ、牧場主に気になる事を尋ねてみた。
「このグラウェンの、名前の由来ってあったりしますか?」
リカルドはグラウェンを撫でながら、牧場主に名前の由来を尋ねた。
「ああ、そう言えば言っていなかったな。グラウェンはな、父親の名前から因んでいるんだよ」
「父親の馬から、ですか?」
「ああ、そうだ。何でも父方の馬が名馬グラニの血を引いた馬と言う事で、それに合わせて名付けたんだ」
「名馬グラニの血を引く馬か」
リカルドが感激しながら、グラウェンの身体を撫でる。
名馬グラニとは北欧地方に生息している八本足の馬として有名な、多脚魔馬と言う魔馬の一種の事である。北欧の英雄として名高い、ザイフリートの愛馬で知られている。
「良かったな、良い馬を手に入れて」
「ああ、本当にそう思うよ」
信康はリカルドの肩を叩くと、リカルドは嬉しそうな顔をした。
近い将来このグラウェンは正式にリカルドの愛騎の一頭となり、幾つもの戦場を共にする事となる。
プヨ歴V二十七年六月二十七日。昼。
信康とリカルドは早速借りた馬に跨りながら、カマリッデダル伯爵邸へと帰路に付いていた。
ジーンは「今日はこっちで世話になる。外泊届は出しているから問題ない」と言っていたので、牧場で別れた。
信康は斬影とは違う生身の馬上を堪能しつつ、リカルドと他愛のない話をしながらブルーサンダーを歩かせていた。
そうして二人は、カマリッデダル伯爵邸へと到着した。
それぞれの愛馬を使用人に預けて、信康とリカルドはステラに挨拶に向かった。するとステラから昼食を用意したから食べたら休憩する様に言われたので、昼食を食べ終えてから借りている部屋に戻った。
信康が部屋に戻ると、シキブから手紙を渡された。
信康はシキブから預かった手紙を開封した。
『これで許したと思うなよ。また来るからな。ディアサハ』
手紙の内容は、その一文だけだった。
ディアサハの手紙を読み終えて、信康は思わず苦笑する。
読み終えた手紙を懐に仕舞うと、ステラに呼ばれるまで休憩をする事にした。




