第342話
プヨ歴V二十七年六月二十六日。朝。
プヨ王宮の一室では、祝賀会が開催されていた。
祝賀会の目的は勿論、信康とリカルドの聖騎士位を叙勲した事を祝う為だ。
祝賀会自体は全体的に見れば小規模程度ではあったが、弱小貴族では開催出来ない程に立派なものだった。
其処には主賓である筈の信康とリカルドは、祝賀会の片隅で一緒に行動していた。
「おい、リカルド。もっと肩の力を抜けって。そんなんじゃ折角用意された酒も飯も、何一つ味が分からねぇだろ?」
「俺からしたらそうやって平然と料理を食べてる、ノブヤスの方が信じられないよ・・・」
信康は料理を山盛り載せた皿を片手に持ち、ローストビーフを美味しそうに頬張っていた。
そんな信康の食事風景を、リカルドは化物にでも遭遇したが如き視線を向けていた。
「ごくっ・・・全く、そんなんじゃ先が思いやられるな。リカルド、俺達の周りをこそっと見渡してみろ。状況を分かっているのか?」
「うっ、それは・・・」
ローストビーフを飲み込んだ信康は、リカルドに周囲を見渡す様に言った。
するとリカルドは躊躇しつつ、周囲を見渡してみた。
すると其処には老若男女問わず、隣に居る人物同士で静かな睨み合いを続けていた。
「誰が俺達に先に声掛けするか、牽制し合っているのさ。今はこのままでも、一人声を掛けて来たら雪崩みたいに声を掛けて来るぞ。お前個人がどうこうされる分には、正直言ってどうでも良いけど・・・生半な気持ちで返事をしたら、お前は喰われ放題だって理解しろよ?」
「分かっているよ。だからノブヤスにお願いしたいんじゃないか。俺の分も含めて、相手を頼むよ」
子犬が泣きそうな弱弱しい声で、信康にそう懇願するリカルド。
そんなリカルドの様子を見て、信康は溜息しか吐けなかった。
「・・・借り一つな。それと最終的な返事はお前がしないと駄目なんだから、はっきり言えよ? 『軍務の都合もあるので、何れ機会があれば』とかで良いからそう言え」
「分かった。ありがとう、ノブヤス」
リカルドが嬉しそうに信康に感謝すると、信康は小さく溜息を吐いた。
其処へ二人を囲っている貴族達の集団から、一人の美女が前に出て来た。その美女は信康とリカルドの二人にとって、見覚えのある顔だった。
「御機嫌よう、御二方」
信康とリカルドへの挨拶競争で、口火を切ったのはマリーザだった。
マリーザは肩と背中を大きく露出し、胸元も大胆に開かれた紫色のドレスを着用していた。
更に両耳には紫水晶の耳飾りがあり、胸元には金剛石の首飾りも着用している。
マリーザが登場した事で、貴族達の間にざわざわとざわめきが起こった。そして貴族達の間に、陰口混じりでヒソヒソと会話する声が漏れて来た。
「あれは確か、ルベリロイド子爵家の御令嬢か」
「違う。最近陞爵して、伯爵家になったそうだ」
「・・・ふん。成り上がり者の小娘が、これで益々図に乗るのであろうな」
信康とリカルドはそれを耳にしてピクッと眉を潜めるが、マリーザは顔色一つ変えずに二人の前まで移動して立ち止まった。
「先ずは聖騎士就任の一件、心からお祝い申し上げますわ」
マリーザはそう言うと、信康とリカルドに一礼した。
「ルベリロイド嬢。御丁寧な挨拶、痛み入ります」
「ありがとう。マリィこそ伯爵位、陞爵おめでとう。良かったな」
マリーザにそう答えて、リカルドと信康も即座に答礼を返した。
それから信康は忘れる事無く、伯爵位に陞爵した事に祝言を贈った。
「ありがとう、ノブヤス。貴方に祝って頂けて、とても嬉しいわ」
信康から伯爵位に陞爵した事に祝言を送られたマリーザは、両頬を僅かながら赤く染めて喜んだ。
「・・・コホン。所で、マリィしか居ないのか? 今思えば、お前の爺さんや親父さんとか他の御家族には会った事が無いが・・・」
信康はキョロキョロと室内を見渡したが、マリーザに同伴していると思われる人物は見当たらなかった。常にマリーザと付き添っているダリアは、他の部屋で待機しているので一緒に行動していない。
「申し訳ありません。祖父も父もお仕事でいらっしゃらないの。わたくしだけでもノブヤスを祝ってあげたくて、アリス姫様にお頼みして参加させて頂いたのです」
「いやいや、別に良いんだよ。急いで会わないといけない理由も無いし・・・それにマリィの綺麗な姿が見れただけでも、眼福って奴さ」
マリーザから家族の不在理由を聞いた信康は慌ててそう言うと、マリーザは両眼を見開いた後に両頬を赤く染めた。
「ふふっ、御上手なのですから・・・おっと、いけませんわね。わたくし一人でノブヤスをこれ以上一人占めしたら、不必要に怨まれそうです。わたくしはこの辺で、失礼させて頂きますわね」
マリーザは綺麗に一礼すると、その場を離れて行った。其処へリカルドが、信康にこそっと話し掛けて来た。
「・・・マリーザ、ノブヤスの事しか見て無かったね」
「そう落ち込む事は無いぞ。今から嫌でも、貴族達に見て話して貰えるからな」
「・・・え?」
リカルドがそう呟くと同時に、一斉に周囲に居た貴族達が一歩踏み出した音が室内に響いた。
プヨ歴V二十七年六月二十六日。昼。
信康が疲れた表情を浮かべて、ヒョント地区を歩いていた。
信康達は祝賀会を終えた後、そそくさと私服に着替えてプヨ王宮から脱出していた。
祝賀会の方だがマリーザとの談話を終えると、貴族達が我先に言わんばかりに信康とリカルドに群がって来たのだ。
大勢の貴族から次々と自己紹介され、武勇伝の話を強請られた。
それだけならば、寧ろまだ良かったと言えた。
貴族達は明らかに信康とリカルドを自家に取り込もうと言う魂胆が見え透いており、二人はげんなりする他に無かった。
そして信康だけは、リカルドの所為で更に疲労する羽目となった。
何故なら人が良いリカルドが、何度も貴族達の要望にはいと答えそうになったからだ。
その度に信康がリカルドの足を思い切り蹴るか踏み付けて、それを阻止する動きに回る羽目となった。
それで祝賀会が終わった後に苛立った信康がリカルドの臀部に向かって蹴りを入れたのだが、リカルドが犯しかけた失態を知れば、責める事は出来ないと言えるだろう。
事実として信康に蹴られたリカルドも、信康を責めようとは思わず寧ろ感謝しつつ平謝り状態であった。
そしてリカルドだけは私服に着替えると、一人だけ逃げる様に先に傭兵部隊の兵舎に帰っていた。
「はっはっはっはっ。随分と貴族達に揉まれまくっていたみたいだなぁ」
信康の背後を歩きながら、ヘルムートは笑っていた。そんなヘルムートは笑声を無視して、信康はある事を思案していた。
(今回の祝賀会の方だが、高くても伯爵までの当主しか居なかったな。公爵や侯爵家の当主は居なくて、その婦人や三女以降の娘だけが参加していた・・・)
信康は祝賀会の出席者が持っていた爵位や肩書を思い出しながら、ある結論に辿り着いた。
(一代爵位で子孫に世襲出来ない聖騎士位だと、そうなるのも当然と言えるか。大方、自家に取り込んで影響力を増やせれば万々歳。聖騎士の素質を持つ男の血を取り込めたら、子孫は繁栄するかも・・・って考え事なんだろうな)
信康はそう思いながら歩いていると、隣から声を掛けられた。
「ちょっと、ノブヤス。何急に黙り込んでいるのよっ」
声を掛けられた信康は思案するのを止めて、声がした方向へ振り向いた。其処にはクラウディアとフラムヴェル、シャナレイの三人が居た。
信康は平然とした様子でクラウディア達に対応していたが、隣に居るヘルムートは緊張を隠せなかった。
「それはそうと、お前等は何で俺達と一緒に居るんだよ?」
「あたし達が何処へ向かおうと、そんなの勝手じゃない」
信康は怪訝そうな表情を浮かべてそう言うと、クラウディアは鼻を鳴らしてそう言った。フラムヴェルとシャナレイも、首肯して頷いていた。
「ノブヤス中隊長っ! 総隊長達も此処に居られましたかっ!?」
其処へマジョルコムが、愛騎の魔馬人形に乗って信康達の下へ全速力で駆け付けて来た。驚いた信康達だったが、マジョルコムの次の発言を聞いて更に驚く事になる。
「兵舎の前に第三騎士団の団員達が来ていて、リカルド副隊長達と揉めているんですっ!」
「な、何だとぉっ!?」
マジョルコムの報告を聞いて、信康達は騒然となった。そして傭兵部隊の兵舎へ向かうべく、駆け出した。しかし直ぐに信康がクラウディア達に止まる様に言うと、足を止めて一斉に信康の方へ振り向いた。
「ちょっと、急がなくて良いの?」
「ああ、そう急がなくても良いだろう。それにどうせやるなら、面白くなる様にしないとな」
そう言う信康の中指と人差し指の間には、ある物が挟まれていた。
そして悪い笑みを浮かべる信康の表情を見たクラウディア達は、また何か悪い事を思い付いたなと思った。




