第320話
カロキヤ公国の諜報員達がアマルティアの片角亭に集結する、数十分前。
近衛師団傘下の警備部隊の隊員達が、アマルティアの片角亭を見張っていた。其処へ総指揮を執るビュッコックと、通報した信康が話をしていた。
「本当にあの店が、カロキヤの諜報機関の本拠地なのか? 儂は以前あの店でアリー達と共に、美味い兎肉のミートパイと鹿肉のステーキを食べた事があるのじゃが・・・」
「残念な話だけど、俺も下調べして確認したから間違いない。頼りになる協力者も居る事だしな」
信康はそう言うと、背後に控えているミレディを見た。
「ミレディ。確認だがあの店に居る奴等は全員、カロキヤの諜報員で間違いないな?」
「ええ、本当よ。人数は全員で四人居るわ。それとまだあの店に来ていない店員達は、皆ただのアルバイトよ。これが名簿リストだから、後で調べたら良いわ」
ミレディはそう言うと、ビュッコックに名簿を手渡した。ビュッコックは一通り確認した後、部下の隊員を一人呼び寄せた。
「お主は一度本部に戻り、この名簿リストの店員達を調べる様に言っておけ」
「はっ」
ビュッコックの命令を受けた隊員は、敬礼してから駆け足でその場を立ち去った。
「じゃあ私も、そろそろ行って来るわね」
「おう、頼んだぞ。無茶はしなくても良いからな」
信康の慮った発言を聞いてミレディが微笑みながらウィンクした後、路地裏から出て行きアマルティアの片角亭へと向かった。ミレディを見届けながら、ビュッコックは信康に話し掛ける。
「あのミレディと言う女だが、お主の部下なのか?」
「今はそんな感じだけど、その前はカロキヤに金で雇われた自由業の密偵だったんだ。勧誘したら、すんなり応じたぞ」
信康の説明を聞いて、ビュッコックは驚きを隠せなかった。
「しかしお主は何故、自分の部隊で捕り物を行わなかったのだ? 警備部隊わしたちに通報などせずに自分の手で摘発出来れば、それはお主の功績になったであろうに」
「ああ、それは簡単だ。一つは報恩だな。ビュッコックのおやっさん。あんたはハンバードと一緒に、俺が釈放される様に手伝ってくれたんだろう? その礼さ。それに・・・」
「それに?」
信康は其処まで言うと、ビュッコックの近くまで顔を寄せた。そしてビュッコックが驚く発言をした。
「あんたの警備部隊だが・・・一週間位前に傭兵部隊から施設警備の任務を引き継いだ時に、機密情報を盗まれてたろ? 汚名返上に名誉挽回の機会が必要なんじゃないのか?」
「お、お主っ!? どうしてその事を・・・・・・っ・・・いや、最早それはどうでも良いか。確かに六日前の失態を拭う為にも、手柄が必要だったのだ。怪盗事件でも成果を上げられぬ辛い現状にあった警備部隊にとって、お主からの通報はまさに渡りに船と言えたんじゃ」
「(怪盗事件って何だ?)・・・そりゃ良かった。まぁこう言う類いの任務は本当なら特警の管轄なんだろうが・・・不可抗力とは言え、俺を逮捕した奴等に花を持たせたくなかったからな」
信康の心情を聞いたビュッコックは、きょとんとした表情を浮かべた後に高笑いを始めた。そして一通り笑い終わった頃に、警備部隊の隊員がビュッコックに包囲完了の報告をした。
「そうか。では笛を鳴らして、諜報員共に包囲されている事を教えてやれ」
ビュッコックはそう命じると、報告に来た警備部隊の隊員は敬礼してから持ち場に戻った。そして少しすると、笛の音が聞こえて来た。
「これでこっちは良いな」
信康はそう判断すると、ビュッコックに声を掛けた。
「それじゃビュッコックのおやっさん。突入部隊だけ残して、残りはあんたと一緒に俺に付いて来てくれるか?」
「良かろう。巣穴の獲物を狩る時は、穴を全て潰すのが鉄則じゃからな」
ビュッコックはそう言うと、警備部隊を纏めるべくその場を離れた。ビュッコックが離れたと同時に、信康の影が揺らめき出した。
「御主人様。カロキヤの諜報員達ですが、ミレディを殿軍に残して抜け道から逃走を図っております」
「そうか。報告、御苦労」
信康が労うとシキブは何も言わずに、信康の影の中に潜り込んだ。
「さて、逃げられる前に移動するか」
信康がビュッコックと話をしていた頃の、アマルティアの片角亭。
「どうする? 店の外は完全に包囲されて逃げる事も出来ねえぞっ」
店の窓から外の様子を窺う、ミレディ達。其処へ店内の奥から、穴熊が革製の黒い鞄を持ってやって来た。
「待たせたな。全員、此処は逃げるぞ」
「室長、方法はあるのか?」
穴熊の方針を聞いて、蜘蛛が尋ねてみた。
すると穴熊は黙って自分について来る様に言うと、ミレディ達は穴熊の後を付いて行った。
穴熊の後を付いて行くと、店の一角に到着した。そして机を退けるとその下の床には持ち手が付いており、穴熊はその持ち手を持ち上げる。
持ち上がった床は、縦に開いた穴があった。
「こうなった時に備えて、退路は確保済みだ。更に内側から施錠が出来るから、多少は時間稼ぎにもなる。分かったら、黙って俺に付いて来い」
「おおっ! 流石は室長だっ。良しっ、じゃあ行くぞ」
「ちょっと待って」
暗剣達は歓声を上げて穴熊に付いて行こうとしたが、その流れをある人物が止めた。その人物とは、ミレディであった。
「ミレディ、どうかしたか?」
「内側から施錠出来るって言っても、ぶち破られたら意味ないわよ。誰かが殿軍になって、時間稼ぎしない駄目よ」
「それなら問題ない。施錠した後、用意した火薬を爆発させて入口を崩落させる。そうすれば警備部隊も俺達を追跡出来ない」
「なっ、それは凄い。こんな突発的な状況で、其処まで備えられていたなんて」
「諜報員スパイって奴は、何時捕まるか分からんからな。常に退路は確保しておくものだ」
穴熊は諜報員としての心構えを解くと、暗剣達は感嘆した様子で息を漏らした。
「だったら尚更、私は残って足止め役になるわ」
「何を言っているんだ、ミレディ。入口を爆破してしまえば、プヨは追跡する術を失うんだぞ。残る必要など、何処にあると言うんだ」
「爆破すると言っても、導火線に火を着けてある程度離れなきゃいけないじゃない。その間の時間稼ぎを、私がすると言っているのよ」
ミレディの説明を聞いて漸く穴熊達は、ミレディが頑なに殿軍役を買って出る理由が分かった。
「それにこの先も逃げるにしても、追跡が無くなる訳じゃないわ。いざって時に戦闘力が無いと、逃げ切れないでしょう? だったらこの中で一番弱い私は置いて行った方が、後々楽なのは明白よ」
「・・・・・・確かにな」
穴熊が納得した様に頷くが、対称的に暗剣達は不満そうな顔をしていた。
三人共揃って、ミレディに好意を持っているからだ。
そんな三人を見て微笑むミレディ。
「大丈夫よ。この前みたいに、隙を見つけて逃げ出すから」
「そうか。じゃあ、任せたぞ」
穴熊はそう言って先にその穴の中に入って行き、暗剣達もその後に続いた。
そして穴熊が抜け穴を閉じると、カチッと施錠する音がミレディの耳に入って来た。
「・・・・・・ねぇ、居るんでしょう?」
ミレディが誰も居ないのに、声を掛ける。
するとミレディの影から、シキブが出て来た。
「御主人様に予定通り、逃げ出したって報告してくれる?」
「分かりました」
シキブは即座に影に潜り込んだ。すると其処へ警備部隊の突入部隊が、店内に雪崩込んで来た。
「あんたは総隊長が言っていた、例の女だな。他の諜報員共はどうしたんだ?」
「それなんだけど、予定通り抜け道から脱出して言ったわ。ただ・・・」
ミレディは穴熊が火薬に火を点火して入口を爆発によって崩落させると伝えると、突入部隊は騒然となった。
「ちっ。だったらじっとして居られないな。総員、直ぐに店から退避だっ! それと延焼に備えて、消火の準備もするぞっ!!」
突入部隊の指揮官はそう言って的確に指示を出して、急ぎミレディも連れてアマルティアの片角亭から退店した。
すると突入部隊の隊員達が全員アマルティアの片角亭から退店して間も無く、店内から爆発音が聞こえて来た。
ミレディと別れた穴熊達は、抜け道を進んでいた。
「はぁ、はぁ・・・・・・」
穴熊達は走りながら、時折後ろを振り返る。
「まだ来てないか?」
「・・・・・・ああ、大丈夫だ」
穴熊達は足を止めて、息を整えながら後ろを振り返る。
足音も影も見えない事を確認してから答えた。
「くそっ、ミレディを犠牲にする事になるとは」
「だがミレディなら大丈夫だろう」
暗剣がミレディと別れた事に悲しんでいると、蜘蛛がそれを慰めた。
抜け道を降りた穴熊は、即座に火薬を設置して入口を爆破させた。
爆破した入口を確認などせずに逃走した為に結果は不明だが、爆発音はしたので確実に爆破したと思われた。その際に爆破音が小さいと穴熊は思ったが、確認する余裕など無かった。
因みに言うと穴熊が爆破音が小さいと思ったは、間違いでは無かった。何故なら火薬が爆発する直前で、シキブが覆った事でアマルティアの片角亭の被害は皆無だったからだ。
抜け道の入口も当然無事だったのだが警備部隊が警戒したのとビュッコックの命令により追跡はせず、店内に待機するに留まっていたから穴熊達は終われずに逃走出来ていた。
「室長。これから、俺達はどうするんだ?」
「・・・・・・今の俺達では任務継続は不可能だ。アグレブ経由でカロキヤに帰国するぞ」
「「「っ・・・了解」」」
穴熊がそう答えたのを聞いて暗剣達は、一瞬だけ言葉を詰まらせるが直ぐに頷いた。
流石に自分達だけで捕まっている仲間達を、救出する事は出来ない事は分かっているからだ。
だからこそ穴熊は、宝石達を見捨てると言う判断をする事にしたのだ。
「だが幸いにも、この異次元倉庫には俺達の成果が集積されている。そして当座の金もだ」
「ああ、回収出来て何よりだった」
警備部隊に突然包囲されていたにも関わらず、プヨ王国から盗み出した機密情報と資金を確保出来た穴熊。
この危機管理の高さなどは、長年に渡りプヨ王国に潜入しているだけの実力を見せ付けていた。
「油断するな。俺達がカロキヤに帰れなければ、全てが無駄になる」
穴熊がそう言うと、暗剣達は気を引きして首肯した。
抜け道を進んで行くと、漸く明かりが見えて来た。
穴熊達は駆け出すと、縦穴がある場所に出た。
「此処は店から少し離れた場所にある、放置された古井戸と繋がっている。あの縄から上がれる様になっているから、行くぞ」
穴熊がそう言った通りに指差した先には、縦穴へと通じる縄が垂れていた。
先に暗剣が縄を取って上へと上がって行き、その後を蜘蛛、蜂、穴熊が続いた。
穴熊達は縄を伝ってそのまま上へと上がり続けて行き、暗剣が漸く井戸の縁に手を掛けた。
井戸から出て、次々と穴熊達を暗剣が引っ張り上げた。
「これで良し。このまま急いで、王都を脱出するぞ」
穴熊がそう言うと、暗剣達は一斉に首肯した。すると次の瞬間、大量の矢が穴熊達の足元に刺さった。
「残念だが、其処までだ」
「我が国を内側から食い荒らす諜報員共。大人しく観念せぃっ!」
二人はその声がした方に顔を向けると、其処には信康とビュッコックが居た。
「このまま大人しく捕まってくれるか? そうしてくれた方が、お互いの為だぞ」
「誰がっ」
信康がそう言うと蜂が懐から吹き矢筒を出して、その吹き矢筒の先を信康に向けて吹いた。
吹き矢筒の先から吹き矢が飛び出たが、信康は鬼鎧の魔剣でその吹き矢を弾いた。
「なっ!?」
「無駄な抵抗をするでない。貴様等は既に、完全に包囲されているのだからな」
ビュッコックがそう言って手を挙げると、物陰に隠れていた警備部隊の隊員達が出て来て穴熊達を包囲した。
「し、室長っ!」
「・・・・・・どうして此処が分かったっ? この場所を知っているのは、俺以外に宝石だけだぞ?」
穴熊がそう言い出したので、信康は呆れた様子で溜息を吐いた。
何故信康がこの古井戸について知っているのかと言うと、単純にシキブが調査した事で知れただけだ。
抜け穴の先が此処に通じている事を知ってたので、信康はビュッコック達を連れて来ただけである。
「誰が知っているとか、そんなに重要な事か?」
「儂はそうは思わぬな。重要なのは儂等がこの古井戸を知っていたお陰で、貴様等を追い詰められていると言う事実だけよ」
「ぬ、ぬううううっ!?」
信康とビュッコックの会話内容を聞いて、反論出来ない穴熊。
「もう良いだろう? 見て分かる様に、お前等は完全に包囲されて逃場なんざないんだよ。それとも全滅覚悟で、血路でも開いてみるか?」
信康がそう言うと、鬼鎧の魔剣を抜刀した。ビュッコックも合図をすると、警備部隊は一斉に得物の刃先を穴熊達に向けた。
「・・・全員、持っている物を全部捨てろ。無念だが、俺達も此処までみたいだ」
絶体絶命の死地に立たされたと悟った穴熊は、両手に持っていた得物と異次元倉庫の鞄を捨てて両手を上げて投降した。
暗剣達は穴熊の判断に抗議しようとしたが、逆転は不可能と悟り遅れて得物を捨てて投降する。
穴熊達が投降したのを見て、ビュッコックは捕縛する様に隊員達に命じた。
警備部隊に捕縛された穴熊達を移動させようと信康とビュッコックの隣を移動した際に、信康は穴熊に声を掛けた。
「穴熊・・・いや、店長。あんたが作る野生鳥獣ジビエ料理、俺は好きだったんだけどなぁ・・・残念だよ。本当に」
「・・・ふっ、そうか」
信康は本心からそう言って穴熊の肩を優しく叩くと、穴熊は顔を上げて信康を見た後に複雑そうな笑みを浮かべた。
するとビュッコックや一部の隊員達も同様の思いを抱いていたのか、複雑な表情を浮かべて穴熊を見詰めていた。
「・・・・・・取り敢えず、これで一件落着だな」
穴熊達を見送った後に、信康は気持ちを切り替えてそうビュッコックに話し掛けた。
するとビュッコックは返事をせずに警備部隊の隊員達を集めて、信康の前に整列させた。突然過ぎる行動に、流石の信康も困惑せざるを得ない。
「ノブヤス・・・いや、ノブヤス少佐。貴官の粋な真心により、我々警備部隊の名誉は回復された。警備部隊を代表して、心から感謝するっ!」
ビュッコックはそう言って信康に見事な敬礼を見せると、警備部隊の隊員達も一斉に信康に向かって敬礼した。
「・・・い、いやぁその、別に其処まで感謝される事でもないんだがなぁ」
信康はそう言って、困った様子で頬を掻いていた。実際にザボニーを陥れる為だけに、機密情報を盗んで余計な失態を警備部隊には背負わせている。
その事実に負い目を感じた信康が今回の件で少しでも償いになればと言う軽い気持ちでしているだけなので、此処まで深く感謝されては逆に居た堪れなくなってしまうのだ。
「ま、まぁもし恩を感じるんだったら、またアリー達と一緒に食事めしでも食おうぜっ、じゃあなっ。お疲れさんっ!」
信康は逃げる様にその場を後にしたが、ビュッコックは遠ざかる信康の背中に向かって見えなくなるまで敬礼して見送ったのだった。




