第310話
プヨ歴V二十七年六月二十一日。夕方。
信康は午後の訓練を何時もより早く切り上げさせて第二中隊を解散させると、ミレディから聞いたカロキヤ公国の諜報機関の本拠地の調査に乗り出そうと考えていた。
「お疲れ、ノブヤス」
「お疲れ様、オバちゃん」
傭兵部隊の兵舎を管理する、中年女性の管理人が信康に声を掛けた。ただの挨拶かと思えば、どうやら違うみたいだ。
「あんた宛てに、手紙が届いたよ」
「手紙?」
信康はその手紙を受け取るが、その場で開けないで自分の部屋に戻り手紙を開けた。
開けた手紙を目を通す信康。その手紙の送り主は、アニシュザードだった。
『ノブヤスへ
待たせて悪かったわね。
ザボニーの引き渡し先だけど、やっぱり宗家のアーダーベルト公爵家にする事にしたわ。
でもヒルハイム侯爵家の方も巻き込んで、両家に恩を売り付けてやろうと思うのよ。
交渉するにもザボニーの身柄が必要だから、なるべく早く私に引き渡して頂戴。
それと今後の事なのだけど、貸し借りも無くなっちゃったから何かあったら正式に依頼をさせて貰う事にするわ。ちゃんと報酬も出すから、その時はよろしくね♥
アニシュザード・アマンモデウス』
(引き渡し先は、アーダーベルト公爵家にしたか。しかしヒルハイム侯爵家にも、恩を売り付けるだと?・・・まぁアイシャが好きな様にすれば良いか。俺には関係無い話だからな)
信康はアニシュザード手紙を読みながらそう思い、ザボニーの一件は一先ずこれで良いなと思った。
「よし。後はカロキヤの諜報員共を片付けるだけだな。本拠地アジトも聞いているから、下見に行くか」
信康は鬼鎧の魔剣を腰に差して立ち上がったが、次の瞬間に致命的な事を思い出してしまった。
「・・・・・・俺が直接行けば、直ぐに顔バレしかねないか」
信康はそう言うと、溜息を吐いた。冤罪事件と海の貴族捕縛の一件で、信康の存在は既に王都では良く知れ渡っていた。
新聞に載っているのは飽くまで似顔絵なのだが、それでも信康の存在を認識されたら即座にカロキヤ公国の諜報員は本拠地を放棄する懸念があった。
「・・・取り敢えず、其処は変装すれば問題は無いか。それに俺一人で行くよりも誰か女を連れて、逢瀬をしていると思わせた方が警戒心が解けるかもな」
信康は妙案だとばかりに早速、連れて行く相手候補の選定を脳内で始めた。
その候補とは第二中隊からはルノワ、トモエ、サンジェルマン姉妹、レムリーア、ジーン、鈴猫リンマオ、コニゼリア、縫、トレニアの十名。他の中隊からはヒルダレイア、ティファ、ライナ、サンドラの四名だ。
しかしそれだけ候補者を選出しておきながら、信康は直ぐに却下した。
「どいつもこいつも無駄に目立ち過ぎて、却って支障を来たしかねないか。こう考えると、潜入に向いている女は居ないな」
どうしたものかと、頭を悩ませる信康。
「・・・・・・そうだ。あいつ・・・なら、大丈夫か」
信康は頭の中に、一人の美女が思い浮かんだ。
「キャロルやカルレアとかに頼もうかとも思ったが、いざと言う時は危険に晒したくないからな。それにあいつ・・・には貸しがあるし、腕も立ちそうだから問題は無さそうだ。良い機会だから、俺も貸しの清算しに行くか」
信康は満足気にそう言うと、部屋を退室してある場所へと向かった。
部屋を退室した信康は中年女性の管理人に外泊届を提出してから、斬影に騎乗して兵舎を出た。
斬影を掛けさせて向かった先は、ケソン地区にあるカルレアのアパートメントであった。
勝手知ったる他人の家とばかりに信康はカルレアのアパートメントの敷地内に入ると、斬影から下馬してそのまま二階に上がって二〇五号室の前まで来た。
信康は礼儀として、二〇五号室の扉を三回叩いた。
叩いて少しすると、声が聞こえて来た。
「はぁい。どなた様ですか?」
「俺だ」
「えっ?・・・その声は、ノブヤスさんっ?!」
二〇五号室の主はそう叫ぶと、慌てて扉を開けた。
「ど、どうも」
扉を開けた先に居たのは、ブラベッドであった。
「よっ、昨日振りだな」
「そうですね。それで、今日は何の御用で来たのですか?」
「ああ、それなんだがよ」
信康は顔をズイッと近付け、ブラベッドの目を見る。
ブラベッドは思わず、身を引いた。
「・・・・・・お前。俺に貸しを作ってたよな?」
「へ? 何の事で事でしょうか?」
ブラベッドは目を泳がせながら答えた。
それでは何か有ると言っている様なものだと、内心で呆れる信康。
そしてブラベッドの様子を見て、自分の記憶に間違いが無い事を察した。
「い~や、あるだろう。お前がカルレアの護衛を持ち掛けた時に、俺は言った筈だぞ。負けてやるから、俺に付き合えと」
「そ、そんな事もありましたね~あ、あははっ」
ブラベッドは冷汗を流しながら笑い出した。
「と言う訳で、早速だが今日は俺に付き合え。まさか、もう時効とか言わないよな?」
「は、はっはは、まさか」
ブラベッドは口元を引きつらせながら笑った。
「だったら、付き合え。心配するな。取って喰うという事はしない。ちょっと食事めしに付き合って貰うだけだ」
「・・・・・・本当にそれだけですか?」
ブラベッドの質問に、信康は首肯した。しかしブラベッドは疑り深いのか、再び訊ねて来た。
「本当に本当ですか?」
「しつこいぞ。俺に押し倒されるか、さっさと外出の準備をして来るか選べ」
信康はそう言うと、ブラベッドの頭に手刀を叩き込んだ。
「ひゃぁっ!? わわ、分かりましたよっ。直ぐに準備して来ますから、ちょっとだけ待ってて下さいっ!」
ブラベッドはそう言うと。慌てて扉を閉じて部屋に戻って行った。
急いで準備しているのが、扉越しでも聞こえる音で良く分かる。
しかし信康はそんな事よりも、ある事に関心が集中していた。
「俺、結構強く叩いた心算だったんだが・・・ブラベッドの奴、平然とした様子だったな」
信康はブラベッドの頭に手刀を叩き込んだ、自身の右手を見ながらそう言っていた。
ブラベッドは信康の手刀を受けても、顔色一つ変えていなかったのが印象深かった。
信康がそうして待っている内に、ブラベッドの準備が終わったので共にアパートメントを出る。ブラベッドは相乗りで斬影に騎乗しており、背後から信康にある事を尋ねていた。
「それでノブヤスさん。何処に行くんですか?」
「ええっとな、確か・・・ケル地区のアマルティアの片角亭と言う名前の飲食店だ」
「おおっ。あの飲食店ですか」
ブラベッドがアマルティアの片角亭の名前を聞いて、声色に歓喜の色が見えた信康。其処で幾つか質問すると、ブラベッドは以前にも来店した経験があるのか色々と教えてくれた。
「野生鳥獣ジビエの専門店なんですよ。牛とか豚みたいな家畜の肉は出さないんですけど、代わりに山菜を添えた熊や鹿、猪、兎、野鳥の美味しい料理を出してくれるんですよねぇ」
「ほう、そうなのか?」
「ただ、お酒の方は今一つですね。果実酒は美味しいのですが、麦酒とか他のお酒は美味しくないんですよ~」
「そうか」
ブラベッドの話を聞いて、信康は笑みを浮かべた。
山菜、鹿、猪、兎、熊に野鳥。
どれも山地で入手する事が可能な、山の幸と言える食材だ。
しかしプヨ王国でまともに山と言えるのは、シンラギ王国に隣接する東部とカロキヤ公国に隣接する北部だけだ。
プヨ王国では地方ならば野生鳥獣は森林などで狩猟によって消費されるが、都市部となると家畜肉が主に消費される。
王都アンシにおいて野生鳥獣料理は比較的珍しいので、客足はそこそこあるとブラベッドは信康に教えてくれた。
そしてシンラギ王国とカロキヤ公国、どちらがプヨ王国に対して諜報活動をするかと問われたら後者しかない。
現在プヨ王国と戦争中である、カロキヤ公国だけだ。
(その店の食品は、全部カロキヤ産の食品を使っていると見た方が良いな。情報を収集しつつ更にその食品を売った金はカロキヤにも送金する。地味だが、一挙両得の良い手だ)
そう思いながら信康はブラベッドの話を聞きつつ、アマルティアの片角亭へ向かって斬影を歩かせていた。




