第309話
折角再会したのだから何時までも道端で話すのは無粋だと思った信康は、クラウディアとシギュンを兵舎にある自分の部屋まで招待した。
「お前等に会えて嬉しいが、どうして王都に居るんだ?」
信康は二人に訪ねながら、椅子の形になっているシキブに座った。
更にシキブはクラウディアとシギュンの為にも椅子となり、更に淹れ立てのお茶まで用意してくれた。
しかしクラウディアもシギュンも、お茶を飲みながら忙しなく信康の私室を見渡していた。
「「・・・・・・・・・・・・」」
物珍しそうにクラウディアとシギュンは信康の部屋の中を、キョロキョロと見渡すだけで何も言わない。
「どうしたんだよ? 別に大した部屋でも無いぞ?」
信康は怪訝そうな表情を浮かべてそう言うと、漸くクラウディアが室内を見渡すのを止めて咳払いをした。
「ごほん、それであたし達が来た理由なんだけど・・・」
「そうだ。二人共、エルドラズで何かあったのか?」
「別に大した事なんて無いわよ。あたしとシギュンは少し事情が違うけど、簡単に言えばあの島から出て来ただけよ」
「エルドラズ島大監獄からか?」
「そうよ。自分の意志で入ったとは言え、実際は刑期なんて無い事件の熱りを冷ます為だけの処置だったんだけど・・・あたしはね、やっと自分の意志で出て行く決意が出来たのよ」
クラウディアの話を聞いて、信康は自然と笑みを浮かべた。
「漸くだけど、自分を許せると思えたの。それにあたしが帰って来るって聞いて、皆も喜んで歓迎してくれてるし・・・これも全部、あんたの御蔭よ。ありがとう、ノブヤス」
クラウディアは信康に感謝して、微笑んで見せた。
信康がクラウディアと初めてエルドラズ島大監獄で会った時は、この様な大輪の花の如き笑みを浮かべるとは思えない位に笑っていた。
漸くクラウディアは、自分を許す事が出来たんだなと思った。
「おめでとう。俺も自分の事みたいで嬉しいよ・・・クラウが此処に居るのは分かったが、どうしてお前も居るんだ? シギュン」
信康はシギュンを見ながら言う。
シギュンは身なりを正した。
「私ことシギュン・フォン・デイバンは・・・この度エルドラズ島大監獄の副所長の辞して、ノブヤス様にお仕えしようと思っているのです」
「・・・・・・はい?」
唐突過ぎるシギュンの宣言を聞いて、信康は理解が追い付かなかった。そんな信康の反応を見て、シギュンは声を更に上げる。
「ですからっ!・・・私は副所長を辞めて、ノブヤス様にお仕えする事に決めました。尤もオリガ所長からノブヤス様から、正式な許可を得てから辞めなさいと言われたので・・・ノブヤス様の許可を欲しいのです」
「・・・何故、そうなる?」
信康はいきなりの事、頭が痛くなりながらも、何とかシギュンに訊ねた。
シギュンは顔を赤らめながら、信康に答えた。
「私が信仰しているヴィシュターヌ教は、光と法の神カプロラリスの従属神である事は御存じですか?」
シギュンの質問に、信康は黙って首肯した。
「カプロラリス教の純潔を尊ぶ教えがあります。それは従属神であるヴィシュターヌ教も同じです」
「ふむふむ。それで?」
「あ、あ、貴方は、その責任を取るべきだと思うのです」
「ふむ。成程、それで俺に責任を取れと言う事だな? 俺は元々責任を取る心算で居たが、一応確認しておくぞ。俺にはエルドラズに居た奴等以外にも、関係を持っている女が大勢居る。お前はそれを、承知しているか?」
「女やお金などの俗世の問題ではなく、宗教間の事情で御傍に居たいんです。仮に賭け事好きで一文無しであったとしても、お仕えしないと我が神に申し開きが出来ませんっ!」
「う、う~ん。何とも釈然としない・・・」
シギュンの神官としての言い分を聞いて、信康は複雑な表情を浮かべる。
そんな信康の心情を察したシギュンは、赤面しながらはっきり告白する。
「い、今言った事だけが、全てではありませんっ・・・私はノブヤス様をあ、愛しているから御傍に居たいのですっ!・・・~~っ・・・お願いですから、これ以上言わせないで下さい」
シギュンは羞恥心から、顔を両手で覆った。そんなシギュンを見て、信康は愛おしさを覚える。
「・・・そう言ってくれると、俺も嬉しいよ。しかしお前って確か、教団の意向であの大監獄に出向していなかったか?」
シギュンからそんな話を聞いた覚えがあったので、信康は訊ねた。
「ええ、そうなのですが・・・ノブヤス様にお仕えするので異端審問官の役職を辞めるという事を教団に伝えますと、教団の皆様は快く承諾してくれました。更に『その方にお仕えするのであれば、これが必要でしょう』と言って白金貨を百枚ほどくれました」
それだけ言うとシギュンは、パンパンに膨らんだ袋を信康に渡した。
「これを渡したらうまく行くと言われたのですが、どう言う意味でしょうか?」
「・・・・・・さぁな」
シギュンは良く意味が分からず首を傾げていたが、信康はシギュンの話を聞いて厄介者を押し付けられたと言う事だと察した。
その百枚もの白金貨は、迷惑料を込めた持参金と言う事だ。傍で様子を見ているクラウディアも、何とも言えない様子で顔を反らすばかりであった。
(白金貨百枚とは、随分な大盤振る舞いだ。其処までして教団からシギュンを押し付けられるとはな。こいつ、どんな事をしたんだ?)
気になりはしたが、今は聞く事ではないなと思う信康。別段、大して興味も無かった。
「お前の話は分かった。責任を取って、シギュンの面倒は俺が見よう。しかしだ」
「しかし?」
「・・・どうせ俺の下へ来るんだったら従軍神官と言う事で、エルドラズから傭兵部隊に転属して来てくれ。オリガにそう頼めば、転属手続きを手伝ってくれるだろうからな。それなら折角持っている地位も、活かせると言うものだ」
「ノブヤス様が望むのであれば、そうして来ます。入隊手続きする手間も省けますし先刻さっきも言っていた様に、まだ退職した訳ではありませんので・・・改めてどうか、末永くよろしくお願いしますね」
シギュンは構わないと言う顔をした。信康の傍に居られる事が嬉しくて、シギュンは信康に抱き着いた。その様子を見て、クラウディアは額に青筋を浮かべてシギュンの背中を睨み付けた。
「よろしく頼む。後でヘルムート総隊長にも報告しておこう。ただシギュンの階級は総隊長と同じ大佐だから、俺の中隊に配属ってのは難しいと思うが大丈夫か?」
「ええ、構いません。暫しの我慢だと思い、ノブヤス様が昇進されるのを待ちますので。私も帰ったら早速、所長に転属届を提出して来ます」
シギュンが納得してくれたので、信康は安堵した。
「だったらお前の期待に応えられる様に、俺も頑張るとするか」
「私も精一杯、御力添えをさせて頂きます」
シギュンは話す事を全て話し終えたので、信康との抱擁を解いて立ち上がった。
「・・・じゃあ、あたしもお暇するわ」
冷静になったクラウディアも、シギュンに続いて席を立った。
「ああ、そうだ。ノブヤス」
「何だ?」
「ディアサハから伝言よ」
信康はそれを聞いて、嫌な顔をした。
(師匠め、今度は何をする心算だ?)
前に花を貰った時は、その花の花言葉を聞いて絶句した信康。
今度もそれと似た様な事をするのではと思った。
「『今度送る花だが、西洋木蔦か勿忘草か向日葵のどれが良い?』だって」
この前は向日葵が送られて来たので、信康はそのアイビーと勿忘草も凄い花言葉を持つ花なんだろうなと予想した。
「しかし、ディアサハもどうしてそんな事を聞いてきたのかしら? これじゃ返事なんて聞けるわけないのに」
「いえいえ、クラウディア様。此処は伝言の返事を聞きたいのではなく、花を送ると言う事を言いたいだけでないでしょうか」
「ふ~ん。そうなの」
クラウディアはジト目で信康を見る。信康はクラウディアの視線を受けて肩を竦めると、不意に扉からノック音が聞こえて来た。
「・・・誰だ?」
「トレニアです。ノブヤスさんに相談したい事が有るのですが、御時間良いですか?」
信康はトレニアが訪問して来た事を認識してから、クラウディアとシギュンの方を見た。
「・・・説明するのが面倒臭いから、ちょっとシキブの体内に隠れてろ」
「ちょっ!? 待ちなさ・・・」
信康はクラウディアの抗議など受け入れず、シキブに二人を飲み込ませた。
「・・・・・・こほん。入って良いぞ」
信康は室内に違和感が無いか確認し、シギュンの持参金である白金貨が入った革袋を隠してからトレニアを招き入れた。
「御邪魔します。ちょっとノブヤスさんに、相談したい事が有って来ました」
「それなら先刻さっき聞いたが、お前が俺に相談したい事って何だ?」
「はい、実は・・・お給料の前借りをする訳にはいかないでしょうか?」
トレニアが言い辛そうに信康にそう告げると、思わぬ相談内容に信康は驚いていた。
「給料の前借りがしたいだと?・・・そんなに金に困っているのか?」
「困っていると言いますか、急遽入用になったとでも言えば良いんでしょうか?・・・実は」
其処からトレニアは自分が何故、給料を前借りしたい理由を語り始めた。何でもケル地区に遊びに行った際にある本屋を見つけて、その本屋で販売されていた医学書などがどうしても欲しいのだそうだ。
「それでお給料を前借りさせてくれたら、全部とは言わないけど欲しい本が何冊か買えそうなんですっ! 初任給を前借りとか厚かましいのは重々承知してますが、どうかお願いしますっ!」
トレニアは其処まで言い終えると、信康に向かって勢い良く頭を下げた。相談内容の一部始終を聞き終えた信康は、困った様子で頭を掻いた後に溜息を吐いた。
「・・・・・はぁ、トレニア。結論から言うと、給料の前借りは原則として認められていない。前例を許すと何ヶ月も前の給料を、図々しく前借りしようとする馬鹿共が現れるからだ。傭兵に限らず軍人って奴は、何時戦場に出て死ぬか分からんからな」
「っ・・・・そう、ですよね。無理言ってすみませんでした。どうか忘れて下さい・・・」
明らかに落ち込んでいる様子を見せたトレニアは、信康に謝罪してから直ぐに退室しようと信康に背中を向けた。すると信康はトレニアの腕を掴んで、退室しようとするのを阻止した。
「まぁ待て。そう簡単に諦める必要は無い。代案と言っちゃなんだが・・・・・・ほれ、こいつをやる」
信康は隠していた革袋から、白金貨を一枚取り出すとトレニアの手に握らせた。
「えっ?・・・えぇっ!? ここ、これってもしかして、白金貨じゃないですかっ!?」
トレニアは信康から手渡された、白金貨を見て明らかに動揺していた。
そして手を震わせながら、真っすぐ腕を伸ばして信康に白金貨を返却しようとする。それを見た信康は、手で制して返却を距離した。
「やるって言っただろ? これも将来有望な部下への、先行投資って奴だ。どうせなら俺に返すんじゃなくて、有効活用してくれた方が俺の利益に繋がる。遠慮なく使え」
信康にそう言われたトレニアは、ギュッと白金貨を握っている手を強く握り締めた。
「・・・分かりました。ノブヤスさんの御期待に応えられる様に、一生懸命勉強して皆さんの傷病を治せる様になってみせます・・・・・・ただ」
「ただ?」
「いえ、その・・・期待に応えられそうに無いからって、身体で返せとか言い出しませんよね?」
トレニアからの思わぬ質問を受けて、信康は思わずズッコケそうになった。
「あのなぁ・・・・・・誰がそんなせこい事を言うかっ!? 用件が済んだら、さっさと出てけっ」
信康は少しだけ怒って、トレニアを自室から追い出した。信康ははぁと溜息を吐くと、扉越しから『ありがとうございました!』と言う感謝の言葉が聞こえて来た。再び溜息を吐いて視線を変えると、眼前にはクラウディアとシギュンが居た。
「ノブヤス様。勉強がしたいと望む、あのトレニアさんと言う方の為に・・・・・・とてもお優しいのですね」
「シギュン、勘違いしちゃ駄目よ。あの森人族が美人だから、この女誑しは見栄を張っただけに決まっているんだから・・・ねぇノブヤスゥ・・・あの女も、あんたの女な訳?」
信康の行為を見て感動するシギュンを他所に、嫉妬に狂ったクラウディアは青筋を浮かべながら信康を問い詰める。すると信康は肩を竦めながら、クラウディアを宥め始めた。
「違う違う。トレニアとは最近知り合ったばかりでな。まだ俺の女って訳じゃないから」
「ふぅん。まだ・・、ねぇ」
クラウディアが自身の三白眼を更に鋭く細めて信康を睨み付けると、信康は知らん振りをしつつ口笛を吹いていた。
その後、暫し雑談を興じた後、二人は住む所に帰って行った。




