第301話
プヨ歴V二十七年六月十七日。夜。
信康達が警備している、ヒョント地区にある軍事施設。
その軍事施設の周辺には、サンドラの第十中隊が警備していた。
その厳重さは蟻の子一匹通さないと言わんばかりだ。
施設の二階は信康の第二中隊が警戒して、一階はライナの第八中隊が厳重に警戒している。
普通ならば、この軍事施設には容易に近寄れそうに無かった。
その施設の近くには、家屋がある。
家屋があると言っても、既に住人は居ないので空き家だ。
その空き家の窓から、軍事施設を窺う人物が居た。
「う~ん。これは昨日よりも警備が厳重になっているわね」
施設を警備している部隊を見ながらそう呟くのは、一人の女性であった。
顔は覆面と頭巾で隠し全身を外套で覆っているので見た目では性別すら分からないが、どうやら昨日施設に潜入した侵入者だったみたいだ。
「ふぅ。暫くはあの脂ぎった中年親父の妻として生活出来ると思ったけど、まさかああも簡単に失脚するとはね。流石に予想もしなかったわ」
女性は溜め息を吐いた。
覆面をしているので分からないが、複雑な顔をしている事だろう。
「まぁあの男とはこのプヨを出たら、始末して財産を奪う心算だけど・・・国へ戻るにしても何かしらの手土産がないと、流石に不味いわよね」
その手土産が、プヨ王国の軍事機密だ。
それを手に入れようと昨日忍び込んだが、運悪く二階を警備していた傭兵部隊に見つかった。
自分を捕まえようと掛かって来る傭兵部隊の隊員から、女性は何とか逃げ出した。
「まぁ昨日見つかった時点で、警備が強化されるとは予想していたけど」
女性は窓から施設の屋上を見た。
「流石に屋上まで人は、配備していないみたいね?」
屋上に誰も居ない事を見て、女性は笑みを浮かべた。
そして女性は窓から、その家屋の屋根のまで上がった。
猿みたいに身軽に屋根まで上がると、女性は軍事施設を見る。
女性が居る家屋と軍事施設までは、距離にして言えば三百メートルはある。
流石に飛んで軍事施設の屋上まで行くには、距離があり過ぎた。
それなのに女性は、足を屈めて靴に触れる。
女性が履いている靴は、普通の靴ではなかった。
踵から足やそれ以上に脚を覆っている長靴だ。
その長靴の脚部部分には、小さい羽の装飾があった。
その羽の根元には、魔石が付いていた。
「さて、そろそろ行きましょうか」
そう言って女性は、屋根から飛び降りた。
このまま落ちれば、地面にぶつかると思われた。
「起動」
女性がそう呟くと、脚部部分の羽にある魔石が一瞬輝いた。
そして女性は、空中に浮かんだ。
まるで地面を歩いているが如くだ。
女性はそのまま、空中を駆ける。
まさか誰も空中を駆けるとは、流石に思わないのだろう。更に今夜は新月という事も加わって、誰も空を見上げたりしない。
女性は誰にも見つからず、悠々と軍事施設まで駆けている。
どうして女性が空中を駆けているのかというと、それは女性が履いている長靴が関係していた。
女性が履いている長靴は、天翔ける靴と言う魔法道具だ。
この天翔ける靴は付いている魔石に溜まっている魔力を、消費する事で飛行を可能とする魔法道具なのだ。
魔石に貯蔵されている魔力を使うので、魔法を使う事が出来ない者でも使用出来る。更に魔石の魔力が尽きても、魔力を注げばまた使用が可能だ。更に音も出さないので、隠密活動に持って来いの魔法道具だ。
それだけ聞けば良い物と思われるが、欠点が二つある。
その一つが装着者の重量次第で、消費される魔力が変わる事だ。
体重が重い者が履けば消費される魔力は大きく、体重が軽い者が履けば消費される魔力は少ない。
もう一つが一度停止させると少し時間を置かなければ、再び起動出来ないと言う欠点だ。
駆けている女性が軍事施設の屋上の屋根に着き、女性は天翔ける靴を停止させた。
女性は屋根を足音なく駆けていると、ある所で止まった。
「・・・・・・ここもバレていないみたいね?」
女性は屋根の一部分を手で叩いた。
よく見るとその屋根の部分には、穴が二つあった。
女性は手を胸の中に入れる。すると其処から金属で出来た、取っ手みたいな物を出した。
その取っ手を穴に差し込み、くるりと回した。
すると取っ手が刺さった付近の屋根が動いた。
女性はその取っ手を持ち上げた。
そうすると屋根が、円形になって持ち上がる。
その円形は人が一人、入れるだけの大きさであった。
「前もって侵入経路を作っておいて、大正解だったわね」
女性はそう呟きながら、取っ手を取る。
屋根の裏側にも穴が二つあるので、どうやらその穴に取っ手を差し込むみたいだ。
女性は昨日同様に難無く、軍事施設に忍び込めると思われた瞬間。
女性の周囲に、黒い壁みたいな物が出来た。
「えっ!?」
突然の事で驚く女性。
それにより反応が、遅れてしまった。
その黒い壁が女性に迫り、女性を飲み込んだ。
「#%&$!%&#”!」
女性は言葉にならない声をあげながら、黒い壁に飲み込まれていった。
やがてその黒い壁が、徐々に粘液の姿となった。
「成程。これが昨日忍び込めた手管ですか」
その粘液は、女性の侵入した方法を知り納得していた。
そう呟く粘液の正体は、シキブであった。
信康の命令でシキブは、擬態しながら屋根を警備していたのだ。
「さて。追々御主人様に報告しておきましょう」
そう言うとシキブは、姿を消したのだった。
プヨ歴V二十七年六月十八日。朝。
信康達諸将は、情報共有の為に一度集まった。
「お疲れさん。そっちはどうだった?」
「こっちは何も無いわ。サンドラは?」
「こちらもです。ノブヤス副隊長は?」
サンドラの質問に、信康は黙って首を横に振った。
信康の様子を見て、ライナ達は話し合いを始めた。
「昨日見つかったから、潜入するのを止めたのかしら?」
「どうでしょう。諜報員がそう簡単に潜入を、諦められるとは思わないけど」
「だったら日を跨いで来ると、そう考えた方が良いのかしら?」
ライナの考えに、信康とサンドラは肯定する。
「それだと何時来るか分からないけど、警戒が緩んだらまた来かねないわね」
「ヘルムート総隊長に言って、増援を要請しますか?」
「う~ん。そうね」
ライナは其処まで言うと、静かに思案を始めた。其処へ信康が、自分の意見を挟んだ。
「もう三日様子を見てから、増援を要請して良いと思うぞ」
「それもそうですね」
「じゃあ、そうしましょう」
信康の意見に、ライナとサンドラは賛同した。
「では一度兵舎に戻って、中隊に休ませましょう。まさか昼間から潜入なんて、大胆不敵な真似はしない筈よ」
「そうですね。では、撤収させますね」
「じゃあ俺も、中隊の奴等に言って来るわ」
「ええ、そうして頂戴」
ライナとサンドラは、麾下部隊に向かった。
信康は眠気覚ましに、身体を屈伸を始める。
「御主人様」
背後からシキブが、信康に声を掛けて来た。
「どうした。シキブ?」
「屋根から侵入しようとした、例の侵入者を捕まえました。御主人様の推測通りでした」
「そうか、よくやった」
標的である諜報員を捕らえたシキブを、そう言って褒める信康。
兵舎に帰って少し休んだらお楽しみに時間だなと思い、信康は笑みを浮かべていた。




