第265話
翌日。
何かを刻み音と共に、柔らかな温もりと良い匂いが信康の肌に密着し鼻腔を擽った。
(・・・・・うん? もう、朝か)
信康はその匂いにより、目を覚ました。目を開けると先ず目に着いたのは、深紫色の長髪であった。
まだ目覚めたばかりの所為か、思考に霞掛かった状態の信康はその深紫色の長髪を手に取った。
信康はそのまま、その深紫色の長髪を自身の指で遊び始める。
「おい。儂の髪で遊ぶな」
そんな声を掛けられて、信康は漸く自身の思考の靄が晴れた。信康に声を掛けた深紫色の長髪の人物は、ディアサハだった。
「おはよう。師匠」
信康は朝の挨拶をしてから、手に取った深紫色の長髪に口付けをした。
「おはよう・・・ふん。柄にも無く、気障な真似などするな。お前には全く似合っておらぬぞ」
律儀に信康の朝の挨拶をきちんと返してから、自身の深紫色の長髪に口付けをした信康の行為に文句を漏らすディアサハ。
「・・・そう言いながら、顔がニヤついてるぞ。師匠」
「っ!?」
信康がディアサハに指摘すると、ディアサハは咄嗟に右手で顔を隠した。よく見るとディアサハの両頬は、羞恥心から紅潮していた。そんなディアサハの様子を見て、逆に信康の表情がニヤついた。
「ははははっ。俺の師匠は可愛いなぁ~」
「なっ!? こ、こらっ!? 抱き着くなっ」
信康はディアサハを抱き寄せて自身の胸板にディアサハの頭を抱きかかえると、ディアサハは怒った様子で抗議した。
「良いだろう、別に。俺と師匠の仲じゃあないか」
信康がディアサハを揶揄っていると、寝室の扉からノック音が聞こえて来た。
「御取込の最中、失礼致します。御主人様」
女性と思われる声色と共に扉が開かれると、一人の美女が寝室に入室して来た。
向こう側まで見えそうな位に透けている黒紫色の肌。髪は肌の色を濃くした色であった。
整った鼻梁。円らな金瞳。頬から顎に掛けて、線が細い小顔。
信康やディアサハに匹敵する長身であり、胸は西瓜が二つ付いた様に思える程の大きさを誇っていた。
頭にはホワイトプリムを被り、ロングスカートと白いエプロンと言う格好をしていた。その姿はまさに、絵に描いた様な家政婦の姿だった。
「は、はぁ!?」
信康は寝室して来た謎の美女の存在を目の当たりにして、目を見開かせて驚愕していた。何故ならこのエルドラズ島大監獄に収監されてから、この美女の家政婦など見た事が無かったからだ。
「御主人様。お楽しみの最中に、御邪魔して申し訳ありません。ですが朝食が出来ましたので、御知らせに参りました」
家政婦姿の美女は一礼してから、信康に慇懃な態度でそう言った。
「あ、ああ。ありがとう」
信康はただ困惑した様子で家政婦姿の美女に、そう言って礼を述べるのがやっとであった。
(だ、誰なんだ? 俺が返事をしたけど、師匠の部下だったりするのか?)
信康は困惑しながら、眼前に居る家政婦姿の美女の正体を考察する。そんな信康を見て、ディアサハは笑い始めた。
「ぷっ。はっははっ! 思ったよりも、面白い顔をするな。お前はっ。くはははっ」
大層面白かったのか、目に涙を浮かべて笑うディアサハ。
そんなディアサハを見て、信康は益々訳が分からなくなった。
「えーと、師匠。彼女は一体誰なんだ? 師匠の世話をしている部下か何かなのか?」
「うん? 何だ。我が弟子よ。そやつの正体が、分からないのか?」
信康が困惑する様子を見て、ニヤニヤするディアサハ。
(初めて会ったんだから、分かる訳無いだろうがっ)
そんな勝ち誇ったディアサハの様子を見て、信康は悔しさから失神するまで性交するか本気で悩んだ。そんな信康の思惑を他所に、一頻り笑ったディアサハはあっさりとネタ晴らしを始めた。
「そやつはお前がシキブと呼んで可愛がっている、不定形の魔性粘液の人型形態だ」
「・・・・・・はぁ?」
ディアサハから家政婦姿の美女の正体を聞いて、信康は思わず耳を疑った。
「この女が、シキブだとっ?」
信康は改めて、家政婦姿の美女を見る。肌が透けている以外は、普通の女性に見えた。
(いやまぁこんなに綺麗な女、歓楽街とかにもそうは居ないけどな)
信康は脳裏でそうノリ突っ込みを一人でしてから、ディアサハに視線を向けた。
「嘘・・・な訳無いよなぁ。なぁ師匠。こいつがシキブだってんなら、本来の姿に戻って貰う事って出来るか?」
「造作も無い話だ。ほれ、愛しい主人の為にやってやれ」
ディアサハがシキブにそう言って指図をすると、直ぐに変化が起こった。
家政婦姿の美女は瞬く間に、黒紫色で身体を骨が無いグニャグニャの粘液状態の姿になった。
それから自然と家政婦姿の美女が着用していた、家政婦衣装一式が床の上に落ちた。
最終的には信康が見慣れている、本来の姿をしているシキブが現れた。
「・・・・・・本当に、シキブだったんだな」
「はい、ディアサハ様の仰る通りです。御主人様」
見慣れている姿のシキブが家政婦姿の美女と同じ声を発したので、信康は家政婦姿の美女がシキブだったのだと漸く理解した。




