第220話
「・・・と言う訳で、俺が立てたエルドラズの乗っ取り計画に協力して欲しいんだよ」
信康はエルドラズ島大監獄に投獄された経緯を、簡潔にラキアハに説明した。
信康の話を聞いて、ラキアハは面白そうに笑う。
「このエルドラズを掌握する為の戦力が欲しくて、Eフロアまで来るとは面白い事をする人ですね」
「そうか? 看守の監視が無く且つ強力なお前等に頼むのが、唯一俺に残された筋道だと思うがな」
「だからと言って下手すると殺されて終わるかもしれない危険性を恐れず迷わないその豪胆さは、わたくしからしたら面白いとしか言えません。ふふっ。ディアサハさんの話ですと『鍛え甲斐がある奴だから、お前もお前の流儀で揉んでやれ』と言われたのですが・・・これは想像以上に、ノブヤスさんは興味深いお方だと分かりました」
「俺の事を師匠は、そんな風にラキアハに言っていたのか」
「あら? この場に居なくても、ディアサハさんの事を師匠と呼ぶのですね。てっきり不在なのを良い事に、最低でも呼び捨てにした呼び方をしていると思いました」
「まぁ敬意と保身の半々の理由があってな。曲りなりにも師弟関係を結んだのだから、俺の師として敬意は表するさ。それだけの実力も、師匠にはある。次の理由は、今もこうして盗聴や盗撮をしている可能性がある。それに壁を介さずに槍を投げ付ける事が、師匠には可能だと知ったからな」
「そうなのですか。貴方の事ですから、気にすらしないと思いました」
「あのな。俺だって、最低限の礼節は遵守するわ。それに何処からでも槍を投げ付けられる規格外を相手にするのは、流石に分が悪過ぎる」
「成程。そうですか」
ラキアハは信康の言い分を聞いて、そう相槌を打ちながら優雅に紅茶を飲む。
ラキアハが紅茶を飲むのを見て、信康も紅茶を啜る。
ズズーっという音が、独居房内に響く。
「・・・・・・音を立てて飲むのは、貴方の癖なのですか?」
「うん? ああ、そうだ。外を出て知ったんだが、俺の故郷では熱い飲み物はこうして飲むんだ」
信康は答えながら、ふと思った。
「五月蠅かったか?」
「いえ、飲み物を音を立てて飲む習慣というのがないので新鮮でした」
「ああ、そうだよな。西洋だと、静かに飲食するのが礼節みたいだからな」
信康は大和皇国に出て、外国に来て初めて知ったカルチャーショックであった。度々注意されるのだが、根付いてしまった習慣なので修正出来なかった。
しかし基本的に傭兵稼業では食事作法に関してとやかく言う者達は、仮に居ても少数派だった。大多数の者達は音を立てて食事をしても問題無いと考える寛容な者達が多かったので、当初は気にして修正しようとしていた信康は、音を立てて食べる事を気にしなくなった。
「気に触ったのなら、謝る」
「いえ、特に気にする事ではないですよ。そう言えばディアサハさんから武術の御指導は受けているそうですが、魔法の鍛練はされないのですか?・・・見た所、ノブヤスさんはかなりの魔力をお持ちの御様子ですが」
「ああ、魔力か。奇遇な話なんだが、ディアサハ師匠にも故郷の師匠にも同じ事を言われたよ。『武術に関しては超一流すら目指せる素質があるが、魔法に関しては無駄に魔力を擁しているだけで鶏の頭程度の才能しかない』と言われたんだ」
「それはまた、解釈に難儀する評価ですね。才能が無いと取るべきか、それとも魔法を自力で使える可能性が少ないですがあると取るべきか・・・」
「俺は無いと解釈したぞ。自前で魔法を使う事に憧れないかと言われたら、そりゃ憧れるが・・・俺の愛刀は魔宝武具だから、それを通して魔法が使えりゃ良いと思って武術しか取り組まなかったな。魔術師になるのも今更だったし、開花出来るか分からない才能に時間を掛けるのは、時間の無駄だと思っていたから」
「そうですか。確かに仰る事は大いに正しいと思いますけど・・・折角ですから、此処は一つ試してみませんか?」
「・・・試す?」
信康は理解出来ていない様子で、ラキアハが口にした一言を復唱した。そんな信康を他所にラキアハは立ち上がると、独居房にある本棚の所に行く。そしてその本棚に置かれている書物を見ながら、所望している書物を捜索していた。
「ああ、見つけました。これですね」
そう言ってラキアハは、本棚にある書物を一冊手に取る。
「この本こそ、現在のノブヤスさんにピッタリだと思うのです」
「それは?」
「魔法書と言う本になります。省略して魔法書と呼ぶ事が多いです」
「魔法書? 寡聞にして良く分からないのだが、教えて貰っても良いか?」
「簡単に言いますと・・・魔法書とは読んだだけで、魔法を会得出来る魔宝武具の一種です。魔法書を読んだ読者の魔法の素質を引き出して、魔法を会得出来るのですよ」
「は、はあっ!? 魔法が使えない奴が魔法を使う為に必要な魔符や魔法の巻物と違って、そんな都合の良い魔宝武具がこの世に存在するのか?!」
「魔法を使う為だけの道具に過ぎない魔符と魔法の巻物と違って、魔法を効率的に会得する為や魔法使いを増やす為に生み出されたのが魔法書です。しかし読んだだけとわたくしは言いましたけど、魔法の素質が無い者が何回読んでも無意味ですよ。逆に言えば少しでも、魔法の才能があれば良いのです」
「・・・・・・俺には魔女族や魔法使い、魔術師の知り合いが何人も居るんだが、初めて聞いたぜ」
「無理もありません。魔法業界では有名な代物ですが、一歩業界の外に出れば極端に知名度が下がると思いますよ。何せ結局魔法使い達に・・・それ以上に魔術師達の間で消費されて、一般市場にまで滅多に出回りませんからね。魔法書を作れる魔法使いや魔女族も居るには居ますが、自分の時間を犠牲にして他人の為の魔法書を製作する人なんて少ないでしょうし」
「そうなるとやはり魔法書って奴は、高価だったり貴重品だったりするのか?」
「現在はそう解釈して頂いても、大丈夫です。魔法書には幾つも種類があったりするなど、魔法書に関して話すとかなり長くなりますからその辺は割愛させて頂きますね・・・他に話すとしたら魔法書は魔宝武具の括りに入れると、全て神具級に分類される非常に価値のある物です」
「・・・・・・」
魔法書に関する解説をラキアハから聞いて、絶句して言葉を失う信康。
神具級の魔宝武具など、信康は短い生涯で両手で数えられる位の回数しか見ていない。
それも故郷の大和皇国での話だ。傭兵になったからは、最高でも宝具級の魔宝武具までしか目に掛かっていないのだ。パリストーレ平原の戦いではフラムヴェルが所有する神具級の魔宝武具を目にする機会を作れたかもしれないが、結局信康は見る事が叶わなかった。
「そんな御大層な魔宝武具を、俺に無償でくれる理由はなんだ?」
「面白そうだからです」
「はい?」
「面白そうだから、と言ったのですよ。貴方がこの魔法書を使ったらどの様な魔法を会得出来るのか、興味深いです。ノブヤスさんは魔力量が常人よりも多いですから、必ず魔法を覚えられると思いますよ」
ラキアハはそう言って、信康が魔法書に興味心を抱く様に誘導していた。更にラキアハは、手に持っていた魔法書を信康に押し付けた。魔法書を押し付けられた信康は、仕方なくその魔法書を受け取った。しかし魔法書を開くのに、躊躇する信康。そんな信康に、ラキアハは声を掛ける。
「まぁ物は試しと思って、読む事をお勧めしますよ。ノブヤスさんがこの魔法書を読めば、亜精霊であるディアサハさんに勝る力を得られる様になると思いますから。少なくとも魔法を得る事で、力量差が大きく短縮出来ると思います」
「ものは言い様だな。しかし、亜精霊? 亜精霊とは何だ? 精霊の一種か?」
「仰る様に、精霊の一種です。どちらかと言えば、肉体を持った精霊ですね。魔女族だったディアサハさんは沢山の敵を打ち倒し魔力を吸収し続けた結果、亜精霊に進化したんです。ただの人間が自力で亜精霊を倒すのは、はっきり言って不可能に近い程の困難ですよ」
ラキアハの説明を受けて、ディアサハの強さの理由の一端を知る事が出来た信康。すると魔法書の使用を推奨するラキアハの言葉が、甘美な蜜の味がする様に感じて来た。しかし信康はその言葉の蜜に溺れて、良い様に誘導される様な失態は犯さない。
「興味深いのは事実だが・・・一つ聞こう。もしこの魔法書を開いたら、俺は代償に、何を支払う事になる?」
信康がそう指摘すると、ラキアハは両眼を見開いた。そんなラキアハの様子を、信康は見逃さなかった。
「やはりな。都合が良過ぎると思ったんだよ・・・それで? この魔法書を読むと、俺はどうなるんだ? それ位、教えてくれよ」
信康はそう言うと手首を上下に動かして、手に持っている魔法書を揺らした。ラキアハは信康の質問に直ぐには答えなかったが、一度溜息を吐くと話を始めた。
「良く見抜きましたね。確かに代償はあります。その魔法書は最高位に属する、魔法書の中でも特に貴重品になるんですが・・・簡単に言いますとその魔法書を読んだ場合、落命する程の激痛が襲います。その激痛に耐えられたら、魔法書は消滅して貴方は魔法を会得する事が出来るのです」
ラキアハが隠していた魔法書の秘密の一端を聞いて、信康は驚きながら手に持つ魔法書を凝視した。そんな信康を見て、ラキアハは今までより少し熱が下がった視線を向けた。
(さて、この事実を知ってこの方はどうするのかしら?・・・もし死ぬ可能性に怖気づいたなら、わたくしは手を貸す事無くこの関係も終わりでしょうね。エルドラズを力付くで掌握したいと言ったのだから、その覚悟を見せて頂かなくては困ります)
ラキアハは心中でそう言って、信康の動向を見守った。エルドラズ島大監獄を乗っ取ると大言壮語を吐いたのだから、その気概や覚悟を見せて欲しいと願いながら。
「良し。読もう」
「そうですか。ではその魔法書はわたくしに返して頂ければ・・・はい?」
ラキアハは信康は魔法書を読むのを拒否すると思っていたので、信康が魔法書を読むと宣言した事に驚いた。
「何を驚いているんだ?」
「いえ。てっきり臆病風に吹かれて、魔法書を読むのを拒否すると思いまして」
ラキアハの遠慮のない発言を聞いて、信康は苦笑するしか出来ない。
「ははははっ、そんな事は無いさ。本を一冊読んだだけで、魔法使いの仲間入りが出来たら御の字だろう?・・・逆にもしこれで死ぬ様なら、俺は其処までの男に過ぎなかったと言う証拠だ。何、昔から生命力の高さには自信があるんでな。まぁ何とかなるさ」
信康はそう言うと、躊躇無く魔法書を捲った。
すると開いた頁には、何も書かれていない白紙しか無かった。しかし信康が不思議に思っていると突然、開いていた頁に文字が浮かび出した。
そしてその文字は魔法書から飛び出して、空間に浮かび上がり具現化した。
「これは!?」
眼前で起きる不思議な光景に、驚愕する信康。
空間に浮かんだ文字は、信康の身体に入り込んだ。
「あ、が、ががっが・・・・・・」
文字が入り込んだ事の所為なのか、信康は苦しみ出した。
その苦痛からか、信康は手に持っている魔法書を落とした。
床に落ちた魔法書は、不思議な事にめくってもいないのに自然と頁が次々と捲られて行く。
捲られて行く度に文字が空間に浮かび上がり、信康の体内に次々と入って行く。
「が、があああああっ!?」
(こ、これはっ!・・・俺が思っていたよりも、二回りはきついぞっ・・・っ!!)
信康はのたうち回りながら、苦痛の悲鳴をあげる。魔法書から襲い掛かる激痛が、信康の想像を上回っていたからだ。しかし今更、取り止める事は不可能。信康はただ、襲って来る激痛に耐える他に無かった。そんな信康を、ラキアハはただジッと見ている。
(ふふっ。見事に、耐え抜いて見て下さいね。この程度の激痛に耐えられないならば、貴方に待っているのは死だけです。死んだらお力添え出来ませんから、頑張って下さいな)
数十分後。
信康に魔法を会得させていた魔法書は信康の中に眠る魔法の素質を発現し終えたのか、今は塵一つ残す事なく燃え尽きてしまった。
信康の方はと言うと、悲鳴が止まり倒れていた。微かだが息はしているので、どうやら眠りについているだけの様だ。
ラキアハはその様子を見て、安堵の溜め息を吐いた。その事実に、ラキアハ自身が驚く。どうやら自分は自分で思っている以上に、信康の事を心配している様だった。
「ふっふふ。良くぞ耐え切りましたね。これでこの方は眠りから覚めたら、魔法を会得している筈です。さてさて、どの様な魔法を会得しているのか・・・とても楽しみですね」
ラキアハは信康に向かって、妖艶な笑みを浮かべた。




