第201話
シキブの体内に隠れながら、信康とシギュンはDフロアへと降りて行く。
向かう途中で信康達を捜索しているイルヴ達に見かけるが、誰もが足元を動いているシキブの事など気にかけていなかった。
シキブの体色は本来、黒紫色なのだが変装の為に青色に変色し更に魔力を抑えて通常の魔性粘液に擬態していた。これでは信康の捜索で血眼になっているイルヴ達も、シキブを通常の魔性粘液が掃除をしていると思っているだけだろう。
況してやシキブの体内に信康達が居るとは、イルヴ達は誰も思い付きもしないだろう。魔性粘液に飲まれた物は、消化されて跡形も無く姿が消えるので体内に隠れられるとは常識的に考えられないからだ。
こうして誰にも咎められる事無く、信康達はDフロアに到達した。
シキブに周囲を確認して貰った所、刑務官は誰も居ないとの事で信康達はシキブの体内から出た。
「此処がDフロアか」
階に着いた信康は、Dフロアの周囲を見渡しながら言う。
Bフロアの雑居房やCフロアの独居房とは違いは、Dフロアの独居房は完全な密室であった。
信康が居たBフロアの雑居房やCフロアの独居房は、全て鉄格子で区切られていた。
Dフロアの独居房は四方を壁に囲まれており、戸と言える所が無かった。換気の為に、人の頭も通れない小さな換気窓だけはあった。
そして外からは独居房の室内を、覗ける様に監視窓が付けられていた。
「Dフロアは全て独房で、脱獄防止用に密室になっているのです」
「じゃあこの独房に居る受刑者は、外出に出る事は出来ないのか?」
「先ず出して貰えませんね・・・言い忘れていましたが実は一人だけ、実質的にエルドラズの職員として雇われた外部の人間が居るんです」
「何?」
「当初は一人の受刑者でしかなかったんですが、実は書類の不備で間違ってこのエルドラズに送られて来ました」
シギュンは其処まで言うと、その人物がエルドラズ島大監獄に収監される切っ掛けについて解説を始めてくれた。
「酒場で絡まれて乱暴にされそうになったので、相手を半殺しにして返り討ちにしたそうです」
「そんな微罪でエルドラズに送り込まれるとか、不運な奴だな。それも手違いでとか」
「その点は同意します。既に正当防衛として処理されて、本来なら釈放されているべきなんですが・・・その者は何と言いますか、料理が得意なんです」
「・・・・・・もしかして、料理人としてこの監獄に居るのか?」
「正確に言うと、料理長としてオリガ所長に雇用されています。その方が厨房で働いてから、エルドラズに出される料理が大きく向上したんです。本来でしたら看守が交代で料理を担当するんですが・・・お世辞にも上手な人が居なくて。外部から安易に雇用も出来ませんので、所長が特例でその方を雇用しているんです」
「まぁこんな孤島で働きたいかと言われたら、幾ら給金が良くても普通なら嫌がるよな。良く引き受けたもんだよ」
「そうですね。しかし本人としても路銀が乏しかったので、渡りに船とも言っていましたよ。曰く『あ~しの懐も寂しくなっていたので、丁度良かったッス』と言ってましたね」
「あ~し?」
信康はその口調を聞いて、ある戦友を思い出す。
その戦友は女性なのだが、非常に腕の立つ傭兵で『鬼姫』と言う異名を持っていた。
元は何処か名門の出身とかで、素人から見ても所作に品があった。
童顔なので、少女と勘違いされる事もしばしばあった。
言われた者によっては怒る所であろうが、本人は若く見られて嬉しそうであった。
更にその戦友の一人称は、「あ~し」と自分の事を呼んでいた。
(まさか、あいつがエルドラズに?)
そんな事を考えていると、ある独居房の前に着いた。
「この独房が現在は空室で、誰も使っていません。暫くは此処を、私達の拠点に使いましょう」
シギュンはそう言って窓がある所の壁にある、掌に収まる程度の埋め込まれた石に手を置いた。
そしてシギュンは掌から壁に向かって、微弱な魔力を放つ。
シギュンが放った魔力はあまりに微弱な為、物を動かす事も壊す事も出来ない。
しかし石にその魔力に当てられて壁が上に上がっていき、人が通れる位の隙間が出来た。
「これは?」
「Dフロアの独房は、こうして魔力によって稼働します。登録している魔力を識別して開閉するので、死刑囚が魔力を使えても開ける事は出来ない仕掛けです」
「ほぅ、これは凄い。よく考えられている絡繰だな」
信康は感心しながら、壁が上がっていくの見ていた。
そして独居房の室内に入ると、かなり広いのだなと思った。
「驚きましたか? 見た目は狭そうですが、空間魔法で部屋を拡張しているんです」
「成程。道理で部屋に見合わん広さがある訳だ・・・それは良いとして、この部屋は空室では無かったのか?」
「え?」
信康の指摘を受けて驚いたシギュンが、室内を見渡すと其処には二人以外の第三者が居た。
「おや? 今日は魔法の巻物の収集日だったかな?・・・そう言えばオリガ以外の看守が此処を訪ねに来るなど、今日で初めてだな」
第三者は椅子に座ったまま、信康達に向かって声を掛けた。
そして第三者は机の上で何かを製作しているみたいだが、手を止めてこちらを見ていた。
驚くべき事にその第三者は振り向いて信康達を見るのではなく、首を捻転させて信康達を直接見ているのだ。
「ひぃっ」
人間ならば通常は有り得ない動きを見て、シギュンは小さい悲鳴をあげて信康に抱き着いた。
本来は大きな悲鳴をあげる所を、我慢して小さくしたみたいだ。
その一方で信康も、その第三者の動きに驚いていた。
「狼顧の相とは、本当に実在したのかっ。空想だと思っていたんだがな」
「ろうこノそう?」
シギュンは信康が意味が分からず。オウム返しの様に繰り返した。
「用心深い狼は何時でも背後を振り返る事が出来る様に、後ろを見る事が出来る相の事を言うんだ」
「すいません。狼顧と言うのは分かりましたけど、そのソウとは何の事ですか?」
「人相。つまりは顔立ちの事だな。もっと詳しく説明すると、背中まで首を回せる特異体質の事を狼顧の相と言うのさ。まぁ狼よりも、梟の方が例えとしては分かり易いかもな」
「はぁ、そうですか」
シギュンが信康の言葉を聞いて納得している間に、信康は眼前に居る第三者を見る。
刃のように鋭い眼差し。綺麗な顔立ち。水色の瞳。鴉の濡羽色の髪を腰まで伸ばした長髪。
パッと見では女性みたいだが、よく見ると違う。
何故ならば、喉に喉仏が見えていたからだ。
「お前、男か?」
「そうだが、何か?」
信康にそう訊かれた第三者は、隠す様子も無くあっけらかんと自分の性別を話した。
男は首を動かして前に戻し、椅子を立った。
流石にあの体勢のままでは、信康達に失礼だと思ったのだろう。
「見た所、看守と受刑者みたいだが何処のどなたかな?」
「あ~えっと・・・・・・」
この独居房に死刑囚が収容されていると聞いていなかったので、信康はどういったら良いか言葉を濁らせていた。
シギュンもどう誤魔化そうか、必死で思案していた。
そんな二人を見て、男は笑みを浮かべた。
「何やら事情があるみたいだから、話を聞かせて貰いたいな」
「良いのか?」
「少しばかり退屈を持て余していたので、良い暇潰しになるだろう」
「暇潰しね。中々、肝が太い受刑者みたいだ」
「生憎だが、私は受刑者ではないのだ。見ての通り、囚人服は着ていないだろう? おっと失礼。自己紹介が遅れた。私はラグン・タシチツュバイと申す」
「俺は信康。こっちはシギュン・フォン・デイバンだ」
「エルドラズ島大監獄副所長のシギュンです。どうぞ、よろしく」
信康は自己紹介を終えると、何故此処に居るか事情をラグンに話した。
ラグン・タシチツュバイ。
後に信康配下の謀臣の一人となり信康の頭脳を担う超重臣たる五角の黒一点にして、筆頭と畏怖される事になる英傑である。信康はラグンを常日頃、「我、公瑾を得たり」と評していた。
此処に出てくる公瑾とは信康の故郷の直ぐ傍にあるユートロピア大陸で、大昔にあった孫轟という現在の中華共和国の前に存在していた国を指す。その孫轟の名軍師と知られた人物で、孫轟の天下統一に貢献した人物であった。
容姿が立派で風采が女性と見間違えんばかりに整っていたので、人々は『美公郎』と称えた。
孫轟では、郎とは美男子に着けられる尊称であった。
何よりラグン本人がその辺の美女以上に美しい容姿をしていたので、信康はラグンをそう評したのだ。
これが後に『青き狼』と異名を持つ、ラグンとの出会いであった。




