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電気羊の異世界プロトコル  作者: みかぜー
第二章 リィベルラントの窓辺
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第二十一話 『真夏に咲いた氷華』



 時は(えんじゅ)の月の二十五日。

 フォルセニア大陸においては夏も盛りの時期だ。

 大陸は吹き渡る風のおかげでからりと乾いており夏でも過ごしやすい気候であるが、白昼ともなるとやはりそれ相応に暑い。

 それは大陸中部と北部の境界に位置するこのリィベルラントでも同じであり、戦場の熱気と共にその熱は頂点に達しようとしていた。

 草いきれの青々しい匂いと、肉や鉄の焼ける苦い匂いが戦場には漂っていた。


 そんな中、ユネは小さな違和感を覚えた。


「くしゅん! はぇ……何でしょう……?」


 背筋に這ったぞくりとした悪寒。

 強烈な殺気を向けられたわけでも無ければ、もちろん風邪を引いているわけでも無い。理由の無い悪寒にユネは首を傾げた。


 彼女の桜色の唇から漏れたのは白く煙る吐息(・・・・・・)


 それを見た瞬間、ユネが違和感の正体に気付いた。


「あれ、寒い……んです? 真夏なのに……」


 戦装束の上から感じるのは僅かな冷気。それが彼女の周囲だけではなく、戦場全体に漂っていることが分かった。冷気は一時に収まらず周囲の気温が急激に低下して行く。

 息の白さは更に顕著となり、足元の草も白く凍り付いていた。

 踏み締めた草が、しゃりしゃりと鈴を奏でるような音を立てた。


「アルフ君! 寒い! 寒いですよぅ!? か、髪の毛が凍ってパリパリになっちゃってます!?」

「これは一体……?」


 悲鳴を上げるユネの傍らでアルフレドが周囲を見渡す。

 緑の草木に覆われていた丘陵地帯は、僅かな時間の間に白いカーペットを広げた冬景色に姿を変えていた。広大とは言えないまでも、数キロ四方はあるだろうその領域を支配するのは凍てつくほどの強烈な冷気。

 青天を湛えていた空はたちまち曇り、まだらな厚さの雲の切れ間から僅かな光の筋が降りているのが見えた。


 その変化に、別の者達も次々と困惑の声を上げ始める。


「夏の空気を冬へと染め上げる……これも人間の力だと言うのか……!?」

「違う! 俺達じゃない! 誰かが気候操作系の技能(アーツ)でも使ったんだよ!!」

「そんな特化型ビルドのフェローなんてウチにはいないでしょうが!」


 フェローから上がった声でユネとアルフレドは思い出した。

 確かにこれほど大規模な魔術を行使できるフェロー(・・・・)はいない――魔術師系フェロー筆頭である咲耶でさえも不可能だ。


 しかし、プレイヤー(・・・・・)にならいる。


 ヒビキの『三分間の福音』の効果は既に終わっている。仮にまだ『福音』の効果が続いていたとしても、低位の技能しか使用できない彼にこんな大規模な魔術の展開は不可能だ。


 ――故にこれは彼女(・・)の仕業だ。


 大規模魔術特化型の魔術師――自らの有する可能性(リソース)の全てをそのためだけに割り振ったプレイヤー。

 彼女と同じ道を辿ろうとしたプレイヤーやフェローは他にもいた。しかし、辿り着いた者は誰もいない。その神域にも踏み入れた知性によって独自に編み替えられた(・・・・・・・)魔術は、如何なる者も模倣することが出来ないからだ。


 万象遍く全てのもの――道理や現実ですらも杖の一振りで薙ぎ払う、天律の外に座する魔術師。

 『風見鶏の主砲』、『理外の魔術師』、『万色の支配者』。

 彼女を彩る言葉は数多あるが、結局その二つ名は『大魔導師』のただ一つに落ち着く。


 VR-MMORPG『エヴァーグリーン・ファンタジア』。

 全魔術師系プレイヤー・フェローの頂点。


 即ち『大魔導師まかろん』その人である。


「――まかろん様!?」


 アルフレドが叫び、後ろを振り向く。


 果たしてそこに彼女はいた。

 後方に広がるリィベルラント北部外壁。北門の直上の空高くに彼女はいた。

 凍える吹雪に紫色のローブととんがり帽子をはためかせ、色を失った極寒の瞳の少女――まかろんが戦場を睥睨していた。


「術式の解凍を確認――問題ありませんね」


 自身と杖を宙に浮遊させたまま、まかろんが青黒く輝く左腕を横に薙いだ。

 彼女の求めに応じ、数多の魔法陣が天に描き出された。その数は優に千を超える。

 大きさも紋様の意匠も不揃いな歪な魔法陣の群れ。それは歯車だ。

 それが次々と三次元的に組み合わさり、一つの巨大な魔法陣を構成した。


「積層型の立体魔方陣だと――!?」

「なんじゃありゃあ……故国の筆頭術師殿でもあんな規模の陣は展開できんぞ!?」


 フウライと武士団所属の呪師(まじないし)が白ませた息と共に驚きの声を上げた。

 理解できないのも当然である。

 あの巨大な魔法陣の塊はただの視覚効果(エフェクト)では無い。それを構成する魔法陣の一枚一枚が複雑な意味を持つ論理構造の歯車だ。それが何百何千と複雑怪奇に組み合わさって立体的に構成された超論理の結晶――その意味を正しく理解できる者などこの世界に彼女しかいない。

 交わり、離れ、融合し、脈動するその理外の伽藍の中、彼女の瞳はいつもと変わらない絶対零度の輝きを宿していた。


「一番、実体声帯」

《二番、疑似声帯》


 まかろんの口から二つの声が紡がれる。

 一つは平素の彼女のそれに違わない。

 もう一つは色の薄い――虚ろな陽炎が紡いだかのような声。


 二重詠唱(デュアルキャスト)

 通常の声帯と共に口腔の奥に魔術的に生成されたもう一つの声帯を併用する高難度の詠唱技法だ。


「らららー」

《らーららー》


 音の外れた二つの旋律。

 凍える声質はそのままに、二つの音がまかろんの口から奏でられ、


「《らーーー》」


 二つの声が一人の口の中でユニゾンした。


「久しぶりなので」

《少し違和感がありますが》

「《やってみましょう》」


 まかろんが刻印の刻まれた右腕を前に掲げた。

 傍らに浮遊させた黒い杖――『昏き探求のミスティリオン』は手に取らない。

 彼女にとってこれは中規模(・・・)の魔術。杖など手に取らずとも、右腕に刻んだ刻印だけで十分事足りる。


「リィベルラント第一から第十二クラスタの並行励起を開始」


 呪言と同時、彼方に聳え立つユグドラシル・イリスの発光が一際大きくなった。

 大樹の根から無数の光の筋が伸ばされ遥か彼方まで広がって行く。この戦場にも等しく、フェロー達の足元にも緑色に脈動する光条が何本も這い回って行った。

 これはマナの流れが視覚化されたもの。この光条が無数に束なり『龍脈』と呼ばれる大いなるマナの潮流を構成するのだ。


「いかんぞ、まかろん様! お主に根こそぎマナを持って行かれたら、儂らの技能

も効力を失ってしまう!」


 色を失い始めた光条に気付いた咲耶が叫んだ。

 戦場一帯――いや、リィベルラント一帯に内包されるマナの全てが、大地に宿った水を吸い上げるが如く世界樹に集まり始めたのだ。

 しかし、咲耶の言葉はまかろんには届かない。届いていたとしても、彼女がそれを止めることは決してないだろう。


 術式はその目的を果たすべく淡々と針を進める。

 世界樹が一際大きく輝き、その枝葉から射出された無数の緑の光条がまかろんを捉えた。緑の光条が形作る膨大なマナの奔流の中でまかろんの黄金色の瞳が輝いていた。


《マナ経路最適化、流量最適化完了――外部マナプールと生体プールを連結≫

「生体マナプールからエーテルバイナリーへの転換機構起動」

《一番から四番バイナリー――最大充填完了》

「第一及び第二大盟領域(グランスフィア)へのイデアコネクション――構築完了」

《エーテルバイナリー全段直結――臨界駆動開始》


 その呪言と同時、世界が鳴動した。

 まかろんの身体を通して漏れ出た術式の余波が現実として世界を揺らしたのだ。

 生物も、非生物も、生者も、死者も――大地を揺らし空を震わせる魔力の圧が全ての存在の動きを封じ大地に縫い留める。

 薄暗い冬の空が広げる灰色の天幕の下に、青い光を湛える魔法陣が描き出された。

 彼女が座す立体魔方陣と比べればあまりにも小さく、あまりにも簡素に描かれたそれ。大地を這う魔術師のフェローはその術式に見覚えがあった。


「え……あ、『アイシクルランス』……なの?」

「そんなわけ無いだろ! たかが低級技能のアイシクルランスにあんな規模の魔法陣が展開するわけ無い!」

「じゃあ何なのよ! バグでも使ってるって言うの!?」


 アイシクルランスとは氷の槍を射出する攻撃魔術のひとつ。

 フェローにとっては低位の水魔術であり、亜人にとっては魔術学校の高等課程でも習う一般的な攻撃魔術――少なくともリィベルラント中のマナをかき集めて行使するような魔術ではない。


 異常なのは紡がれた魔術の『質』ではなく『数』だ。


 天に広がる魔法陣の数――それは百や千で収まるものでは無い。

 文字通り、数え切れない魔法陣が灰色の空を覆い尽くしていた。

 青い魔術光を灯し規則的に明滅を繰り返す魔法陣の群れは、まるで胎動するように雲の陰影を鮮やかに描き出す。


 こんな規模の術式展開、アキツ皇国の筆頭術師ですら足下に及ばない。レスタール王国の第一梯位の術師でもこんな芸当は不可能だ。獣人も鬼人もエルフも――人間(フェロー)すらも彼方に置き去りにした理の外に座する何か――あの巨大な論理の神域に座するのはそういう存在だ。

 呪言ひとつで大地に穴を空け、言霊ひとつで島を沈めるその力は、人の身にありながら神性――あるいは魔性に指を掛けた者のみが身に宿すことのできる力。


 その理外の深淵に脚を踏み入れた者を人はこう呼ぶ。


「『大魔導師』――」


 これは人間が使う技能でも無ければ、亜人が使う魔術でも無い。

 二つの技術が内包する概念を解き、束ねて、融け合わせ、再び結い上げた――この変質した世界の理に則り、独自の理論によって編み上げられた全く新しい術式だ。

 解放すれば全てが終わる。

 全ての者を凍らせ滅ぼす――これはそのための術式だ。


 生ける者も、死んだ者も、善いものも、悪いものも、全てを破壊の坩堝(るつぼ)にぶち込んで台無しにする――これはそういう術式だ。


 躊躇いはあるか。

 無い。欠片ほども無い。

 ()がそれを望んだ。だからやる。それだけだ。


 全ての準備が整った今、彼女は小さな唇を開く。

 囁くように零れたその声はやはり氷のよう。


「それでは始めましょう」

《始めて終わらせましょう》


「ヒビキさんの祈りに応えるために――」

《遠い日の昔、あなたが私の祈りに応えてくれたように――》




「《あなたの祈り(ねがい)に基づき、全ての現実を壊しましょう》」




 彼に世界を救えと願われれば世界を救済して見せよう。

 彼に世界を壊せと乞われれば世界を破壊して見せよう。

 願われるがままに、乞われるがままに全てを与える――彼女はそういう存在だ。

 善いことも悪いことも関係ない。ただ彼の望むがままを叶える存在――この世界において彼女は自らの存在をそう定義した。


 故に彼女は紡ぐ。

 (ヒビキ)の願いに基づき。

 絶対零度の温度を声音に湛えたまま。

 真鍮のような輝きをその双眸に湛えたまま。

 目の前の世界、その全てを破壊する必滅の祝詞を。



「標無き旅路に灯を与えよう」

《――昏く凍える氷の灯を与えよう》



「万象の淵より出でて、理の境界を辿る灯よ」

《――(のり)の境界を分かち、果てへの道を示す灯よ》



「それが示すは久遠に続く静穏」

《――深き眠りに誘うは吹雪の中に揺蕩いし静謐》



「その冷たき午睡に身を委ねるは罪ではない」

《――安寧と幸いは等しく氷棺の中にあるのだから》



「青の三番」

《――極大領域氷滅術法》




「《エンペドクレスの氷獄》」




 二つの呪言が重なった瞬間、それは起こった。


 空が落ちて来た。


 それは単なる比喩表現ではない。

 幾千幾万と空を覆い尽くしていた魔法陣のひとつひとつから氷の槍が射出され――その光景が、まるで青白い空が落ちて来たかのように見えたのだ。

 プランク時間すら違わない精度を以って、一斉に射出された氷槍の数は魔法陣の数に等しい。

 瀑布の様に地上へと降り注いだ氷槍が大地を穿つ。

 氷槍の瀑布は魔物集団の全てを捉え、内包する死の概念を大地に巻き散らして行った。


 貫き、切り裂き、千切り、凍らせ、砕く。

 怒号や悲鳴すらもかき消された――ただ破壊だけが唯一絶対の概念となった世界の中、氷が砕け舞い散る音だけが響く。

 脳天から氷槍に貫かれたゴブリンがいた。砕けた欠片に切り裂かれたオークがいた。着弾の余波で身体を氷漬けにされたコボルトもいた。


 終わりが始まり。そして終わり、全てが収束していく。

 後に残っていたのは、人間と亜人を残し全てが死に絶えた白い氷の大地だった。

 凍り付いた魔物達の残骸を見下ろす彼女の瞳は、やはり感情の色を帯びていない。彼女にとっては、成すべきことを成しただけなのだから感慨など何もなかった。


 術式が解除された後に嵐のような風が吹きすさぶ。強烈な気圧の変化により、外の暑い空気が急激に流れ込んで来たのだ。

 暴風に砕かれ吹き散らされた氷の残骸は、巨大なうねりを作り天上の彼方へと舞い上がって行く。

 氷の欠片に日光が乱反射しきらきらと光り輝いていた。目を開けるのが精いっぱいの視界の中、無数に白く光るそれはまるで氷華の花吹雪だ。


 ダイヤモンドを散りばめた、そんな破滅的で幻想的な光景を眺めながら彼女は小さく言葉を綴る。


「ねぇ、ヒビキさん――見ていますか?」


 彼方の高殿に座する青年へと振り向き彼女は言った。


「私はもっと遠くに行けますよ」


 遠くに行ける。

 無数の命を救い、無数の屍を築いて。遠く。彼方に。

 彼がそう願うのならこの力を携え、どこまでも――理の彼方にさえも踏み入れよう。


 それはいつかの食堂で見せた不自然な笑顔ではない。


 彼女の本当の笑み――満開に咲き誇る氷の花のような笑顔でまかろんは微笑んだ。





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