第二十話 『軍神の高殿』
「副官殿ぉ! 奴らに穿たれた穴は我らが歩兵にて埋め申した! 我ら騎馬隊は左翼の遊撃に回るがよろしいか!?」
「お願いします! 右翼外側の牽制はこちらの魔術師が担いますので!」
「承知した!」
フウライ率いる武士団の参戦により、戦線は再び膠着状態となった。
深い傷を負った自警団と義勇兵の面々は後ろに下がり、治癒術師の治療を受けている。治療が間に合った者もいたし、間に合わず命を落とした者もいた。
参戦した武士団との差し引きで左翼の戦列を構築する兵数に大きな変わりは無かったが、それでも以前より頑強になったのは流石戦闘民族たる鬼人族の力と言っても過言ではないだろう。
「ふぅっ……! 外縁部への牽制に中央への火力支援……継戦能力には自信があったがこうまで長く続くとマナも水薬も持たんの……」
残り少ないMP回復用の水薬を煽り、狐耳の少女――咲耶が大幣をばさりと振るう。
彼女が綴った術式に応じ、傍らに滞空していた数十の狐火が射出された。半数は圧を高める中央集団に、残る半数は戦列の包囲を越え外へと抜け出そうとする外縁部の集団に着弾した。魔物が絶叫を残し灰に帰す。
他の魔術師系のフェローも咲耶に続き、中央集団と外縁集団の半々に魔術による砲火を浴びせて行く。
それを見ながら咲耶は火照った身体を冷ますように手で顔を扇いだ。
普段は余裕のある表情を崩さない彼女だったが、今は片目を瞑り幼い顔を少し歪ませていた。
「大魔術級の技能を十発ほど撃ち込むことが出来れば、勝機はあると思うんじゃが……」
「詠唱とマナ枯渇の機に応じて両翼から敵が漏れ出ると厄介です。大変だとは思いますが、現状を維持し着実に数を減らすしか策は無いでしょう」
「大技をぶっ放して息切れするよりかはそちらの方が賢いかの……せめて両翼への牽制に助勢してくれる者がおれば――」
と、咲耶が呟いた瞬間。
彼女の言葉の残響を巨大な爆発音がかき消した。
「――っ!?」
彼女らしからぬ悲鳴――それさえも聞こえない程の巨大な音。
轟音と言う名の沈黙が戦場を支配する。
両翼の外縁部に何物かが着弾し、盛大な爆発を引き起こしたのだ。
その規模は並大抵ではない。高位の魔術系技能にも迫る巨大な衝撃波。巻き起こされた土煙が戦場全体を包み込み、混乱へと陥れる。
吹き飛ばされた咲耶が狐耳をぺたりと伏せ、巫女服の袖で口元を覆って咳込む。
「けほっけほっ……駄目だと言った傍から大魔術級の技能なんぞ撃ち込みおって……一体どこの阿呆が――」
着弾の数瞬前に聞こえたガラスを引っ掻いたような音は、極音速の物体が空気の膜を貫いた音である。そして、その音の原因は爆心地の中心にあった。
そこに突き立てられたものを確認した咲耶は、自分が発した『大魔術』と言う発言が誤りだったことに気付く。
「――槍?」
爆心地の中心部に突き刺さっていたのは槍だ。
強大な魔力を宿した伝説の武器――では無く、鈍色に輝くただの鉄槍だった。
その爆発は魔術系の技能によるものではない。純粋なる運動エネルギーの余波――思い切りぶん投げられた鉄槍の着弾で発生したただの衝撃波である。
その着弾は一度だけに留まらない。
数秒の間をおいて何十もの鉄槍が両翼の外縁部に着弾した。
まるで重火砲による一斉砲撃。その槍による砲撃は付近にいた数多の魔物達を轢き潰し、着弾した鉄槍と同数のクレーターを大地に穿って行く。
両翼の左右から外に漏れだそうとしていた魔物達は、クレーターの淵に邪魔されて進撃を止めざるを得ない。それは咲耶が望んでいた『両翼外縁への牽制補助』に他ならなかった。
「こんな馬鹿げた威力の投擲など一体誰が――」
と、言葉の半ばまで紡いでから咲耶は思い出す。
この期に及んでそんな芸当を出来る人物など一人しかいない。
あんな理不尽な暴力をこんな土壇場のタイミングで振るう人間など、彼以外に居てたまるものか。
後ろを振り返る。そこに彼の人物の姿は無い。
咲耶の視線はその先――戦列の後方にあるリィベルラント外壁の更に向こう――街の中央に聳え立つ時計塔の上に向けられた。
彼方にある時計塔はここからでは遠く、そこに佇む人影など到底見えはしない。
しかし、咲耶は彼がそこにいることを確信した。
時計塔の上――そこに揺らめく原色の陽炎を見たからだ。
立ち上る六色の陽炎が指し示す意味は『最強』――そして『最弱』。
決して交わることのない二律背反の概念を宿したそれ。
それはかつて、この世界に揺蕩うあらゆる理不尽に抗うため――ただそれだけのために自らの力を削り上げた、人の姿をした何かである。
「なるほどのぉ……ここまでの全て、お主が綴った筋書き通りと言う訳か……」
咲耶の口元にいつもの不敵な笑みが戻る。
「――のう、ヒビキ様や?」
咲耶を含めた全ての人間が彼方を見やる。
千の視線が向かう先はリィベルラントの中央部。
『日陰の軍神』が座する高殿だ。
九元技能『三分間の福音』。
三分の間、全ての能力をシステム上定義された最大値――カンストまで強化する技能。
僕が使える唯一の高位技能――切り札である。
変質してしまったこの世界で『システム』と言う言葉が一体何を指すのかは分からない。しかし、この技能は――この力だけは今のこの世界でも通じる。
僕の投げ放った長槍はEGF時代そのままの威力で戦場の側面に着弾した。
「うん、一通りの流出ルートは潰し終えたかな」
『福音』に付帯する視覚効果――六色のオーラを纏いながら僕は頷いた。
「時間はまだあるから、もうちょいアルフ達を援護しておこうか――ヤト、次の弾ちょうだい」
隣に侍る執事服姿の可憐な少女――じゃなかった、少年の方に手を伸ばす。
彼の名はヤト。漆黒さんのフェローであり、『風見鶏の館』の管理人でもある少年だ。
執事服よりもメイド服の方が似合うともっぱらの評判だが、りっちゃんによれば『女の子らしい男の子が、頑張って男の子の格好をしてるのが良い』とのことだ。業の深い女である。
そんなヤトは僕の催促に困ったように目を伏せた。
「すみません……持ってこれた鉄の槍は今ので最後です」
「後ろにもう一本あるじゃないか。それでいいよ?」
壁に立てかけられた一本を指差すと、ヤトがびくりと反応した。
紫色の袱紗に丁寧に包まれたそれを胸元に抱きしめて、ヤトがふるふると首を振る。
「こ、これはだめです……これは漆黒様の武器コレクションのひとつです……ここに持ってきたのも、旦那様から勇気をもらうためのお守りと言うか……なのに……」
「いいからいいから。漆黒さん、釣った魚には興味無いタイプだし、バレやしないって。大丈夫大丈夫、ぜーんぶ僕に任せておけば安心だから」
「あああああ……旦那様ぁ……ボク、守れませんでした……」
僕が悪い笑顔で指をわきわきさせると、彼が長い睫毛に彩られた瞳を潤ませてそれを渡して来た。何だか物凄い罪悪感が湧いた。
伝説級長槍『黒獅子の霊槍』――全体的に黒くゴテゴテとした意匠は中二病の漆黒さんの嗜好にぴったりだ。性能の方はそれなりである。
そして、手にしたその槍をおもむろにぶん投げた。
彼方に広がる戦場に向かって。力任せに思いっきり。ただそれだけ。
弾道計算なんか必要ない。『福音』の能力によって極限まで強化された『腕力』と『器用さ』のおかげで、槍は直線に飛ぶからだ。
空気との摩擦によって赤熱した槍はまるで流星のよう。
そしてその衝突は周囲に甚大なる破壊の力を撒き散らす。
「うわぁぁぁ……やっぱりすごい……重力とか空気抵抗とかどうなってるんでしょうか……」
「他にもコリオリ力とかあると思うんだけどねぇ。まぁ、この世界の地面って平面だし、自転してるのかも分からないけど……」
暢気な声を上げる僕達二人が見つめる彼方で、漆黒さんのコレクションが盛大に爆散した。僕達のいる場所――時計塔と戦場は数キロ離れているため、槍の着弾音は数秒遅れて聞こえてきた。
『福音』の残り時間はあと十秒ほど。あと一発くらいならいけそうだ。
「それじゃあ、これは僕からのおまけだよ!」
白い外套の中から赤い刀身の剣――伝説級の長剣『ファーレンハイトの炎剣』を取り出す。先日のグリフォンとの戦いに使ったものではなく、投擲専用に能力を特化させた別の一振りである。
「せーのっ、よいしょーっ!」
そして、手の中にある伝説の剣を先程と同じく適当な狙いをつけてぶん投げた。
ファーレンハイトの炎剣は音速の壁を容易く超え、彼方の戦場に向かってかっ飛んで行く。その飛翔の最中、刀身に刻まれた術式が起動し、回転する剣は炎を纏う紅蓮の戦輪となって敵集団の中程に着弾した。
適当に付けた狙いは幸運なことに敵の上位個体を飲み込んだらしい。両翼への着弾に気を取られた矢先に起こった集団中央での爆発。周囲の敵集団の動きがにわかに混乱をきたしていた。
それを確認すると同時、僕の周りに漂っていた六色のオーラが消え失せる。
後に残ったのは途方もない虚脱感。今までの力が夢幻だったかのように、全ての力が僕の中から消え去って行く。
「ふぅ……やっぱりきついなぁ……」
この虚脱感は『福音』の力の副作用である。三分限りの『最強プレイヤー』は、いつも通りの『最弱プレイヤー』へ戻っていた。
身体を支える力すらも残っておらず僕はぐったりと床に座り込む。
しかし、顔だけは眼下に広がる戦場を見据えたままその推移を見守っていた。
「投射弾数は三十発――漆黒さんのコレクションと僕の剣の分も入れれば三十二発かな。うん、十分だ」
戦場の両翼に穿たれた三十一のクレーター――中央に穿った最後の一発分を含めれば三十二個だ――それを見て僕は頷いた。
この砲撃の目的は二つある。
ひとつは、戦列両翼からの敵の漏出を防止すること。
そしてもうひとつは、敵が逃げられない『檻』を作ること。
それは、誰から逃げるのを防ぐための檻なのだろうか。
アルフが指揮する戦列――違う。
時計塔の上から遠距離砲撃をする僕――これも違う。
それは、この期に及んで未だ戦場に顔を出していない、彼女のために設えた『檻』である。
「と言うことで、最後の一手は君に任せたよ――まかろん」




