第十七話 『白銀の決意』
接敵予想時刻まで一時間も無い。太陽が沈むまでに全ては決するだろう。
リィベルラント北門外部、北にそびえる山々と街の間にわずかに広がる緩やかな丘陵地帯に、街の防衛戦力は集結していた。
内訳は以下の通りである。
・風見鶏のとまりぎ所属フェロー100名
・リィベルラント自治会隷下の自警団330名
・リィベルラント市民からの義勇兵570名。
――以上、合計1,000名。
これが今のリィベルラントを守護する戦力の全てだ。
北に山岳地帯を臨み、左翼に自警団が、右翼にフェロー達が展開していた。人数に大分差があるが、実力としてはフェロー側に振り切れるので問題は無いはずだ。街の近隣で待機していたメンバーの合流が間に合ったのは本当に運が良かった。
即席で作った土塁と木製バリケードの後ろには、義勇兵が魔物集団を待ち構えていた。必要があれば彼らも戦列に加わる計画である。
「まさか、1,000人のレギオンパーティーが組めるなんて思わなかったよ。なかなかどうして、立派なもんじゃないか」
「えへへぇ……こちらも在庫品の有効活用が出来て大助かりですぅ……」
シェリーさんの計らいで、自警団と義勇兵にはロウ・ミスリル製の鎖帷子と武器が貸与されていた。初心者から中級者向けのロウ・ミスリル製の武具は性能のわりに軽く、今のエヴァーガーデン基準で言えばとても強力な武装である。
「大規模掃討戦だから魔術による弾幕が重要なんだよね……魔術師系の人員はフェローを含め60名……それとは別枠で治癒術師が30名か……きついなぁ……」
治癒術師がいるからと言って全員を生存させるのは不可能だ。治癒の手が届かなかったり、MPが足りなかったり、単純に手が足りなかったり――理由は色々とある。
先日の巣掃討戦とは違い、間違いなくそれ相応の死傷者は出ると見て間違いはない。
「まぁ、しょうがないか」
そう呟いて状況報告書を外套の中へ乱暴に放り込む。
辺りを確認すると、銀色の楔帷子の上に深草色のローブを羽織った羊角の獣人――コンラッドさんの姿が見えた。
「コンラッドさん参戦するんですか……無理しなくても良いんですよ?」
「はっはっは、行商人には冒険者を兼業する者もおりますからな。私もその類――昔取った杵柄というやつでございます。なに、自警団と市民軍の指揮は、それ相応の経験のある者に取らせますのでご心配には及びませぬ」
コンラッドさんは笑いながら剣を素振りしていた。身体の捌き方から見て、多少の覚えはあるようだ。
「それにしても今回の要撃案、良く呑んでくれましたね。自警団にも被害が及ぶ可能性もあると言うのに」
「アルフレド様とシェリー様から計画の趣旨を説明され、納得しただけのこと。対クォーツ戦線の能力を削ぐことは、自治会としても望むべきことではありませぬゆえ」
「それじゃあ、今回は共闘と言うことでよろしくお願いします」
「おや、私は最初からずっと協力体制を敷いてきたと思っておりましたのに……では、またいずれ商談の場にてお会いしましょう」
くつくつと意地悪な笑みを浮かべ、コンラッドさんは自警団の方へ戻って行った。やはり羊の皮を被った狼であると思う。
「ヒビキ様ー! 来た! 魔物来たよーっ!」
北の山へと斥候に出ていたラシャが帰還した。
「ラシャが撤退を始める頃にはもう山の側面を移動してたよ! 向こうの森から顔を出すまであと十分くらいかな、たぶん!」
ラシャの報告はきっと正しい。耳を澄ませば、北の山の麓に広がる森の中から、重い地鳴りのような響きが聞こえていた。
「では、ヒビキ様……お下知を」
メンバーとの最終調整を終えたアルフが僕に開戦の合図を促した。
「――勝利条件は魔物集団の全滅、または撤退させること。敗北条件はこちらの全滅か、彼らをリィベルラントの後ろ側に漏らしてしまうこと――理由は理解しているね、アルフ?」
僕の言葉にアルフが頷いた。
今回の戦いは『要撃戦』である。レスタール王国への魔物集団の進攻を阻止するための戦いだ。
「この戦いは極めて重要だ。先日の巣戦とは比べるべくも無い! 対クォーツ戦線の趨勢を決定付け得る戦い――戦略的重要性を持った戦いだ!」
「はっ!!」
声を張り上げる僕の前に、アルフが跪いた。
「それ踏まえ、僕が君に命じることはただひとつ――アルフレド・シナモン!!」
僕は白い外套をばさりと翻し、威厳を以って右手を掲げる。
「はっ!!」
そして高らかに宣言した。
「――全部君に任せるね!!」
「はっ、お任せを!! ――って、今何て仰いました?」
想像すらしてなかった僕の言葉に固まるアルフ。
僕はいつも通りのへらりとした笑顔で答えた。
「いやー、ちょっと野暮用があったの思い出したんだよぉ。僕は後ろに下がってるから、あとはよろしくね。イイ感じにやっておいて」
そう言ってこの場から退散しようとする僕に、アルフが物凄いスピードで追い縋ってくる。アルフ史上最大のテンパり具合だった。
「ちょ! ちょちょちょ、お待ちくださいヒビキ様! 気でも違いましたか!?」
「いや、本気も本気さ。君が指揮を執るんだアルフ」
僕がアルフの瞳を見つめる。端正なマスクで彩られたその青い瞳は、動揺に揺れていた。ぶっつけ本番でお願いしたんだし無理も無い。
「そんな! 事務仕事の指示ならまだしも、フェローの私が戦闘指揮を執るなんてできません! それはプレイヤーの皆様のお役目です! ただのAIに過ぎないフェローがそんな大役など!!」
アルフの悲痛な訴えに、先日の巣掃討戦でのユネの言葉が重なった。
『私達は誰かを指揮するという経験がありませんでした』。
それは、強大な力を持つはずのフェローが、クォーツに苦戦してきた理由のひとつでもある。
多くのプレイヤーやフェローを自分の手足の様に操って戦う指揮官ごっこという遊び。かつてそれは、EGFと言うゲームのお客様――プレイヤーによって担われてきた。フェローはプレイヤーの手足として戦う存在であり、指揮官として豊富な経験を持つフェローは存在しない。
加えて、フェロー同士に上下関係は存在しない。個人間における好き嫌いはあれど、基本的に皆が仲の良いお友達である。変わってしまった今の世界においてもそれは変わらず、戦闘時の方針は『上位者からの命令』ではなく、『全員の合意』によって決められてきた。
『指揮官としての経験の少なさ』と『フェロー同士の友人関係』――これがフェロー達が戦闘指揮を担うことに拒絶反応を示す理由である。
「プレイヤーだから、とか、フェローだから、とかじゃないんだよ」
そのことを踏まえ、目の前で言葉を震わせるアルフの肩に手を当てた。
「アルフ、君になら任せられる――この四年間、『風見鶏のとまりぎ』を導いてくれた君になら皆の命を任せられる」
「ヒビキ様のような力など私にはありません……」
足りていないのは能力ではない。自信だ。
背中を支えずに立てる程、彼はまだ強くない。
だから彼に与える。プレイヤーという権威の力――それに基づく『保証』を。
「君がこの悪意に溢れた世界の中で培ってきた力、それは紛れもなく本物だ。この僕が保証する。かつて『日陰の軍神』――そう呼ばれたこのヒビキの名において、それを保証しよう」
端正な顔に湛えられた青い瞳。それは未だ動揺と不安に揺れていたが、その中にひとかけらの決意の火が灯ったのが見えた。
この世界がゲームの続きなのか、本当の異世界なのかはまだ分からない――故に僕は、その存在自体が不安定だ。
だから、僕がいなくなった時、僕の代わりに皆の前に立つ存在が必要なのだ。
それをアルフに任せたい。
「まぁ、君ならやれるさ――きっと、僕よりも上手にね」
彼からの返答は待たず、僕はこの場を後にした。
心配は無い。なにせ、彼には最強の力が付いているのだから。
最後の一押しは、それに任せるとしよう。
ヒビキが立ち去ってからしばらくの間、アルフレドの視線は地面に縫い付けられていた。視点は定まらず呼吸も浅い。背中に滲む冷や汗は、クォーツと戦う時とはまた別のものだ。
指揮を執る者としての重圧、戦友達の命を背負うことに対する責任感が彼の思考をぐるぐるとかき乱していた。
ヒビキやリィンベルはこんな重圧に耐え、数多の戦いを潜り抜けて来たのだろうか。
「アルフ君」
「ユネ殿……私はどうしたら……」
駆け寄ってきたユネにアルフレドが問うた。普段の彼からは想像もつかない、弱々しく不安に溢れた声だった。
「どうしたら、って……アルフ君が指揮を執るんじゃないんですか?」
ユネが不思議そうな表情で首を傾げた。
何をそんなに悩んでいるのか、とでも言いたげな様子である。
「私は貴女と同じフェローなんですよ!? そのような者に命を預けるなんて、怖くは無いんですか!?」
「はい、怖くありませんよ?」
アルフレドの激昂に、きょとんと答えるユネ。
すると、彼を取り囲んでいたフェロー達から次々に声が上がる。
「つーか、アルフちゃん、そんなこと気にしてたんすか? 普段あれだけこき使っておいて、今更そりゃねーっすよ! 兄貴のあのヤベェ指揮に比べたら、アルフちゃんのぬるい指揮に従うのなんて余裕っす!」
「もー、ほんと! 今更も今更だよ! 何で今までアルフ君が、ラシャ達の指揮を執ってこなかったか不思議なくらい!」
「ラシャの言う通りじゃ。儂等が今まで生き残れたのは、お主の力があったに他ならない。だから自信を持つと良い。お主は我らのリーダーなのじゃから」
「うん……みんな、これまで頑張ってくれたアルフさんに、ありがとうって思ってるんだよ? だから……またみんなでがんばろ……?」
ユーゴが、ラシャが、咲耶が、クゥが、全員が笑っていた。
彼が指揮を執ることについて、微塵の不安も感じていない様子だった。
それは後ろに控える数多のフェローも同じだ。フェロー達が次々とアルフレドに駆け寄り、励ましの言葉をかけて行く。優しい言葉をかける者、緊張を解そうとする者、茶々を入れる者――全員が全員、それぞれのやり方で彼を励ます。
四年の長きに渡るクォーツとの戦いで、アルフレドが手に入れたのは単なる戦闘経験だけではない。フェロー達からの信頼もまた勝ち得ていたのだ。
「みんなアルフ君を信頼しています――アルフ君がいたからこそ、私達は今ここに立っていられるんです」
だから、とユネが言葉を続ける。
「私達の命、アルフ君に託します」
ユネの言葉に全フェローが頷き、九十九対の視線がアルフに注がれた。
フェロー達の向こうには、不気味に揺れる森の姿。衝突の時までもう幾ばくも無い。
アルフレドは一度空を仰いで深呼吸。
そして前に向き直り、今度こそ力強く声を上げた。
「我らが盟主ヒビキ様の名の下――その名代として、このアルフレド・シナモンがこの戦の全権を預かります!」
平原を渡る風のような――そんな良く通る声は、在りし日のリィンベルを彷彿とさせた。
「敵集団はゴブリンとオークを中心とする魔物七千体! クォーツ戦線維持のため、彼らをリィベルラントより先に進ませるわけにはいきません! ここで全て殲滅します!」
応、と声を揃えてフェロー達が答える。
「剣を掲げよ!!」
凛と響いた声の求めに応じ、フェロー達がそれぞれの得物を蒼穹に掲げた。
掲げられた得物は剣、槍、弓、杖――バラバラであれど、胸に抱く想いは同じだ。
「さあ始めましょう! 我らが故郷、エヴァーガーデンの未来のために!!」
白銀に輝く斧槍を掲げ、アルフレドは戦端を開いた。




