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電気羊の異世界プロトコル  作者: みかぜー
第二章 リィベルラントの窓辺
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第十六話 『黒き胎動は北の彼方より』



 真夏と言えどもリィベルラントの朝は涼しい。


 朝の静謐な空気を切り裂いて少女が走る。

 リィベルラント北側の山。そこに生い茂る木々の間を縫うように少女が駆けていた。黒髪のショートカットに狼耳のアクセサリーを付けた少女――ラシャである。

 首元のチョーカーの鈴をちりんと鳴らし、ラシャは山の頂上にある木の梢に降り立った。


「んーっ、今日もいい天気っ!」


 狼耳と尻尾をぴんと立たせてラシャが伸びをする。

 朝の哨戒任務はこれで終了。街の近隣にいた住民に害を及ぼしそうな魔物は全て倒した。今日も平和なリィベルラントの一日が始まる。


 木の梢から南側を見下ろすと、数キロの先には朝靄に煙るリィベルラントの姿。

 彼女は芸術には疎かったが、鋭い感性はただ純粋にその姿を綺麗だと感じていた。


「やっぱり山の上だと、あんなにおっきいユグドラシル・イリスでも小さく見えるんだね。最近は光ることが多かったけど今日はどうかな。綺麗だしまた見たいなあ」


 向日葵のような笑顔でラシャが笑った。

 逆側を振り返れば、フォルセニア大陸北部の険しい山々が嶺を連ねていた。

 リィベルラントはフォルセニア大陸における人界の果てである。今、ラシャの目に映っている風景は、多くの魔物が闊歩するひとならざるもの(・・・・・・・・)達の世界だ。

 緑の山々も、清かな水を湛える湖も、竜の牙のように複雑に隆起した岩山も、幻想的な美しさとは裏腹に大きな危険を宿している。


「クォーツを倒したら、またみんなで遊びに行きたいな」


 そんな彼女は少しの違和感を覚えた。

 大陸北部の景色が映る視界の果て――彼方にそびえる山々の間に、黒く蠢く何かがあったからだ。


「んー、なんだろうあのわさわさ(・・・・)……クォーツはここには出ないし……」


 遠視系技能(アーツ)――『鷹の眼』を使用してラシャが視界を拡大する。

 その黒い蠢きは単一の物体ではない――何かが集まって成立した『集団』――それがゆっくりとした動きで、こちらの方に迫ってきているのが見えた。


「――っ!?」


 『それ』が何かを理解した瞬間、ラシャの狼耳と尻尾がぶわわ(・・・)と逆立った。

 狼耳と尻尾の逆立ちが収まるよりも早く彼女は梢から飛び降りた。

 なにが、どうして、なんで――上手く言葉にすることが出来ない。

 しかし、ただひとつだけ分かることがある。


 ――あれはよくないものだ。


 人間ではあるが、その気質、本能の在り方は獣人に近いラシャ。

 その本能に従って彼女はリィベルラントに向かって全速力で駆け出す。


 自分達の盟主――ヒビキの元に急ぐのだ。






 ラシャの報告を受けたフェロー達は、てんやわんやの大騒ぎである。

 薬品(ポーション)類の補充に走る者、住民達の避難誘導をしようとする者が入り乱れ、館の廊下を右往左往していた。


 僕も朝早くにラシャに叩き起こされ、館の会議室に詰めていた。


「ラシャ、報告の内容に間違いはないね?」

「うん! 街の北側の山岳地帯に魔物達の大きな集団がいるのが見えたよ! ゴブリンとオークが中心だったかな、コボルトもちょびっとだけ見えた!」


 そう言ってラシャが地図――先日ユネとアルフに頼み、ジョンさん宅から持ち出して来てもらったもののひとつだ――を指し示した。そこはリィベルラント北側およそ三十キロほどの地点にある山岳地帯の麓だった。


「彼らの目標は分かる?」

ここ(・・)! と言うか、山と山の間を縫うように進んでるみたいだから、そのうちこの街に辿り着くーって言った方があってるかも?」


 顎に人差し指を当ててラシャが首を捻る。ぱたぱたと揺れる狼耳と尻尾は、いまだ興奮冷めやらぬと言った所だろうか。


「咲耶、ラシャの言葉は合ってるかい?」

「ちょいと待っておれ……其は光の纐纈(こうけつ)十重(とえ)二十重(はたえ)に綾なせよ――」


 咲耶が呪文を唱えると、地図の上に光の線が走った。


「北部山岳地帯の地形を考慮した魔物達の想定ルートじゃ。ただ単純に山々に沿って移動しているのならこのルートで間違いない……まぁ、他に目的があるのなら話は別じゃが……」


 曲がりくねった線の先にはこの街がある。ちょうど街の北側に衝突するルートだ。


「そもそも何でこのタイミングで襲撃が……理由がよく分からないなぁ……」


 首を捻る僕にアルフが答えた。


「考えられる可能性としては三つ……単純な領土目的の侵攻、勢力変化に応じた故の逃避行、あとは――『魔嘯』くらいでしょうか」

「『魔嘯』ってこの世界でもあるんだね……EGFのイベントだけだと思ってた」


 マナを取り込んで命を繋ぐ種族――人間や亜人、魔物が大量のマナを急激に取り込むと、マナ酔いと呼ばれる症状が発生する。マナ酔いによって自我が消失し、集団で暴走を始める現象が『魔嘯』と呼ばれる現象だ。

 EGF時代は『魔嘯』を題材とした大規模イベントも数多く開かれていた。


 まかろんが地図の上に更に光の帯を重ねた。


「北部地域には太い龍脈が何本も通っています。その一部が何かしらの理由で励起され、大規模な魔力渦を発生させたという可能性もあります」

「ここ数日のユグドラシル・イリスの発光現象もその影響でしょうか?」


 ユネの問いにまかろんは頷いた。


「原因の本格的な調査は後でやろう。魔物達の数は七千くらいって言ってたっけ?」

「うー……森の中で見えなかった部分もあるから自信ない……でも千とか二千とかの数じゃないことは間違いないよ!」


 仮に敵の数を七千としよう。こちらの戦力は五十人程のフェローに、三百人程の自警団だ――かき集めれば千人くらいは行くかもしれない。


「幸い敵集団はゴブリンやオークが中心。街の中に立て籠もって、守備に徹すれば倒せる数だとは思いますが……」

「いや、籠城戦はしない。正面から迎え撃つ」


 即断した僕に、アルフは素っ頓狂な声を上げた。


「はぁっ!? あの数を相手に正面戦闘なんて正気ですか!?」

「アルフ、君の意見も正しい。籠城戦に持ち込めば大きな被害を負うことは無いと思う。でも、彼らが本能の赴くままに動いているとしたら……この街を通り過ぎ南側に流れるとしたら――この街の向こう側にあるのは何か分かるかい?」

「それはロスフォルの大叢海――なるほど、理解しました」

「うん、今ここでレスタール王国の戦力を使わせるわけにはいかないんだ」


 大叢海の東部には対クォーツ戦線が展開している。魔物集団が大叢海の北西部から侵入したとすれば、王国にとっては挟み撃ちの状況になってしまう。

 もちろんそうなれば王国も魔物鎮圧に力を割かねばならず、その結果、クォーツ戦線の防衛力が低下するのは明白だ。現在の戦線を維持し、後方で力を蓄える方針を取っている僕達として、そんな事態は何としても避けなければならない。


「もしかしたら、彼らは本当にこの街だけを襲うつもりなのかもしれない。でもそんな憶測に基づいて予定を立てていられるほど、悠長な状況じゃないんだ」


 彼らが僅かな可能性の間隙を縫って、大叢海へ侵攻したのなら、その瞬間クォーツ戦線は瓦解してしまう


「――だから、僕達(ここ)で全部処理する」


 そう言い切った。


 皆を見渡すと僕の意図を理解したようで、全員が頷いてくれた。

 アルフが一歩前に出て僕の前に跪く。

 かつて、りっちゃんにしていたものと同じ所作だ。


「承知しました。フェローの編成はこのアルフレドにお任せください。ヒビキ様は戦場にてそのお力を振るわれますよう……」


 端正な顔に強い決意の意志が宿っていた。

 立ち上がったアルフは手を叩くと、早速フェロー達に指示を飛ばす。


「さあ、時間がありませんよ! ユーゴ殿はこの街に残る全フェローに召集指示を。ヤト殿はシェリー殿に連絡を取り、戦闘に必要な物品を手配して下さい。残りの者は自治会と連携し、街の中央への住民の避難誘導をお願いします」


 四年の長きに渡るクォーツとの戦いを経て、アルフは成長していた。

 普段はユネの戦闘力の陰に隠れてはいるが、元々彼の能力はとんでもなく高い。『風見鶏のとまりぎ』のメイン防御役(タンク)を務める強靭な戦闘能力はもちろん、良く回る知恵も持っており、りっちゃん由来のカリスマ性も兼ね備えている。

 フェロー達のまとめ役という立ち位置はEGF時代と変わらないが、りっちゃんに命じられての仕事ではなく、確固たる自分の意志を持ってその職務を遂行しているように見えた。


 そんな成長し、更に凛々しさを増したアルフの下に、ユネがすごい良い笑顔で寄ってきた。


「アルフ君! 私は何をしましょう!?」

「ユネ殿は直接戦闘専門なので今は特に……」

「え……」


 ユネの表情が絶望に沈む。

 あぁ、あれは能力を期待されていないと言うより、仲間外れにされたことに落ち込む子供の顔だ。

 そんなショックを受けるユネに、アルフはしどろもどろに提案した。


「あの……お茶を……皆さんにお茶を淹れていただけますか……?」

「……不味くても良い?」

「はい……良いので……もう何でも良いので……」


 嬉しそうに廊下へと消えるユネをアルフが白目で見送った。四年の長きに渡るクォーツとの戦いを経ても、この二人の関係性に成長は無いようである。


「何とかしてくれませんかね……ヒビキ様のフェローでしょう?」

「君の妹でもあるね」

「ヒビキ様方の脳内設定じゃないですか……血の繋がりはありませんし……」

「なるほど、内縁の妹と言うやつか」

「なんですかそのイメージプレイ」


 何だか白くなったアルフはふらふらとした足取りで会議室を後にした。まだ戦いも始まっていないと言うのに、疲労は困憊のようだ。

 この物語は、僕がクォーツの脅威から世界を救う物語であると同時に、彼が胃痛と戦う物語でもあるのだ。頑張って欲しい。色々と。


 各自の持ち場に散ったフェロー達の中、会議室の片隅に佇む影がひとつ。

 傍らに背の丈を超える長杖――『昏き探求のミスティリオン』を浮遊させ、濃い紫色のローブに小柄な身体を包んだ少女――まかろんである。


「まかろん」

「はい」


 呼べば答える無表情。例によって絶対零度の声音であった。


「こっちに来て初めての共同戦線だね。君の力――頼らせてもらうよ?」


 僕の言葉にまかろんは両手を胸に当てて目を閉じる。彼女にしては珍しい所作。

 何を考えているのだろう。常識から外れた知性の持ち主である彼女の頭の中は、常人に量ることなど決して出来はしない。

 再度目を開けば、そこにはやはりガラスの様に輝く黄金色の瞳。

 まかろんは桜色の唇を小さく開き、


「……はい、ヒビキさんがそれを望むのなら」


 囁くようにそう言った。





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