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電気羊の異世界プロトコル  作者: みかぜー
第二章 リィベルラントの窓辺
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第十五話 『獅子の溜息は欠伸にも似て』



 エヴァーガーデンにおいて、一年の始まりから数えて七つ目の月を『(えんじゅ)の月』と呼ぶ。

 各大陸ごとに巡る季節は異なるが、国や民族が変わってもこれは変わらない。

 フォルセニア大陸中央部に版図を広げるレスタール王国でも例に漏れず、他国と同様、暦の上では槐の月の二十日を数えていた。王国では、夏も盛りの時期である。


 一ヶ月を三十日とし、十二ヶ月で三百六十日。二ヶ月に一度入る『(しずか)の日』と呼ばれる安息日を五日加え、合わせて三百六十五日。これを一年と定めた暦法は、第一暦に『始まりの種族』が定めたものだ。


 彼の種族に関して、詳しいことは何も分かっていない。

 その文化や生活様式はもちろん、いかなる姿をした種族だったのかすらも不明である。

 第一暦と言えば、天上の神々がこの大地を治めていたとされる時代だ。

 その記憶は永い時の流れで風化しており、険しい山岳地帯や、海の底に眠る遺跡に僅かに痕跡を残しているのみ――一般的には、歴史の一ページというよりも、神話の一節と認識されている。


 『始まりの種族』によって定められたのは暦法だけではない。

 記数法、度量衡など、文化的な営みを送る上で欠かせないあらゆる基準や尺度が、もはや数えることも叶わない古の御代に定められたものである。

 六年前の『忘却の日』。千の英雄達は、『最後の(きざはし)』に座した悪神を討つことに成功した。

 これにより、古からの呪縛より解き放たれ、真なる自由の下に歩み始めたとされるエヴァーガーデンであったが、人としての歩みを止めずに日々を送って行くためには、今までの全てを捨て去るわけには行かなかったようである。


 当然と言えば当然のことだ。

 ヒトは暦を数えて種を撒き、巻尺の目盛りを数えて家を建てる。市井の針子は縫い目の数を数える必要もあるだろう。

 体裁や面子だけを食べて生きていけるわけではないのだから。


「御伽噺のように、全てが綺麗に収まるわけではないか……」


 乳母より読み聞かされた御伽噺――あれはあれで面白かったが、と内心で付け加えて席上の少年は息をひとつ吐いた。


 上等な生地で仕立てられた装束に身を包んだ少年である。

 父祖より受け継がれた黄金色の髪は、獅子が(たてがみ)の如くの気高き輝きを宿していた。それとは対照的に、卓上の応酬を眺める少年の双眸には諦観の色。


「な、何か、ご報告に気に障るような内容がございましたか……? 」


 先ほどの呟きが漏れていたらしい。

 父親程に歳の離れた壮年の騎士は、彫りの深い顔に冷や汗を浮かべ、少年の次の言葉を待っていた。卓上の喧騒がぴたりと止まり、少年に向けて何十もの視線が注がれた。


 敬意、畏怖、蔑視。

 善いものと悪いもの全てがシチューのように混ざり合った感情。それが少年ただ一人に向けられる。

 何十年もの間、毒蛇の巣窟とも言える王宮の中で生き残ってきたこの国の首脳陣である。気の弱い亜人なら頓死してもおかしくは無い。


 少年は仏頂面を崩さずその騎士に先を促した。


「そなたが気にする所ではない。職務を果たせ。報告の続きを」

「は、はっ」


 報告の中身は、半月ほど前にロスフォルの大叢海(だいそうかい)で行われた『クォーツ』の中規模拠点――(ネスト)の攻略作戦に関する報告である。正式な名称は『第二十一次ロスフォル巣掃討戦』とされているが、これは事後になって慌てて付けられたものだ。


 少年にはそう報告されている。

 もちろん、その報告の中身全てを馬鹿正直に信じる彼ではない。

 少年の耳に入るまで何枚ものフィルタに通され、伝えるべき事実すらも捻じ曲げられている可能性さえあるのだから。


「――以上で、第二十一次ロスフォル掃討戦の第三次報告とさせていただきます」

「しかし、まぁ、何と言うべきかねこれは……」


 側頭部の山羊角を触りながら壮年の男が失笑した。

 上座の少年に程近いその席は、彼がこの場においても相当な権力を有していることを意味していた。


「北方騎士団に帯同したと言う人間達の力……これは誇張し過ぎではないのかね? グリフォンの巨体を片手で弾き飛ばしただの、クォーツの結晶をバターのように溶かし斬っただの――荒唐無稽にも程がある。こんな出来の悪い演劇の主人公、市井の子等でも喜びはしまい」

「は、はっ……仰ることは重々承知しております。ですが、北方騎士団団長のランスタット卿からは――」

「ユネ・ナトリ殿にアルフレド・シナモン殿……『風見鶏のとまりぎ』の最高戦力である両名の実力は何度も伝え聞いてはいるが、これは度が過ぎる。報告書に英雄譚などを綴られたのでは、史書館の書架がいくつあっても足りないだろう。最後まで戦いを共にしたと言うランスタット女史を査問するしかあるまい」


 山羊角の男性が、豊かに蓄えた白髭を撫でながら言った。

 その声に、もう一人の獣人の男性が反論する。

「それには及びませんぞ、バルナーク公。ランスタット卿が二心無き人物なのは明

白なはず。子飼いの督戦官からも同様の報告を受けているのではありませんかな?」

「ふん、相変わらずだな、ウィルヘイム伯。その耳の良さは金貨が落ちる音を聞き分けるだけではないとみる」

「ここ最近は金食い虫が元気になる時候ゆえ……耳をそばだてていなくては、蔵も空になりましょうぞ」


 何度目か分からない二人の皮肉の押収だ。

 この国において、極めて高い地位にいる二人を咎められる者は誰もいない――最上段の席に座る少年を除いては。


「ご苦労だった。騎士団の者達も疲弊していることだろう、十分な休息と俸給を与えてやれ。南部にはクォーツの小集団が確認されているが、掃討には近侍の近衛を出せば良い。損耗した北方騎士団の補強についてはそなた達に任せる」

「お待ち下され。近衛は御身を守る大事な盾にございます。王都から離れ、辺境の地に出すなど言語道断。御身を危険に晒すなど、先王に面目が立ちませぬ」


 少年の言葉に反論を重ねる山羊角の男性。


「四方の各騎士団は長く続く防衛線の維持で消耗が激しい。諸侯軍も同様だろう。我が国で余裕が残された戦力は近衛しかいまい。それとも、そなたの中央軍を出すか? 帝国や人間からの潤沢な支援物資を注ぎ込んだ強軍だ。当然、張子の虎というわけではあるまい?」


 少年の鋭い視線を全く意に返さず、山羊角の男性は自信たっぷりに頷いた。


「まさか、ご期待に沿える錬度にございます。しかし、レスタールはまだ雌伏の時。来たるべき反抗戦に向け、その刃を研ぎ澄ましている最中にあります。刃を振るう時期としては些か尚早かと」

「鋭い刃も研ぎが過ぎれば、脆く欠けやすくなると思うがな」

「……」


 少年の皮肉に男性は押し黙った。男性に一矢報いて見せたという喜びなどは微塵も無く、彼は冷めた様子で話を進める。


「まぁ良い。彼の人間達の街――リィベルラントだったか。そこに送った書簡の返事はどうか?」

「はっ……王政庁外局と四方騎士団統帥部の名で送りましたが返答はございません。黙殺の構えかと……栄えある我が国の招聘要請を無碍にするとは」


 山羊角の男性が憤る。豪奢な細工がされたガラスの器を煽ると、幾分か気持ちが落ち着いた様子だった。


「我等とは気質を根本的に違えた種族だ。無論、国民でもない彼の者達に礼を失することもできまい。対応については別途機会を設けよう――他には?」

「中央魔術院の観測台からの報告です。大陸北部に不規則な『魔力渦』が発生しているとのこと――原因は不明。彼のリィベルラントの近隣地域が発生源のようです」

「『魔嘯』となって害を及ぼす可能性は?」


 大規模なマナ酔いによって狂暴化した魔物が集団で村々を襲う現象――それを『魔嘯』と呼ぶ。地震や嵐と並ぶこの世界における天災の代名詞だ。


「仮に魔嘯となった場合でも、リィベルラントを襲撃するはずなので問題は無いかと」

「それが問題だと言っている。必要があれば彼の街へ援軍を――」

「それはなりません!」


 少年の言葉に山羊角の男性が噛みついた。

 少年の言葉はこの国で最も重みを持つ言葉だ。彼が『やれ』と言えば、それ以外の選択肢は無い。故に最後まで言葉が紡がれる前、男性は少年の言葉を遮ったのだ。


「このクォーツ戦役において、人間達のために――無駄なことのために割ける戦力などございません」

「無駄なことだと……? 寄る辺きこの世界。そこにおいて尚、我らと共にクォーツの討滅にその身を割いてくれた友たちの――その高潔な魂を指して無駄と申すのか……!?」


 今まで表情を崩さずに対応してきた少年であったが、今度こそ男性の言葉に顔をしかめた。


「『御業(アーツ)』を自在に操り、一太刀で敵軍を薙ぎ払い、言霊一つで大地に穴を開ける強大な種族……彼らは『亜人』ではございませぬ。この大地に見捨てられ、何千年も前に終わりを迎えた種族――『人間』にございます」


 山羊角の男が話を続ける。


「魔嘯封じの防波堤になれば上々。最後くらい、この世界のために役に立ってもらおうではありませぬか」

「貴様……!」

「陛下はどうやら人間達に懸想しているご様子。我等国民ではなく、御身を(・・・)その椅子に据えた(・・・・・・・・)人間達の肩を持ちますかな?」

「……っ」


 男性にやり込められ少年が表情を歪める。

 男性の言葉は、今この場で首を刎ねられてもおかしくない無礼なものだった。しかしそれができない程の権威を有しているのは、少年も男性自身も承知だ。


「バルナーク公! それはあまりにも不敬なお言葉でありますぞ!」

「……よい、全ては私の不徳によるものだ」


 少年の肩を持つ男性の言葉を抑え、少年が頷いた。


「報告は以上のようだな。後はそなたに任せる。好きにしろ」

「は……仰せのままに……」


 満足そうな表情を隠しもせず、山羊角の男性は一礼した。

 少年が専用の扉から通路に出ると、そこには心配そうな表情の少女が待っていた。


「お兄様……大丈夫でしたか……?」

「アルティナか……騎士学校では聞き耳の立て方も教わるのか?」


 少女の手に握られていた集音用の魔導具に目をやり、少年が険のある声を発した。

 少年の妹――アルティナが心配な表情で少年に駆け寄る。


「そのような……私はただお兄様が心配で!」

「ああ……分かっている、分かっているさアルティナ」


 少年が少女の黄金色の髪を撫でる。まだ年若いアルティナは、少年にされるがまま顔を紅潮させて俯いた。

 そんな二人の様子を眺めていたのは、アルティナの傍らに立つもう一人の女性。


「聖女殿――更紗殿にも、妹が迷惑をかけたな。聞き耳を立てて面白い話でもあるまいに」


 白を基調とした優雅なローブの女性が上品に笑う。


「くすくす、私はアルティナ様がしどろもどろする、とーっても可愛いご様子を拝見できただけで満足ですわ」

「……そなたも変わった人間だな」

「あら、それを仰るのなら、リィベルラントは変人達の見本市ですよ? そんな街を助けようとするなんて、陛下も相当な変わり者ですわ」


 女性のからかいに少年は軽く微笑んで答えて見せた。


「幼き頃――悪しき神から父上の魂を救ってくれた時の借りだ……その人間のことは『忘却の日』を経て、顔も名前も忘れてしまったがな」


 それは幼き頃の記憶。クォーツ達の侵攻よりももっと前――この世界を数多の人間が渡り歩いてきた、そんな時代の記憶だった。


「せめて人間達が抱える苦難を僅かにでも背負ってやりたい……そう思っていたが、今の私にはそんな力も無いらしい」

「お兄様……」


 妹の肩に額を預け、懺悔するように少年が呟く。


「我らが祖先がそうであったように、努力はして来たつもりだ。為政者として、戦士として、一人の獣人として……しかし現実は違う。国土は蹂躙され、臣下の轡は取れず……ただその場その場で、茶を濁してやり過ごすだけの体たらくだ」


 十八歳と言う、青年と称するには少し若い少年の声。常には凛として良く通っていたその声は、宙を漂うように頼りなさげに揺れていた。


「なぁ、アルティナ……私はどうすればいい……」


 その問いに少女は応えることが出来ない。


「私は……俺はどうすればいいんだ……『先生』……」


 少年の名は、フィリウス・ルシア・レオンハート・レスタール(・・・・・)


 年若き王の声に答える者は誰もいなかった。





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