第八話 『天秤を守る者、揺らす者(上)』
ピーター商会リィベルラント臨時総本店の四階にある社長室。
商会の長なのに『会頭』ではなく、『社長』と呼ぶのは部屋の主の希望による。
執務席の主、ピーターさんは現在死の淵にある。そんな主不在の部屋にて、応接用の椅子に着いていたのは、僕とユネとまかろんの三人だ。
「コーヒー飲まれますかぁ……?」
シェリーさんが部屋に連結する給湯室からぬるりと顔を出し聞いてきた。
「今は亡きサハルジェーラ砂塵地方の特級品ですよ。三年物のオールドクロップ……まぁ、私が淹れると吐き気がするほど濃くなりますが」
ワーカーホリックとカフェイン中毒は、切っても切れない関係にあるらしい。
「僕はブラックで。普通の濃さで淹れてください」
「あ、私は砂糖とミルクを……」
「コーヒーは要りません。砂糖だけ下さい」
「砂糖だけ!? 止めましょうまかろん様! ぽんぽん痛くなりますよ!?」
そんなユネの心配の結果、まかろんの前には、やたらと粘度の高いコーヒーと、これまた甘そうな焼き菓子が置かれた。
「さてぇ……当商会の大雑把な概況については、先日ヒビキ様に説明させていただいた通りですが……」
「はい、ギルドとピーター商会の資産統合の件、ありがとうございました」
シェリーさんと彼女のマスターであるピーターさんは『風見鶏のとまりぎ』の一員である。しかし、この『ピーター商会』については、彼等の完全なる私物だ。
今回の戦乱に際し、その商会をギルドの財務部門として統合させたことは、前もってシェリーさんに伝えられていた。なお、他所との商売では現在も『ピーター商会』の屋号を使用しているとのことである。
ピーター商会の持つ資産は莫大だ。
EGF時代、エヴァーガーデンにおける富の一割を支配していたとも言われたその経済力は、ユネ達のこれまでの戦いの根底を支えてきたと言っても過言では無い。
そのことを踏まえ、僕はシェリーさんに礼を述べた。
「資産統合の件については社長の判断ですよぉ。社長のことですから、その方が儲かると踏んだんでしょうねぇ。まぁ、現実はこれまでの資産を切り崩しての経営になってますが……もー火の車ですぅ……」
「やっぱり、ポータルや共有倉庫が使えなくなったことが原因ですか?」
「えぇ……細かく言うともっとありますが、EGFというゲームの仕様の中で稼げる仕組みを作っていたのが理由ですねぇ……社長が存命中に色々施策を打ったので、最初よりはマシになっていますが……」
都市同士を瞬時に結ぶポータルや、どの拠点でも同じアイテムを取り出すことのできる共有倉庫は、EGFと言うゲームで提供されていたシステム系の機能である。
当然ユーザーはその機能を利用し、冒険や商売を快適に行ってきたわけであるが、現在の世界においてそれらシステム系の機能は軒並み消滅していた。
その機能を前提として商売の仕組みを構築していたピーター商会の苦境は、シェリーさんの言った通りである。
「あの……マスターの世界の知識を生かした商品とかは作れないんですか? ご飯関係とか売れそうな気がしますけど……向こうの世界は美味しそうなものいっぱいありましたし……」
商売をする上で利益を上げる方法は大きく二通りに分類される。入ってくるお金を増やすか、出ていくお金を減らすか、この二通りだ。
現実世界の知識を利用し、入ってくるお金を増やしてはどうか、というユネの提案は理に適っていた。
そんな彼女の言葉にシェリーさんは首を横に振った。
「あぁ、ソース類とかは試作してみましたがダメでしたねぇ……あちらとは生産技術の水準も、調達できる資材も全く異なりますし、保存技術も発達していないのでぇ……」
逆を言えば、こちらの技術や材料で作れて、保存に問題が無いものなら稼げると言うことだ。加えて多くの利益を上げられる商品なら更に良い。
「武器関係とかはどうですか? 例えば銃とか……」
武器と言えば戦乱に欠かせない商材である。歴史を紐解いたとき、武器の売買によって財を成した者は数多い。
そんな案を彼女に振ってみるが、ユネの時と同じく首を振られてしまった。
「あぁ、銃なら作りましたよぉ。クォーツには効果が薄く、このご時世で広く流通させてしまうと社会不安を招きかねないのでお蔵入りにしましたが……」
元々剣と魔法の世界であるエヴァーガーデンに銃と言う武器は存在しない。
魔術以外の飛び道具と言えば、弓矢、投げ槍、投石等、原始的な物ばかりである。そんな世界の技術水準で銃みたいな工業製品など作れるものかと疑問に思ったが、実際に作れたらしい。
「自分で言っておいて何ですけど、銃ってそんな簡単に作れるものなんですか?」
「私が作りました」
僕の隣で舐めるようにコーヒーを飲んでいたまかろんが答えた。
「炸薬に術珠を使用した、工学と魔術の合いの子ですが」
「あぁ、そりゃ君なら作れるんだろうね……」
知性の殿堂たるまかろんにとって、銃の設計などさほど苦でも無かったらしい。
シェリーさんが別室から持ってきた木箱を卓上に置いて、実物を見せてくれた。
「元々回転式と単発式の二種類があったんですが、回転式は紛失してしまったみたいでぇ……今はこの単発式しかありませんねぇ……」
漆黒の銃身に木製のグリップが付けられた、拳銃と称するにはいささかゴツすぎる外見。大きなシリンダー部が特徴的である。現代世界の銃器のように洗練されたフォルムとは程遠いが、その形状は紛れもなく銃であった。
「近接戦闘が不得手なヒビキ様にはこちらの方が性に合ってるでしょう。よかったら持って行ってください。弾丸はこちらを、術珠を装填していただければ炸薬の代わりになりますぅ」
受け取った小さな革袋は、見かけによらず相当重い。
「引き金を引くと、撃鉄に取り付けた魔石とシリンダーに装填した術珠が反応を起こし、術珠の魔術効果によって弾丸が射出される仕組みです。あとその銃は半欠陥品なので注意が――」
「なるほどねー、昔まーくんの持ってたモデルガン触ったことあるけど、やっぱり本物は質感が違うなあ!」
感嘆の声を上げながら銃をいじくり回す。やはり僕も男。銃とかの工業品にロマンを感じる人種なのである。
クォーツにはあまり効果が無いと言っていたから牽制くらいにしかならないと思うが、戦闘時の手札が増えるのは嬉しい。
しかし、FPS系のVRゲームはやったこと無いので練習が必要そうだ。
「銃の練習なら私もお手伝いしますよ」
自宅の庭に練習用の的でも用意しようかと考えていると、傍らのユネがにこにこしながら提案してきた。
「手伝いって、これ一丁しかないからなぁ……的の交換くらいなら……」
「いえ、マスターが銃を私に向かって撃った後、その弾を私が切り払えば、二人共良い練習になりますよ!」
「……君は一体何を言っているんだい?」
ユネに向かって銃をぶっ放す。どんな悲恋モノのラストシーンなのだろうか。
拳銃から発射される弾丸の速度は秒速三百メートル~四百メートル。切り払うのはおろか、視認すらも不可能な速度である。
「うーん、クォーツの水晶弾なら目をつぶってても弾けるんですけど……弓術系技能の『イーグルシュート』と同じくらいの速さですし……」
なにそれこわい。
EGF時代でも群を抜いていたユネの戦闘力は、この度の戦乱において更なる高みに達したようだった。
「……それでシェリーさん。僕をここに呼んだ理由は一体何ですか? 何か世間話だけで終わっちゃいそうな雰囲気ですけど」
「はい、では今日の本題ですぅ……ヒビキ様にお目通りさせていただきたい方がいるんですねぇ……」
「お目通りって、お金関係のお話ならシェリーさんの方が適任だと思うんですが」
お金の知識については、僕も一般人の域を出ない。
深い話ならその手の専門家であるシェリーさんに一任しておいた方が良いだろう。もちろん責任は取るつもりだが、それを盾にして議論の場をひっかき回すような真似はしたくなかった。
僕の疑問に彼女は、疲れた顔を苦笑させて応えた。
「私もそう申し上げましたが、先方が『是非この街の支配者たるヒビキ様に』とぉ……」
『支配者』とはまた随分な言い方である。
りっちゃんとピーターさんが表に出てこれない状況である現在、風見鶏のとまりぎとピーター商会のトップが僕であるのは間違いない。ユネやアルフはもちろん、新しく『風見鶏のとまりぎ』に入ったフェローも僕を組織のトップとして認めてくれている。
そんな僕に会いたいという人とは如何なる人物か。
「それって、誰?」
僕の問いに、シェリーさんはにたぁと陰のある笑みを返して見せた。
「この街の、もう一人の支配者ですよぉ……」




