第五話 『まかろん先生の異世界講座(下巻)』
まかろんとは如何なる人物か。
そう問われた際、『絶対零度』、『顔面麻痺』、『フェローよりもAIっぽい』――この辺りの言葉がまず候補に挙がる。
我ながら酷い語彙だとは思うが、まかろんの人となりを端的に言い表したのだと説明したのなら、彼女を知る八割の人には同意をもらえるのではないだろうか。
そんなまかろんを講師に迎え、魔術講座が開催される運びとなった。
「黒板で説明しましょう」
「君の身長だと高すぎない? ヤトにお願いして踏み台とか持ってきてもらう?」
「大丈夫です。これを使いますので」
「バチあたりな……」
会議室に据え付けられた黒板の前、まかろんは精緻な装丁がされた本を何冊も重ね、その上に乗って僕達の方に向き直った。
「全部覚えたのでもう要りません」
彼女はいつも通りの無表情。吸い込まれるような金色の瞳はどこまでも澄み切っており、およそ感情と言うものが宿っていない。そう思えるほど無機質な輝きを帯びていた。
このまかろんという少女、とにかく感情表現が希薄である。熱ければ『熱いです』と絶対零度の声音で言い、痛ければ『痛いです』とまるで平常時と変わらないトーンで言う。
無感情系の性格に設定されたフェローでも、もう少し表情豊かであると思う。
「――そもそも魔術とは、どのような技術かご存知ですか?」
普段は物静かな彼女だが、一度口を開けば言葉の運びは滔々としている。
問われた内容に僕は首を傾げた。
「魔術の概要……確かEGFのチュートリアルでユネに説明してもらったはずなんだけど……」
完全に忘れている。ユネからチュートリアルを受けたのは六年も昔のことなので無理も無いだろう。
「『万物に宿った根源の力である魔力を利用して現実を塗り替える技術』ですね。チュートリアルでお渡ししたマニュアルにも書いてありますよ?」
「あー、そんな感じだったね。そんなふわっとした感じの設定だった」
EGFにおいて、魔術や武技系の技能は、イメージトレース式と音声トリガー式と言う二つの手段で発動されるものであり、今のこの世界においても同じ方式で使える。
イメージトレース式とは、頭の中のイメージをキーに技能を発動する方式。それに対して、特定の単語や文章の発声をキーに発動する方式が、音声トリガー式である。
この二種類の発動方式だけ覚えていればゲーム自体は楽しめるので、詳しい魔術の設定など覚えてはいなかった。
「はい、ユネさんの仰る通り、蓋然的にはその理解で合っています」
まかろんが赤べこ人形のように『かくかく』と頷いた。
「今のこの世界では、その概念を基礎に置いた魔術が発達しています。数千年に渡り磨かれ続けてきた知識であるので、信頼性は高いです――なので今回はそれを元に説明しましょう」
どうやらEGFでの設定を基礎に置いた魔術学問が発達しているらしい。
前のクォーツ戦で一緒に戦った従軍神官のグリムさんも治癒魔術――神聖術を使っていたし、魔術を学ぶための学校もこの世界に広く設けられているのだろう。
「まず、この世界は実体界と形相界と言う重なり合う二つの相から構成されています。今、私達の肉体が存在する確かな物質の寄る辺が実体界、私達の目で観測できる現実世界です」
淡々とした口調でまかろんが説明を続ける。
彼女は黒板の前に立って二重の円を書き、内側の円に『実体界』と書いた。
「そして実体界を内包する外側の円が形相界――あらゆる理や概念、可能性が淀む領域です。世界の在り方自体が実体界とは全く異なるため、完全には解明されていません」
外側の円に『形相界』と書き込んだ後、黒板へ更にチョークを走らせた。
二重円の内側から一つ目の円を突き抜け、そのまま内側にUターンさせた曲線――実体界から発信され、形相界を経由し、再び実体界に戻ることを意味した線である。
「そして、この実体界から形相界に向かってマナと言う名の銛を打ち込み、形相界に偏在する特定の概念を実体界に引きずり下ろし現実とする技術――それをこの世界では魔術と呼びます」
「えと、つまり、魔術と言うのは、形相界にある『火』とか『水』とかのたくさんの概念の内のひとつを、こちらの世界に呼び寄せることによって現実のものにしちゃう技術ってことですか……?」
「はい、おおよその理解はそれで合っています」
まかろんから合格点をもらったユネはほっと胸を撫で下ろした。
「『火』、『水』、『大きい』、『小さい』等――形相界には無数の概念が内包されていると言われています。その中から、ただ一つ特定の概念を下すためには、その概念に対応した形のマナを使用しなければなりません」
彼女は説明を続ける。
「そのために、自然界に存在するマナを変換する必要があります。このマナの変換作業がいわゆる『魔術式を編む』という作業であり、変換されたマナがエーテルと呼ばれるものです」
つまり、マナだけでは魔術を使うことは出来ず、エーテルに変換することによって初めて魔術に直接的な関りを持つ媒体となると言うことだ。
「しかし、マナからエーテルへの変換には、非常に高度な思考演算が必要です。それこそ、普通の人間や亜人が行った場合、流血や脳の損傷――最悪の場合、自我の崩壊や光砂化が発生する程の負荷が発生します」
「えぇ……それじゃあ、魔術を使える人なんていないんじゃないのかな。でも、僕達はもちろん、北方騎士団にも使ってる人がそこそこいたよね?」
ユネの『イグニス・ジャベリン』や咲耶の『六獄炎環』は問題無い使えるし、北方騎士団に随伴していた獣人のグリムさんだって中位の神聖術を使用していた。まかろんの言葉とは矛盾している。
「はい、それを可能としているのが大盟領域と言うエーテルの再変換機構です」
「お、俺っち、そろそろいっぱいいっぱいなんすけど……」
「……ユーの字は魔術使えんから寝ててもいいぞ」
「だめです、聞いてください」
まかろんの極寒の瞳が咲耶とユーゴさんを貫く。
「ひっ……」
まかろんの無感情だが、やたらと目力のある眼光に、普段は不敵な態度を崩さない咲耶の狐耳が怯えたようにぺたんと伏せられた。
性格と能力が共にぶっ飛んでいるまかろんは、りっちゃんとは別のベクトルでフェロー達の畏怖と敬意の対象なのである。
彼女は黒板に向き直って再びチョークを走らせる。実体界と形相界を隔てる一つ目の円の淵に赤い色のチョークを重ね、そこに『大盟領域』と書き込んだ。
「大盟領域は古代、とある人間の魔術師によって編み上げられた巨大な魔術式です。実体界と形相界の狭間に恒久的に存在する『最古の現代魔術』とも言われています」
「再変換機構ってことは、人間にとって無理のない範囲で編み上げたエーテルを、形相界に対して影響を与えられるよう、正式な形に再変換する仕組みってことかな?」
なるほど、変換作業の大変な部分を、人ではない別の仕組みが肩代わりしてくれるのならすごく楽だ。
つまり、魔術が発動するプロセスをまとめると以下となる。
1:実体界のマナを身体に取り込む。
2:自分の体の中でマナを一次エーテルに変換する。
3:大盟領域で一次エーテルが二次エーテルへ自動的に変換される。
4:二次エーテルが形相界に偏在する概念を励起させる。
5:形相界の概念が実体界に現界化――魔術が発動する。
「はい、この大盟領域の成立により魔術の負荷は劇的に低減され、その行使が簡単になりました。古代の魔術が持つ万能性は失われたものの、体系的な整理が可能になったため、現在の魔術が発展した一因にもなっています」
「はぇー、私達ってそんな難しいことしてたんですねー……」
まかろんの説明に、ユネを初めとするフェロー達はぽかんとしていた。
「でも、私達が使う魔術系の技能と、亜人の人達が使う魔術ってだいぶ難易度に差がありますよね?」
ユネが手を上げてまかろんに質問した。
「クラウさん達の魔術は長い詠唱とか集中が必要ですけど、私達はEGF時代と同じように『えいやー!』とか『そりゃー!』で使えちゃいますし……」
「EGF時代の仕様である、イメージトレース式と音声トリガー式に対応する仕組みがこの世界にも存在していると思われます」
まかろんは再び黒板に向き直った。
「仮説ですが、亜人が使用する大盟領域では無い別の変換機構――第二大盟領域と呼ぶべき物を使用しているのかもしれません」
まかろんはそう言うと、黒板に赤く書かれた『大盟領域』を表す箇所の隣に、青いチョークで『第二大盟領域(仮)』と書き込んだ。
「僕達の技能って、『魔術系』と『武技系』の二種類あるよね。魔術系技能だけじゃなくて、武技系の技能も第二大盟領域を通して発動してるって考えていいのかな?
例えば、ユーゴさんが使う剣術スキルの『ライジングアクセル』は、『衝撃』と『増加』という概念を斬撃に織り込んで放っている――みたいに。
「はい、推測の域を出ませんがその可能性は高いです」
まかろんが、骨格標本のお化けのように『かくり』と頷いた。
なるほど、確かに同じ力で振るった剣でも、技能を使った場合とそうでない場合では威力が違う。技能を使った場合、通常の威力と共に形相界に存在する概念を束ねて打ち出しているので威力が高い――そう考えれば辻褄が合う。
「この第一大盟領域を使用した亜人の魔術と、第二大盟領域を使用した人間の魔術系技能が今の世界における『通常の魔術』です」
つまり、これから『技能』や『魔術』と言う言葉が出てきたら、今彼女が説明してくれた内容で発動していると考えれば良いのだ。
「それに対して、大盟領域を通さない――古代からある負荷の高い魔術は『始原魔術』と呼ばれています」
「あれ、始原魔術って、スキル持ちの君なら使えるよね?」
EGF時代のまかろんの職業は『始原魔術師』。職業名が表す通り、始原魔術が使える魔術師である。
火や水のような現象や物体を生み出す通常の魔術系技能に対し、始原魔術はこの世界のルールに作用する能力を持ったものが多い。りっちゃん達の散魂状態を停滞させる『ステイシス・スフィア』が例の一つとして挙げられる。
「始原魔術という言葉は同じですが、始原魔術スキルで習得可能な技能は、他と同じくEGFの仕様に則ったもの――第二大盟領域を使用する魔術系技能です」
「つまり、この世界で言う始原魔術は君でも使えないってことか……」
「使えますよ」
と、左腕を掲げると、その掌の上に光の玉が生成された。
「でも、普通の人には負荷が高すぎて使えないって……」
「私は使えます」
「あ、そうですか……」
忘れていた。この子、普通の人じゃなかった。
まかろんは一般的に『天才』と呼ばれる人種である。
思考演算という知性の領域で彼女に敵う者はいない。そんな彼女の力を以ってすれば、始原魔術の制御など朝飯前なのだろう。
まかろんの腕を見ると、腕に沿って何本も光の線が走っているのが見えた。
光の玉を消した後、彼女が僕の視線に気づいた。
「あぁ……これですか」
彼女は『かくり』と頷くと、ローブを留める肩紐に手をかけ、
ぱさり。
ローブを地面に落とした――全裸だった。
「なっ!?」
「おほっ!」
「ほわぁ!?」
順にアルフ、ユーゴさん、ユネの声。
「ま、まかろん様! 服! 服着てください! というか、何でぱんつはいてないんですかー!?」
ローブを拾ったユネが慌ててまかろんに駆け寄るが、彼女は完全に無視。
一糸纏わぬ姿の彼女が――帽子と靴とニーソックスは身に着けているのでこの表現は正しくないが――光る左腕を僕に差し出してみせた。
「……入れ墨?」
露になった左腕に刻まれていた刻印がその光の源だった。
「うーん、雷が走ったようなリヒテンベルグ図形を骨子に、始原魔術のエフェクトに似た図形が入ってるね……直線だけかと思いきや、胸のあたりは古代竜言語みたいに有機的なテイストだし……」
刻印にはEGFで見たことがあるような図形が散りばめられていた。
「なるほど……この辺は、昔の設定資料集に載ってたエル・シャハー方舟遺跡の魔法陣の一部かな……よくこんなマニアックな設定持ってきたね」
後ろで何やらユネが騒いでいるが知ったことではない。視線は既にまかろんの裸体に釘付けである。
黒に限りなく近い青色の入れ墨は左手の先から始まり、左腕全体を走り、左肩を経て左胸に。乳房は避けて左下腹部まで伸びていた。部位毎に様相はだいぶ異なり、紋様の統一感は無い。
「これって、刻印系の装備みたいに魔術の発動媒体になるの?」
「はい、私の杖――『昏き探求のミスティリオン』は、出力の小さい魔術の行使には適していませんし、指輪型の発動媒体では負荷に耐えられず壊れてしまいます。これは、杖と指輪の中間の性能を持たせた刻印です」
「杖の代わりにこの刻印を使うってこと? りっちゃんの『白天の聖痕』とか刻印型の発動媒体は昔からあったけど、まさか自作するなんてねぇ……」
今のこの世界ではアイテムウィンドウは使えない。杖を二本も三本も持ち歩くわけにもいかないので、刻印型の発動媒体は現実的と言えば現実的かもしれない。
と、一拍置いてから聞いてみる。
「触っても?」
「どうぞ」
「ちょっ、ますたー!?」
後でユネの抗議が聞こえたが、好奇心には勝てなかった。
まかろんの許可を得て、刻印の刻まれた左腕に指を這わせてみる。
「刻印の個所は少し浮き出てるんだね、コリコリしてる」
「触媒のベースとなっている黒嘯竜の血には……膨張効果があります……ので……」
白磁の肌に走る青黒い線。指をなぞらせてみると、絹のような滑らかな手触りの下に皮膚の暖かさを感じた。
左腕から肩を経て鎖骨部に。そこから下にかけては、今までとは少し様相が変わっており、樹の根が這うような有機的な文様が、ささやかな胸を避けて左上半身を覆うように刻まれていた。
紋様の線は下腹部辺りで止まっており、その下の鼠径部からは薄い肌色が伸びているだけ。
「ヒビキさん……楽しい……ですか?」
「うん、碑文解読系のクエストみたいですっごく楽しい」
「……そうですか」
起伏の少ないなだらかな胸からおへそにかけての曲線の中程、少し浮き出た肋骨の溝に刻まれた刻印に指を這わせると、彼女の小さな身体がぴくんと震えた。
「んっ……」
「ごめん、痛かったかな?」
「いえ……」
「ますたー!? まかろん様のお身体を、ご利益のある仏像みたいにペタペタ触っちゃだめですー!」
「ユネちー! これは医療行為、そう医療行為だからセーフ! セーフっす!」
「そんなラブコメ漫画で人工呼吸する時の言い訳みたいなのいらないです! と言うかあうとです! あうとですーっ!!」
ユネがふんすふんすと巨体のユーゴさんを引きずりながら、僕をまかろんから引きはがした。
いや、良いものが見れた。EGF時代を思い出させるような、細かい設定とかが色々あったので思わず熱中してしまった。
「はー、堪能した……ありがとうまかろん」
当のまかろんは顔色一つ変えることも無く、ローブを羽織り直す。
「何と言うか……」
「何と言うか?」
「生きた設定資料集みたいですごく良かった」
「それは良かったです」
裸を見られたことについて全く気にしない様子で彼女は頷く。彼女にとっては服を着ているか着ていないか、ただの状態変化に過ぎないようだった。
「淑女の身体をガン見しておいて、『すごく良かった』って……もう少し何か無いんですかねぇ……」
そんな僕達の様子を見て、アルフがげんなりとした様子で言った。




