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電気羊の異世界プロトコル  作者: みかぜー
第二章 リィベルラントの窓辺
26/48

第一話  『夜明け前』

長期間の休載、誠に申し訳ありません。

第二章が完成いたしましたので投稿させていただきます。

今後もお読みいただければ幸いです。


≪お知らせ (2017/11/13)≫

※第二章完成済みです。一日一話以上投稿予定です。

※第二章投稿に伴い第一章を改稿いたしました。

 一部キャラの設定等が変わっています。

 話の流れには変更無いので、読み直さなくても第二章をお楽しみいただけます。




 夜の帳は下りて久しく、朝焼けにもまだ遠い頃合。


 草いきれの残り香を僅かに滲ませた風が街並みを撫でて行く。

 天を覆うのは夜空であれど、それは暗黒に塗りつぶされた天幕ではない。

 空には星々がきらめき、その中でも一際輝く七つの星が大地を照らし出しているからだ。

 空の遠く、真珠ほどの大きさに見れるその星達の光は地上を柔らかく覆い、フォルセニア大陸中央部に広がる大草原――その西端の向こうに位置するこの街の輪郭をおぼろげながらに描き出していた。


 街の中心を貫く目抜き通りから外れた路地、その上を駆ける小さな影がひとつ。


「夜明けまであと四時間……くらいかな?」


 若い声。声変わり間もない少年の声だ。

 背は同じ年頃の子供と同じくらい。束ねた長い金髪をなびかせるその面持ちは歳相応に幼い。


「父さんってば、普段はお酒なんて飲まないくせに、今日に限って宴会なんてやるんだから……」


 彼の父は森祭司(ドルイド)と呼ばれる術師で、怪我や病気の治療を生業としている。

 先日、鍛冶場で指を叩き潰したドワーフが、治療のお礼にと酒樽を担いで少年の家に押しかけてきたのが、宵の口の出来事だった。

 御伽噺では、エルフとドワーフは犬猿の仲と語られることが多いが、やはり個人間の相性とはあるようで、彼の父とドワーフは意気投合。少年と家族――母親と妹も巻き込まれて、予定していた時間より出発するのが二時間も遅れてしまった。


「アロイライの梯子は二時間で真ん中まで登れたんだ。イリスの樹も同じくらいの時間で登れるはず……いや、あれは四年前だから、きっともっと早く……!」


 若草色のローブの上から皮のザックを背負い、腰には水筒と使い古した短剣が吊るされている。

 三歳の誕生日に父親から贈られたその短剣の柄頭には、古い言葉で小さく『新緑』と刻まれていた。

 発音すれば『イーノ』――それが少年の名前だった。

 イーノはフォレストエルフと呼ばれる種族だ。森の民であるフォレストエルフは夜目が利く。陰鬱と茂る故郷の森に潜む獲物を駆るために、長い時間を駆けて培われた種族的な特性だ。


 そんな少年の視界は、井戸端に座り込む大柄な男の姿を捉えた。


「うっぷ……」

「おじさん……大丈夫?」

「大丈夫ぅ、お兄さんは大丈夫っすよー、俺っちは大丈夫っすからあああ、ひっく……」


 酔っ払いだった。それも程よく出来上がった、上等な(・・・)酔っ払いだった。

 大きな剣を背負った大きな身体。傭兵だろうか。

 顔色は赤い……青い? 暗がりではっきりとしないが、交互に色を変えているように見えた。

 足を止めて心配そうに覗き込むイーノに、男は酒臭い口元をにやりとさせた。


「酒は飲んでも飲まれない! ぼったくり酒場で吹っかけられても泣かない! 何故なら俺っちは強い子だから! クゥちゃんや咲耶ちゃんにお仕置きされてもめげない、とっても強い子だからおろろろろろろー!!」

「うわぁ!!」


 大丈夫ではなかったらしい。

 男がぼったくり酒場の料理達を口腔経由で盛大に返品した後、イーノは慌てて自分の水筒を取り出した。


「とりあえずお水を……」

「だ、だって、ひどいじゃないっすかあああ! ナッツの盛り合わせ五十クラースとか言っておいて実は一粒分の値段だったとか、ぼったくりもいいとこっすよおおお!  安い安いなんて言って、欠食ハムスターみたいに頬張っちゃったじゃないっすかぁぁぁ! クレームつけたら裏から怖いお兄さん出てくるし! お姉ちゃん達はいつの間にかいなくなってるしいいいいい!!」


 中央通りから離れたこの界隈では、そういう如何わしい商売をする酒場もあるらしい。


「そんなの、ユネちーは許しても、この俺っちは許さないっすよ!! と言うか、ユネちーは何でも許しちゃいそう! でも、咲耶ちゃんは許さなさそう! しかも店ごと燃やしそう、超笑顔で! 危険人物は立ち入り禁止っす! 離れて! みんな離れろおおおろろろろろ!!」

「うわあああああ!?」


 ナッツの前は麺類を食べたらしい。そんな情報は要らなかった。

 イーノは嫌な顔をしながら男に無理矢理水を飲ませると、彼は幾分か落ち着いたようだった。


「あへぇ……頭のぐるぐると、腹のぐらぐらが収まって来た……少年、感謝っす……」


 男の顔色が幾分か良くなったのを見て、イーノはどういたしましてと一息着いた。


「おじさんは人間? 人間の人もこんな所で遊ぶんだね」

「お兄さんは夜回りパトロール中っす。この界隈は夜遅くまでやってる酒場も多くて、揉め事も多いっすからね!」

「パトロールって、お酒を飲んでもパトロールって言うの?」

「こ、これは捜査の一環……そう、これは潜入捜査なのでっす! この街の平和を――具体的には、飲み屋通りの平和をこの身とお財布を挺して守るスーパーエージェント、それがこの俺っちっす!!」


 男はドヤ顔で胸を反らせた。


「……人間の人って、とても強い代わりに、あまり頭は良くないのかなぁ」

「うへへ、そうかもしれないっすねぇ……ひっく」


 全人類に対する風評をそれとなく貶めたことに気づかないまま、男はへらへらと笑った。


「俺っちのことはいいとして、少年は何でこんな時間にこんな所にいるんすか?」


 確かにもう宵の口には程遠い深夜である。子供はもちろん、大人だってこの時間に出歩いている者は殆どいない。いるとすれば深夜勤めの労働者か、酔っ払いくらいのものだろう。この目の前の大男のような。

 そんな男の至極当然な疑問に、イーノは声を弾ませて答えた。


「イリスの樹に登るんだ。お館の裏手にある、あの大きな樹だよ。夜明けまでに、あの樹の天辺まで登るんだ」


 少年が指差すその先には、この街のシンボルでもある大樹があった。

 根元から随分離れたここからでも見上げるほどに高い。

 この街の中心にそびえるその樹を、街の者は皆、『イリスの樹』と呼ぶ。正しくは『ユグドラシル・イリス』という名のそれは、かつてこの世界に七本存在していた世界樹と呼ばれる大樹のひとつだ。


「はぇー、ユグドラシル・イリスに登るんすか。確か二百メートルくらいあったはず……まだちっこい少年が登るには、ちょっと難しい高さだと思うっすよ? 落ちたら俺っちでも落下ダメージ半端ないし、少年なら、ぷちゅっとミートソース確定っす」

「大丈夫だよ! こう見えて、西アカーナの出身なんだ。八歳の頃にはアロイライの梯子の真ん中まで登ったし、イリスの樹だってきっと登って見せるよ!」


 そう意気込むイーノは、ザックを背負い直し気合を入れた。


「あっ、ちょっと少年!」

「じゃあねおじさん! 二日酔いが酷かったら西区にあるトゥーウェル診療所に来てよ! 僕の父さんがそこで治してあげるから!」


 イーノはそう言うと、今度こそまっすぐに世界樹へと続く路地を駆け出した。


 夜更けの闇は色濃く、イーノの姿は男の視界からすぐに消えた。


「大丈夫っすかねぇ……ひっく」


 頭の後ろをぼりぼりと掻くと存外気持ちが良い。

 酒臭い欠伸をかみ殺しながら男は呟いた。






 その後はさしたる障害も無く、少年はイリスの樹の根元に辿り着いた。


 大樹は人間達の館――『風見鶏の館』の敷地内にあるが、そこに直通する西側の通用口は常に開放されていた。

 イリスの樹の恩寵によって育まれる野菜や果物を皆がいつでも採れるように、と言う心遣いはありがたいが、無用心この上ない。自分達を信用してくれているのか、脅威と思っていないのか、あるいはその両方か。


 館の灯りは夜更けと言うこともあり、一室を残して全てが消えていた。

 灯りが残された一室で、ひょこひょこと揺れるとんがり帽子が少年の視界の片隅に入ったが、彼にとっては特に関心に足る出来事では無かった。


 イーノは背丈の倍もある樹の根に耳を着けてみる。


「すごい、根っこが水を吸い上げる音がよく聞こえる……掴み心地もしっかりとしてるし、とても元気な樹だ。これなら安心して身体を任せられそう」


 地面には様々な種類の野菜や、本来は枝に実をつけるはずの果物が実っていた。夜が明ければ、収穫のために多くの者達がこの場所にやってくることだろう。

 だから、それまでに終わらせなければいけない。


 星明りがささやかにイリスの樹の輪郭を照らし出していた。

 樹の表面には光る苔が生えており、手元の確認には不自由しなさそうだったが、頂上付近は鬱蒼と茂る枝葉の影に遮られ、全く様子を伺うことが出来なかった。


「おじさんのせいで遅くなっちゃったから少し急がないと……」


 イーノは樹の根に右手をかけた。左足をかけ、左手と右足は同時に。すると、彼の身体はいよいよ地面から離れた。


「よし、行こう……!」


 自分に言い聞かせるようにそう呟き、少年は大樹を登り始める。

 最初はおっかなびっくりと、しばらく経った後は確信を持って。

 樹の出っ張りに足をかけ、樹のささくれに指をかけ、天を衝く大樹を登って行く

 その速さは、階段を登る速度とは比べるまでも無く遅い――芋虫のような速さだ。

 手をかける場所が無いときは、少し下がって別のルートを辿り、巨大な蔓が撒きついている場所を見つければ、蔓の上に足を下ろして歩いて登った。

 ロープは必要ない、樹に突き刺して足場とする道具も必要ない。彼の父親や祖父、その先の何代も続いてきた祖先達と同じように、その身ひとつで大樹を登って行く。

 手を伸ばして、指をかけて、足を引寄せて、身体を固定する。

 そのセットを十回、百回、千回と繰り返す。


 空は暗く、されど星々に照らされ仄かに明るい。

 黒、紺、碧、と一様ではないグラデーションで染め抜いた夜空が、星の灯りを抱き大地を照らしていた。

 きっと、見下ろせば美しい街並みを一望できただろう。

 街の中央から延びる目抜き通りに、湾曲した数多の路地。蛍のように灯る魔術灯に照らされた緑の街路樹の並び。茜色の絨毯のように広がる住宅街の屋根。逆側に目をやれば、不思議な様相を呈する人間達の住居も見えるに違いない。

 少年の新しい自宅も、妹や友達と遊んだ公園も、お使いで訪れた商館も、中央広場の時計塔も、今は遠くの眼下にある。


 しかし少年は振り返らない。

 まるで、太陽に向かって背を伸ばすことしか知らない向日葵のように、己の身体を上へ上へと押し上げて行く。

 どれだけの時間が経ったのかはもう分からない。

 ただ登ることのみに向けられた極限の集中に、フォレストエルフと言う種族的な特性、それと少年自身が持つ素質が合わさり、危険な場面に遭遇することも無く、既に樹の七割ほどを登り終えた。

 枝が広がり始める高さまであと少し。そこに辿り着いてしまえば、あとは枝伝いに上に登って行けば良いので、ゴールしたも同然だ。


 しかし、この世界で信仰される神々の一柱――道化の神性が実在するのならば、これは退屈極まりない展開に違いない。彼の神は波乱を何よりの好みとするからだ。

 それは、紙の上に綴られる物語にも、劇場で演じられる戯曲にも、人々が織り成すその生の道程にも、栄光や挫折、再生や破滅をひとつのサラダボウルに詰め込んでぐちゃぐちゃにかき混ぜた混沌を好む。

 だからこんな波乱の無い――普通の少年のただの木登りなど、彼の神が耽溺する物語の一節にも足りえない。

 もっと血湧き肉踊る展開を! 血の赤、涙の青、安堵の緑、緊張の黄、毒々しい極彩色に彩られた脚本を! あらゆるモノと感情が混ざり合い、融け合い、坩堝の中に渦巻く混沌と化した物語を!


 そんな存在するのかも曖昧な神性の嗜好が、本当に作用したのかは分からない。


 しかし、イーノの指先は事実、違和感を覚えていた。


「手が冷たい……朝露?」


 樹の表面を撫でて見ると指先に水滴が付いていた

 夜明けまであと一時間ほどだろうか。一日の中で一番冷え込む時間帯。

 気を向けてしまえば、ローブを羽織った小さな身体に堪える程度の寒さを感じた。


「そうか、もう朝が近いから……本格的に露が降りる前に登り切らなきゃ――」


 と、意識を切り替える瞬間の、わずかな集中の隙間。

 苔むした樹の表面を踏みしめていた靴が宙を蹴った

 これまで指先に感じていた樹の感覚は無く、踏みしめるべき足裏の感触も無い。


「しまっ……!?」


 慌てるよりも早く、視界に収めていた景色が落下した。


 滑った! そう気づいたときにはもう遅かった。


 重力の腕に絡め取られた少年の身体が、これまで登って来た速さの何十倍ものスピードで落下していく。

 森祭司(ドルイド)の父親を持つとは言え、成人の儀で秘蹟を授かっていないイーノはまだ普通の少年だ。特別な力など何一つ持っていない彼に重力に抗う術は無い。十秒もかからず地面に激突するだろう。

 目まぐるしく上に流れていく光景に、いくつもの記憶が重なっていく。

 たかが十二年と言う短い人生だったが、その分記憶の密度は濃い。嬉しかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、怖かったこと。全部覚えている。


 その中で、彼が最後に手繰り寄せた記憶。


 それは、生まれた村で育ち、生涯の全てをそこで過ごすはずだったフォレストエルフのイーノが、何故遠く放れたこの異邦の地で暮らしているのか――その発端となる出来事が収められた記憶だった。





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