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「シルフィ――」

 ――深水月の儀。

 その夜だけ、湖底都市であるフォン・ド・リューに月明りが差し込む。

 実際、この夜は今までと何もかも違った。


 そもそも最奥区画の外を見る機会は多くはなかったけれど、それでも分かる。

 クラゲのような灯篭ではない。

 強烈な月の輝きが、都市を照らしていた。


「……なるほど、あれが天橋ですか」

「話には聞いてたけど、凄いもんだね。クロエ先生」

「ええ、これを見られただけでも来た甲斐があります」


 これから行われる儀式を見るために俺たちは儀式の場へと案内されていた。

 エルフたちはもっと近くで見ているが、そこは水で満たされている。

 少し距離のある所に水が入らない空間が用意されているのだ。


「いいのか? クレール。せっかく先生の晴れ舞台なのに」

「構いません、ジョン。見知った相手の方が良いでしょう?」


 彼の言葉に頷く。

 この窓ガラスが割れた時、彼がいなければ俺たちは溺れ死んでしまう。

 しかし、ミルフィーユの生徒だというのに、本当にありがたい。


「前回は、ここに他国の使節が来ていたらしいんですけどね」

「100年前か……」


 こちらの言葉に頷いてくれるクレール。

 彼とリタとクロエ先生、そして俺は静かにその時を待った。

 儀式が行われる場所、降り注ぐ月明りの先にシルフィたちが現れるのを。


 降り注ぐ月明りを“天橋”というらしい。

 ついさっきクロエ先生とリタが話していたことだ。

 そしてシルフィ自身から聞いたことでもある。


 ――あの光は、天へと帰る道標らしい。


 寿命という概念を持たず、肉体の老いを知らないエルフ。

 そんな彼らは、自分の寿命を自分で決める。

 終わりを願った者は、あの橋を渡るのだ。そして高みへと帰る。


 神の元や天という言葉で表現され、脚色されるが、あれは自殺だとシルフィは言っていた。殺される以外に死ぬことのない彼らが選ぶ自らの終わり。それがあの橋を渡り切ることだと。


 今回、この深水月の儀において、天橋を渡り切る者はいない。

 けれど、シルフィは教えてくれた。

 400年前、自らの母親があの光を渡っていったことを。


 アガサと決別し、旧勇者領を離れてしばらく。

 機械帝国がまだその名を得ていなかったころの話だ。

 久しぶりにエルフの国からの連絡があり、故郷に帰ったとき。

 自らの母親が、あの橋を渡ることを決めていたと。


『……結局、あの人にとって私は道具だったんだ。

 父の、彼女の夫の、仇を討つためだけの存在、それが私だった』


 寂しそうにつぶやくシルフィの横顔が今でも忘れられない。


 シルフィの父親は、魔王軍との戦いで死んだ。

 軍人としての義務を果たして、死んでいったと。

 その時すでに母親はシルフィを身籠っていて、そんな子をエルフの神は選んだ。


 神官を通じ、神託を与え、破格の力を持って生まれたのがシルフィーナ。

 そして500年前の儀式において更なる力を与えられた。

 自らの命を引き換えに魔王を討伐するために。


 魔王との戦いが終わり、生き残ったシルフィを糾弾する者はいなかったと聞く。

 けれど、その次の儀式で自らの母親があの光を渡っていった。

 それがどうしようもなく、悲しかったとシルフィは言っていた。


『……母さんは、私が何をしていたのかも聞かなかった。

 魔王を殺すという役割を終えた私には、何の興味もなかったんだ。

 そして光の向こうに消えていった』

 

 “自殺さ、あんなもの。父のところに行ったんだ――”


 ……本当にシルフィのことをどうでも良いと思っていたのなら、手紙なんて寄こさなかったんじゃないかとも言いたくなった。けれど、俺に話していないこともあるはずだ。そのうえでシルフィはこう語っている。


 そう考えると、俺は彼女に何も言えなかった。


 つくづく、彼女が自らの国を嫌う理由がよく分かる。エルフの国が嫌いだと何度も言っていた理由が。アガサの元を離れたシルフィがエルフの国に帰らなかった理由が。


 自らの神によって、魔王討伐の人柱にされ、母親も仇討ちのための道具だと。

 そんな風に生まれてきて、育てられ、愛せるものか。祖国を、肉親を。


 けれど、同時に思ったのだ。

 あのミルフィーユというお姉さんは、そうではないのだと。

 シルフィのことを真に考えていた。


 強引で許しがたい方法を使ってはきたが、シルフィの抱える事情を知り、それを俺たちに伝えていないことを見越して策を講じた。本当に彼女のことを考えていなければできない芸当だ。


 ……それもこれも、ウォルターの救ったエルフの子供たちが起点になっていると思えばつくづく数奇な運命を感じる。子供たちが送り届けられたことでミルフィーユはシルフィの現状を知ることになったのだから。


「シルフィ――」


 硝子の向こう、月明りの下、巫女としての装束に身を包んだシルフィが見える。

 その隣にはミルフィーユさん。

 こうして同じ服装で並んでいると、本当にあの2人が姉妹だと分かる。

 髪の色も瞳の色も、背丈も違うけれど、よく似ている。


 ……深い水の中で、縛られた長髪が揺れる。

 神へ感謝を捧げ、そして神からの加護を受け取る。

 それがこの“深水月の儀”だそうだ。


 あのど真ん中で、シルフィは何を想っているのだろうか。

 自らを人柱にした神と、この光に消えていった母を前にして何を。


 ……ミルフィーユさんからしてみれば、シルフィを連れてくるための口実だったのだろうが、随分と酷な話だ。シルフィは、本当にこの儀式に良い思い出がないのだから。


 だというのに、そうだと分かっているのに、ああ、本当に美しいな。

 深き水の中、月明りを一身に受けるシルフィーナという女は。

 途方もなく美しく見える。


 たった1枚のガラスと、少しだけ離れた距離。

 その遠さが、彼女個人の想いを、忘れさせてしまう。

 舞台の上に立つ者の美しさを、感じさせる。


 ……この先、俺は、彼女に何をしてあげられるのだろうか。

 500年に渡る数奇な宿命を背負わされた彼女に、何を。


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