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異邦の妖怪たち 【2】

 勝手に外に出ないようにと言われているリュカは、庭の中をうろうろと何周もしていた。その様子を見守るように、黒く大きな狼がじっと見つめている。

 竹を組んで作られた垣根の向こうに、こちらの様子をうかがう複数の小さな気配があるのに感付いてはいたが、彼らは遠巻きにリュカを見ているだけで、近づいては来ない。

「うわー、マジでガイジンだ」

「白い髪すっげー! うちのじいちゃんでもあんな白くねーぞ!」

「吸血鬼だぜ。吸血鬼って、マジで強いんだぜ!」

「えー、でも、ジョージもヘレン婆も怖くねーぞ」

「おにいちゃんたち、こえがおっきいよう。きこえちゃうよう」

「ガイジンの狼女も来てるんだって! 外国の狼ってすげえでかいんだって!」

「あの黒い狼?」

「あれはハジメ兄ちゃんだよ。病気だからずっと狼なんだって、お母さん言ってた」

「うええ、人間に戻れない病?」

「たべられちゃうよお。もう、かえろうよう」

 庭をうろつくのにも飽きたリュカは、視線を感じるほうへ、歩いて行った。

「うわ、うわ、きちゃったよ!」

「こわいよぉ!」

 庭の向こうで騒ぐ小さな子供たちに、リュカは興味深げに近づき、声をかけた。

「おはよう?」

「ギャー! 喋った!」

「血ぃ吸われるぞ!」

「やめてよお、だからいったのにぃ!」

 リュカの接近で大パニックが起こる。笑ってはやしたてる男の子もいれば、泣き出す女の子もいた。

「よし。そっち、いくぞ」

 リュカは宣言し、一メートル以上ある垣根を、助走も無しでひょいと飛び越えてしまった。

「げえっ!」

「と、とんだっ! 吸血鬼がとんできたぞ!」

「やだー! あっちいってよぉぉー!」

 子供たちは今度こそ全員、本気でパニックを起こした。驚いて飛び上がったりひっくり返ったりしながら、次々に小さな子ダヌキに変わっていく。

「なんだ……? ライカンスロープ、ちがう……? ヘンな、イヌ?」

 ぽてぽてぽて、と地面に転がった数匹の子ダヌキを見て、リュカは目を見開いた。

「うわぁぁぁ! 逃げろー!」

「血ぃ吸われるぞー!」

「やだ、やだー!」

 じっと見つめてくるリュカから逃れるように、子ダヌキたちは脱げた衣服を引きずったり、抜け出したりして、あっという間に散り散りになって逃げ出してしまった。

「まってえ、おにいちゃん、おねえちゃん、まってえ!」

 置いていかれた一番小さなタヌキが、泣きながらポシェットを引きずり、最後をぽてぽてと歩いていった。

「ヘンなイヌ……みんな、いなくなった……」

 阿鼻叫喚の光景を見届けた後で、リュカは首を傾げる。

 地面には子供用のTシャツや、ズボンや、ワンピース、片方だけのサンダルなどが取り残されていた。

「リュカー! 一人で外に出ちゃダメ!」

 庭から慌てて出てきたのは、ほのみだった。

「ほのみ」

 リュカが振り向くと、彼女はなんだか怖い顔をしていた。

「庭から勝手に出ちゃダメよ! 家の外に行きたいときは、誰かに言ってね。ちゃんと案内したげるから。とにかく、一人はダメ! まだダメ!」

「ダメか?」

 ほのみは指でびしっとバツ印を作って見せた。

「ダメです。小さい村って言っても、まだリュカには全然分かんない場所なんだから。迷子になっちゃうんだから。まあ、知ってる人ばっかだから、見かけたらうちに連れてきてくれるだろうけど……あっ、もう! タッちゃんたちね! こんなに服脱ぎ捨てて!」

 と、ほのみは地面に落ちた衣服を拾い集めた。

「こども、いっぱい、へんなイヌに、なった」

 首を傾げながら言うリュカに、ほのみは子供たちの衣服を抱えながら、笑って答えた。

「犬じゃないよ。あの子たちは、化けダヌキの子たちだよ」

「バケヌキ?」

「た、が抜けてる。ば・け・だ・ぬ・き。たーぬーき、だよ」

「たー、ぬー、き?」

「そ。タヌキ、見たことない? リュカの住んでたとこにはいなかった? ここらの小さい子は、ほとんどみんなタヌキの子たち」

「あれは? あれも、タヌキか?」

 リュカが指差した先に、一人だけ小さな子供が残っていた。

 赤い着物を着た、おかっぱ頭の童女だ。にこにこと笑い、佇んでいる。

「タヌキじゃないわ。ミマモリ様だよ」

「ミマモリサマ?」

「ミマモリ様、おはよう!」

 子供たちの衣服を抱え、ほのみが垣根越しに手を振ると、童女は愛らしく微笑んだまま、ちょこんと首を傾けた。

「タヌキか?」

「ううん。ミマモリ様は違うよ。座敷わらし……って言っても、リュカには分かんないよね。ずうっと昔から、この村に居て、守ってくれてるの。だから、ミマモリ様」

 童女は赤い袖を揺らし、小さな紅葉のような手を振る。それを真似て、リュカもよく分かっていない様子で、手を振った。

「ミマモリ様。この子、リュカっていうの。今日からこの村で暮らすの」

「オレ、リュカオンだ。せかいいちの、いけめんだ」

「その日本語は忘れたほうがいいよ……」

「リュカでいいぞ。よろしく」

「あい」

 ミマモリ様がにんまりと口の端を上げた。

「創兄ちゃんも帰ってきたんだよ。狼人間じゃなくて、ほんとの狼になっちゃったけど……」

「あい。ふかふか」

 ミマモリ様が生垣の間から小さな手を伸ばし、黒狼の頭をぽんぽんと撫でた。

「大兄ちゃんね、怪我しちゃったの。心が無くなって、いつ治るのか、分かんないんだって。でね、お嫁さんも連れて来たんだよ。とっても綺麗な人……ていうか、狼だけど」

 ミマモリ様はしばらく、創の耳や首の毛を引っ張って遊んだ。創は大人しく、されるがままになっている。

「あい。ばいばい」

「え? ミマモリ様、もう行っちゃうの?」

「あい」

 赤い着物の袖をひらひらと振りながら、童女はあぜ道をぱたぱたと走って行った。

「またねー」

 ほのみが手を振って見送る。リュカはずっと、不思議そうな顔をしていた。

「どうしたの? リュカ、ぼけっとして」

「ミマモリさま……ヘンだ。モンスターのけはい……しなかった」

「そりゃそうだよ。だって、ミマモリ様は妖怪じゃないもの。神様だよ」

「かみさま?」

「そう。ミマモリ様だけじゃないよ。龍神様や山神様……それから、村の名前にもなってるハイザワ様。たくさんの神さまがあたしたちの近くにいて、ずうっとこの村を守ってくれてるの。だからこの灰澤村は、あたしたち妖怪がひっそりと住んでこられたんだよ」

「すごいな。かみさま、いっぱいか」

 リュカは驚いた顔をした。そんな彼の白い手を少女が引く。

「さ、家の中に入ろう。山はね、夜になったらうんと寒いんだから」

 村に戻ってきたときにはまだ明るかったお日さまは、すっかりオレンジ色に変わっていた、髪も肌も真っ白な少年の体を、燃えるような色に染めている。

「まだまだ日が落ちるの早いね。早く暖かくなればいいのに。……リュカ?」

 少年は動かず、黄昏の空をじっと見つめていた。


「中に入るよ? すぐに暗くなっちゃうから。ごめんね、ほったらかしで。今日は疲れたよね。眠たくない? それよりお腹空いたかな? 庭、面白かった?」

 話題を探しながら色々と声をかけてみたが、少年はどれにも答えず、ただゆっくりと振り返った。逆光で綺麗な顔が翳り、青い瞳は暗く、紫色に沈んでいた。

 先に夜が来たような、宵闇の色だ。

 その視線を、また空に向ける。

「なんで、空を見てるの……?」

「みはってる」

 ぽつりと少年が言った。その傍らでは、黒狼となった兄が静かに佇んでいる。

「見張るって、何を?」

「ストリゴイ、モンスター、くう。このむら、モンスター、いっぱい、だから」

「……モンスターって、あたしたちのことだね」

「モンスター、おおいとこ、ストリゴイ、くる」

「ストリゴイ……」

 その名に、ほのみは体を強張らせた。ちらりと創を見て、呟いた。

「……それって、外道のことだったんだね。外国では、そう呼ぶんだ」

「げどお?」

 リュカが首を傾げる。少年の手を握ったまま、ほのみは頷いた。

「そう。怖い妖怪のこと、あたしたちはそう呼んでるの。でも、大丈夫だよ。日本には、そういうのはたくさんいないから。全然来ないわけじゃないけどね」

「ここに、ストリゴイ、くるか?」

 表情が険しくなる。初めて感情らしきものを見せた少年に、ほのみは内心驚きつつも、その手をそっと握った。

「怖いの? 大丈夫だよ。日本には、そういうのは少ないの」

 促すように彼の手を引き、家に向かって歩き出した。自然に手を繋いでしまったが、少しも恥ずかしくなかった。たしかに綺麗な子だけれど、それ以上に小さな子供のようで、同じ歳の男の子という感じがしない。どちらかというと、弟が出来たみたいだ。

 二人の後ろを、創がゆっくりとついてくる。

「でもね、日本の妖怪は、外国の妖怪ほど強くないから、その少しだけでも大変なんだ。ほんの一体だけの外道に、村ごと滅ぼされた妖怪たちもいるんだって」

 ほのみの言葉に、リュカの顔がまた険しくなる。

「……うちの村には、戦える妖怪はあまりいないんだ。だから、もうずっと前に強い外道が来たときに、やられちゃった妖怪が何人もいて、あたしのお父さんとお母さんも、そうだったの。自分たちは狼だから、皆を守るために戦うって。そうやって怪物と戦って、死んじゃったんだって。大兄ちゃんも、そうだったんだね、戦って、それで……」

 傍らをついてくる黒狼に、ほのみは語りかけた。彼は黙っている。その姿を見るだけでほのみは泣きそうになってしまう。が、必死で堪えた。そして、リュカに向かって笑いかけた。

「ごめんね。こんな話、リュカが聞いても、困るね。日本にきたばっかりなのに。大丈夫だよ。日本はリュカがいたとこよりずっと安全だからね!」

「あんぜん?」

 気丈に笑顔を見せる少女の手を握ったまま、少年が立ち止まる。

「どこも、あんぜん、ない。ストリゴイ、どこでも、いる。オレが、ころす」

「殺すって……」

 真剣な顔で、平然と恐ろしい言葉を口にしたリュカに、ほのみはぽかんと口を開いた。

「それって……外道がきたら、あなたが戦うってこと……?」

 紫の瞳がほのみをしっかりと見つめ、頷いた。

「そうだ。ストリゴイ、ぜんぶ、ころす」

「ダっ、ダメだよ! そんなの、いいから! リュカはあたしと学校行って、勉強したり、もっと楽しいこといっぱい覚えようよ。ね?」

 慌ててほのみはそう言い、自分の手を強く掴む少年の手を引っ張った。

「あの、ごめんね。あたしが変な話したからだね。リュカはずっと外国で、怖い思いをしてきたんだもん。怖いよね。でもね、大丈夫。ほんとに日本は安全だよ。お父さんとお母さんが死んでから、この村に外道はずっと現れてないの。それに、もしまたそのときが来たら、リュカだけじゃないよ、あたしも頑張って戦う。こう見えても、あたしだって狼女なんだよ」

 そう言ったほのみだったが、本当は戦うのなんて怖いし、狼の姿にもなりたくない。けれど、リュカを安心させようと笑顔を作った。

 しかし、リュカは納得していない様子だ。

「たたかう、オレがする。ほのみ、たたかう、だめだ。――ハジメ、たたかって、こころ、なくなった。だから、ほのみは、たたかうな」

「リュカ……」

 昼間の青から、夜は紫に変わる、不思議な色の瞳を見ながら、ほのみは唇をきゅっと噛み締めた。

「ハジメ、けがしたの、オレのせいだ。オレを、かばった」

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