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兄の帰国 【2】

「わぁ、人がいっぱーい!」

 ほとんど村から出たことのないほのみは、大きな空港に来ただけで、まるで近未来の都市にタイムスリップしたような気分になった。物珍しく周囲を見回し、歓声を上げた。

 ガラス張りの美しい建物。次々と飛び出していくジャンボジェット機。なにより大勢の人間たち!

「すごい、見て見て、三兄ちゃん! みんな、すっごい大きなスーツケース持ってる!」

「やめろ、はしゃぐな。いかにもじゃねーか」

 きょろきょろと目線を巡らす妹に、三太が嫌な目を向ける。

「いかにもって? あいたっ」

 きょとんと見上げる妹の額を、兄は人差し指でビシッと弾いた。

「いかにも田舎モンってことだよ」

「だって、そうだもん……」

 到着ロビーから続く出口には、他にも迎えを待つ人間が並んでいた。そこに兄妹も並び、三太は腕時計を見やる。

「とっくに着いてる時間だ。そろそろ出て来るかもな」

「ん。じゃあ、準備しなくちゃ」

 ほのみは頷くと、スクールバッグの中をごそごそと漁りだした。そして中から、大きめのスケッチブックを取り出し、胸を張ってページを開く。

「どう? これ!」

「なんだ……そのウェルカム・トゥ・ジャパンは?」

 三太は訝しげに顔をしかめ、金髪を掻いた。

「えー。分かんない? そのままの意味だよ。『日本へようこそ!』」

「分かるわ。そうじゃなくて、英語でいいのかよ? 留学生が来るのはルーマニアからだろーが」

「ヨーロッパの人はみんな英語喋れるから、英語で大丈夫だって、秋吉くんが言ってたよ?」

「んなわけねーだろ。お前よくアイツの言うこと信じたな。アイツは教科書見ただけで気分が悪くなるほどの勉強嫌いだったんだぞ」

「ヨーロッパってたくさんの人がいるでしょ? 何語が喋れるか分かんないし英語が無難かと思ったの。別に英語喋れなくたって、『Welcome to Japan』くらい分かるでしょ?」

「それは……一理あるけどな」

「ちゃんとほのみも考えてるよ」

 ねっ、と顔を傾け、にこにこと微笑む。

「大体、情報が少なすぎるんだもん。好きな食べ物とかも分かれば、用意したんだけどな。でも、ハンバーグを嫌いな人はいないよね」

「普通にいるだろ。ベジタリアンかもしれねーし」

「あっ、そっか。外国の人だし、宗教上のこととかもあるかもしれないよね。でも、トマトは大丈夫だよね。野菜だもん。一応ね、昨日の晩にトマトソースもたくさん作ったんだ。ハンバーグにもかけられるし、お肉がダメならパスタに絡めてもいいし……」

「なんでトマト?」

「ジョージさんが、赤い色の食べ物好きだって言ってたもん。特にトマト」

「それはジョージの嗜好じゃねーか。鵜呑みにすんなよ。俺が子供んときあいつのあだ名『嘘つきジョージ』だったぞ」

「でもやっぱりトマトじゃない? だって吸血鬼……」

 言いかけたところで、ほのみがばっと顔を上げた。

 ロビーの中には大勢の人間たちが行き交っている。国際線への搭乗口に向かう者たちと、逆にこちらへ向かってくる者たち。そこに目当ての人物を見つけたのだ。

「あっ、ほら、あれじゃない!?」

「ん? お前、目がいいな。どこだ?」

「あそこ! 白い髪の男の子! わっ、美人!」

「美人? 男だろ」

「じゃなくて、横の女の人が! スーツ着てて、背が高くて! うわぁ、ほんと、すっごい美人! 女優さんみたーい!」

「お前、うるせーぞ」

 興奮してきゃあきゃあと騒ぐほのみの頭を、三太が今度は軽く小突く。

 国際線の出口だけあって、ロビーも数多くの外国人で溢れかえっている。中でも、その二人はひときわ目立っていた。

 灰がかった銀シルバーグレイの髪を一つにまとめた美女は、グレーのパンツスーツに身を包んでいる。華やかな容姿にそぐわない地味なよそおいが、返って美しさを引き立たせている。

 その隣には真っ白な髪の少年が、やはりスーツに身を包み、きょろきょろとせわしなく視線を動かしていた。

「あの子、あたしとおんなじことしてる」

 物珍しげに周囲を見回している少年を見て、ほのみはくすくすと笑った。

「あの子が、リュカオンくんだね」

 少年の髪は見事な白髪はくはつで、肌も雪のように白い。スーツは着慣れない感があり、裾がよれよれになっている。ネクタイの結び目はきつく締め過ぎているうえ、ジャケットの外にだらりと垂れ下がっていた。

「あのネクタイ、直してあげたいなぁ……。でも、聞いてたとおり、ほんとに髪が真っ白なんだね! ねえねえ、三兄ちゃん、ほんとにあの子が吸血鬼っ……もがっ!」

「しーっ!」

 三太が慌てて、ほのみの口を塞ぐ。

「声がでけえよ! 村じゃねーんだ、周りは人間ばっかだぞ!」

 小声で叱る兄に、ほのみは口を押さえられたまま、こくこくと何度も頷いた。手を離すとき、三太はきつく念を押した。

「気をつけろよ。田舎モンはいいけど、余計なモンまで出すな」

「はい……」

 ガラスの壁の向こうを歩いてゲートに向かってくる少年が、ふとほのみを見たような気がした。偶然かもしれないが目が合って、ほのみは思わず肩を竦めた。

 光を受けているときは青い瞳だったのに、翳ると紫になった。

 紫の瞳だ! そんな目の色、初めて見た。またきゃあきゃあと騒ぎたいのを堪え、ほのみは三太のTシャツの裾を引っ張ると、声をひそめ尋ねた。

「ね。ほんとにあの子、吸血鬼なの? ジョージさんとはちょっと雰囲気が違うね」

「そりゃ吸血鬼は吸血鬼でも、ジョージはオッサンだからだ。それに、あの留学生は正確にはハーフなんだよ。半吸血鬼ヴァンピール

「ヴァンピール……あの綺麗な女の人も?」

「あの人は違う。俺たちの仲間」

「狼人間?」

「そう」

「へー……向こうの人は、綺麗だねえ」

 ほのみは長身の美女を見つめながら、はあと羨望のため息をついた。自分の黒髪に触れてみる。硬い。ふわりとした銀色のウェーブヘアとは大違い。

「じゃあ、あの人も留学生? 大兄ちゃんはまだかな? ほんと、相変わらずのんびりしてるんだから。ね、三兄ちゃん」

 質問ばかりのほのみに、三太はジーンズのポケットに手を突っ込み、黙っている。

「三兄ちゃん?」

「いいか……ほのみ。絶対に大声は出すなよ?」

「え? うん」

「あの美人はな……」

 いつになく神妙なその口ぶりに、ほのみは姿勢を正し、次の言葉を待った。

「大兄の婚約者だ」

「えええっ!」

 約束に反して大声を上げたほのみは、大きな瞳をいっぱいに見開いた。

「ウソッ、ウソでしょ!? ほのみそんなの聞いてないよ!」

「言ってねーし。ま、信じらんねーのはムリもねーよ。マジびっくりするほどの美人だしな」

「そこじゃないよ! び、美人だけど! 初耳だよ! なんでっ! どうしてそんな大事なこと、ほのみに黙ってたのっ!?」

「それは、お前がウルセーからだ。出すなって言ったのに、大声出してるし」

「ひどい!」

 ほのみは抗議し、目を背ける三太の肩や胸を、拳でポカポカと殴る。

「そうだ! 大兄ちゃん、どこ!」

 ばっとロビーを振り返ると、大勢の外国人に混ざって大荷物を引いてくる銀髪美女と、手ぶらの白髪少年が、ゲートに向かっているところだった。が、やはり兄の姿だけが無い。

「もう、何してんの! 婚約者と留学生は来てるのに、大兄ちゃんだけどうしていないの!」

「ウルセー」

 パニックを起こし一人で怒鳴り散らす妹の頭に、三太がげんこつを食らわせた。

「いたっ! 今のは痛かったよ!」

「騒ぐなって。お前の言いたいことは分かる。けど、出迎えるのが俺たちの仕事だろ? その制服は正装なんだよな? 相手は初めての日本で、笑顔で出迎えなくてどうする? 怒鳴りながら迎えんのか?」

 滅多に見ない真剣な顔で、延々と正論を述べた三太が、びしっとスケッチブックを指差す。

「ウェルカム・トゥ・ジャパン」

「う……うん……」

 いつになく強い三太の口調に負け、ほのみはとりあえず頷いた。

 そうしている間にも少年がゲートをくぐり、一人で先に出てきた。兄の婚約者だという美女だけが、中々外に出てこない。出口の手前で周囲の人間と何か話している。

 少年は人混みに肩を押されながらきょろきょろと辺りを見回し、ふとほのみと目が合った。

 その瞳の色に、またもほのみは息を呑んだ。まるで夜の空のような色。

 彼はずかずかと大股で歩いて来て、ほのみの目の前で止まった。

「――ほのみ?」

「はひっ!」

 美少年に至近距離からいきなり名前を呼ばれ、ほのみは肩をびくりと震わせた。スケッチブックを胸の前に持ち、姿勢を正す。

「うぇっ、ウェルカム! ええと、ええと、ようこそジャパンへ!」

 素っ頓狂な声を出してうろたえるほのみの姿に、隣で三太がぶっと吹き出す。そんな兄のリアクションに、ほのみは睨むでも怒鳴るでもなく、ただ少年の顔立ちに見とれてしまっていた。

 なんて、綺麗な子なんだろう!

 光を受けてキラキラと輝く瞳。意思の強そうなつり目に、くっきりとした二重瞼、白く長い睫毛。小さく完璧な形の輪郭に、完璧な形の目と鼻と口が、これ以上無いというほど完璧に配置されている。ぴったりのピースを気持ち良くはめたパズルのように、いつまでも眺めていられる。誰が見ても文句無しの美少年だ。

 目を引く彼の容姿に、通り過ぎる人間たちもちらちらと視線を送っている。

「こんにちは?」

「あっ、えっ! あ、こんにちは!」

 ぼうっとしていたほのみは、我に返った。目の前で美少年が首を傾げる。

「それ、なんだ?」

 と、彼は日本語で言い、スケッチブックを指差した。

「あれっ? 日本語っ?」

「なんだ?」

 さらに首を傾げる。

「これは、ウェルカム……あ、ごめんなさい! 英語……読めなかった?」

 ほのみはスケッチブックを下ろし、顔を赤らめた。少年が、こくんと頷く。

「ニホンご、いちばん、とくい。ほか、わからない」

「えっ? あ、そ、そうなの?」

 日本語で答える少年の、完璧と言えるほどの綺麗な顔には表情が無く、たどたどしく話す姿はロボットのようだ。

 きっと彼も緊張しているのだろうと、ほのみは思った。

「え、えーと……日本語しか、出来ないってこと?」

 また、こくん、と頷く。

「無難じゃなかったな」

「うるさいなぁ」

 ほのみは三太を睨みつけ、少年には笑顔を向けた。

「えーと、ごめんね。これは『日本にようこそ』って書いてるの。それから『灰澤村にようこそ』」

 スケッチブックを改めて少年に見せると、彼は納得したように頷いた。

「ハイザワ・ムラ」

「そう。あたしたちの村。日本の妖怪たちが暮らす村」

 ほのみは満面の笑顔で、少年に告げた。

「これから、あなたも暮らす村だよ」

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