厄災【2】―ストリゴイ―
リュカはほのみを抱え、そのほのみは子ダヌキの達郎を抱え、山神のほこらまで飛んだ。
まりやの位置はすぐに分かった。案内されるまでもなく、大声で泣いていたからだ。
「うわぁぁぁん! こわいよぉぉ!」
「まりやー! もう少しだ! リューちゃんが来てくれたぞー!」
ほのみの腕の中で達郎が叫ぶ。リュカはほのみたちを地面に降ろした。
「おにいちゃぁぁぁん!」
ひょろひょろと背の高い、あまり丈夫そうには見えない細い杉の木が、強い風にあおられている。三メートルも登ったあたりに生えた枝に、子ダヌキがしがみついていた。
「なんで、あんなところに?」
ほのみは顔をしかめ、周囲に集まった子供たちを見た。全員タヌキの姿でうなだれている。
「誰が一番高く、木の上まで走って登れるか、勝負してて……」
「まりやのやつ、初めてのくせに意外と登りやがってさ」
「でも、降りられなくなっちゃったの……」
「そんな危ない遊びしてたの!? ダメじゃない!」
「なあなあ、母ちゃんに言う? ナイショにしててよ、ほのちゃん。怒られちゃうから」
「言うわよ! こんな危険な遊び、今後一切禁止だからね!」
腰に手を当て、ほのみは厳しく叱りつけた。子ダヌキたちはしゅんと、頭と尻尾を下げた。
「とにかくリュカ、早くまりやちゃんを助けてあげて!」
「ん、わかった」
リュカは頷き、膝をぐっと曲げて、ぴょんと飛び上がった。羽が無くても軽々と、枝を飛び移っていき、あっという間にまりやがぶら下がる枝に辿り着く。
決して太いとは言えない枝が激しくしなり、ほのみの悲鳴が響き渡った。
「きゃああ! リュ、リュカ! もっと、優しく登って! 枝が折れちゃう!」
片手で枝を掴み、もう片手を伸ばして、先端に必死でしがみつく子ダヌキをすくい上げる。
「リューちゃぁぁん!」
救助され、タンクトップの胸にしがみつくまりやの頭を、リュカは撫でた。子ダヌキの後肢は濡れている。まりやがぐずぐずと鼻を啜った。
「ぐすっ……ごめんなさい……リューちゃんにおしっこ、ついちゃった……」
「おもらしか? おもらしなら、ほのみもするぞ」
「えっ、ほのちゃんもっ?」
こくんとリュカが頷く。地上でハラハラと見守っているほのみに聴こえていたら、「それは子供のときの話!」と怒り出すだろうが、まりやはほっとしたようだった。
「そうなんだぁ……よかった、まりやね、こんどからようちえんなのに、おもらししちゃって、はずかしいと、おもったの」
「オレも、こんどから、がっこうだ。きゅうしょくを、たべにいく」
「ほんと? リューちゃん、むらから、でていかない?」
まりやはさっきまで泣いていた顔を、ぱっと輝かせ、リュカを見上げた。
昨日、リュカが飛び出して行ったことも、ストリゴイが出たことも、ついでにほのみが素っ裸で跨ったことも、狭い村ではとっくに全員――子ダヌキにいたるまで知っている。
「こわいおばけがでたけど、リューちゃんがやっつけてくれたんだよね! リューちゃんがいてくれて、よかったねって、ママもパパもそんちょーも、みーんなもいってたよ!」
「オレは……」
片手でまりやを抱えながら、リュカは細い枝に腰かけた。
「な、なんで降りてこないの!? 見てるほうが怖いから早くして!」
下で顔を青くしたほのみが、怒鳴っている。そんな少女を見ながら、リュカは呟いた。
「……オレがいるから……あぶない……。けど……オレは……」
「リューちゃん?」
切なげな目で少女を見る少年の姿に、まりやは小首を傾げた。
次の瞬間、ぐらりと大きく樹木が傾いだ。まるで、強い力で引っ張られるように。
――ミ……ツケタ……。
笑うような女の声が、リュカの聴覚を不快にくすぐった。
「ストリゴイっ……どうして!」
いくら感覚が鈍っていると言っても、ここまで近づかれてもまったく気付かなかったことに、リュカは愕然とした。姿は見えないのに、足を掴まれる感触がして、体が空中に引きずられる。
その拍子に、まりやから手を離してしまった。
「あっ……まりや!」
気付いたときには遅く、子ダヌキが空中でくるくると回転しながら落ちていく。
「きゃああああああ!」
「まりやぁぁぁぁー!」
ほのみと子供たちの悲鳴が重なる。当のまりやは呆然とした顔で落ちて行き、慌てて飛びつこうとしたリュカの足を、何かが引っ張っている。
「はなせっ……!」
リュカは叫びながら手を必死に伸ばしたが、見えない手に引きずられ、逆に遠ざかる。その一瞬が、酷く長く感じられた。小さいまりやは、ゆっくりとした速度でふわふわと落ちていくように見えた。けれど地面に激突すればぺしゃんこに潰れてしまうだろう。怪我をして動けなくなった創の姿が、リュカの脳裏によぎる。
いつも傍にいた、最初の友達で、頼れる兄のようであり、何でも教えてくれた父親のような、彼の名を、リュカは咄嗟に叫んだ。
「――ハジメぇ!」
その眼下に、大きな黒狼が突風のように走り込んでくる。宙吊りにされながら、リュカは目を見開いた。
まりやは地面に激突する寸前で、狼の背にぽてっと落ちた。完全に目を回している子ダヌキを、黒狼はそっと優しく咥え上げた。
黒狼が頭を上げ、敵に捕らわれた少年を見る。大丈夫だとリュカが頷いてみせると、それだけで意図を汲み取り、黒狼は子ダヌキを咥え、その場を素早く走り去った。
「ほのみ、子供たちを連れて、逃げるのよ!」
鋭い声とともに、銀狼も山を駆け上がってきた。
「ストリゴイはリュカを狙ってる! 今なら安全に逃げられるわ!」
「お義姉さんっ……それじゃリュカがっ……!」
「子供たちがいたらあの子が本気で戦えない! 子供たちを守るのよ!」
ヴァヴの叱咤に、ほのみはしっかりと頷くと、震え上がっている子ダヌキたちを腕に抱え上げた。半分をヴァヴの背に乗せ、残りを抱え、ほのみは走った。まるで狼のときのように軽やかに山の斜面を駆け下り、岩場を飛び下りていく。
「うおわぁぁぁぁ!」
「ほのちゃん、すげえ!」
「黙ってなさい! 舌噛むよっ!」
そう叫ぶほのみの頭には、ストリゴイに捕まったリュカの姿が焼きついていた。その不安を払拭するように、ヴァヴが強い口調で励ました。
「大丈夫よ、ほのみ。あの子は強い。信じて、私たちも戦いましょう」
ほのみは頷いた。今は、子供たちを安全な場所まで逃がすのが、自分の役目だ。一緒に戦おうって、決めたんだ。




