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厄災【1】―いつもの朝―

(――ほら、リュカ。全部、食べていいんだよ)

 そう青年が言った。美味しい匂いが鼻をつく。

 うん、たべたい。このにおいは、おいしいやつだ。

 たべたい。ごはん、すごくたべたい。

 布団の中でくんくんと鼻を動かし、まどろんでいると、ほのみが起こしにやって来た。

「リュカー、ごはんだよー」

 朝、寝ているときも、夕方まで子供たちと遊んでいるときも、そうやってほのみが呼びに来る。そしたら、おいしいごはんのじかんだ。

 他の子供たちは、『お母さん』が呼びに来る。リュカにお母さんはいないけど、ほのみがいる。創もヴァヴも次武も三太もいる。だから、寂しくない。リュカにも帰る家がある。

 布団も温かく、とても気持ちが良い。なかなか目を開けられないでいると、ほのみが尋ねた。

「リュカ、ご飯、食べれる? もうお昼ご飯だけど……」

「たべる……たまご……みっつだ……」

「ダメよ。三つは多いって、いつも言ってるでしょ」

「ほのみ……ケチ……」

「そんなこと言うなら、一つも無し」

「いやだ……」

 布団をかぶりながら、リュカは言った。が、すぐに布団を跳ね飛ばし、起き上がった。

「――なんで、オレ、いえにいる!?」

「気付くの遅いよ」

 布団の横に、エプロン姿のほのみが座っている。

「オレ、みず、しずんだ!」

「知ってる。大変だったのよ。みんなが助けてくれたんだからね。川太郎おじさんなんて河童なのに泳ぐの久しぶりだから、足つっちゃって、助けに入って逆に助けられたんだから」

「なんで、たすけた!」

「なんでって、助けなかったら、死んじゃうじゃないの」

「たすける、ダメだ!」

 すっかり快復したらしく、リュカが大声を上げる。これだけ大声が出せるのなら大丈夫だろう、とほのみは内心で思った。ちょっと血をあげ過ぎたかしら?

「どうしてダメなのよ?」

「オレがいると、ストリゴイ、くる……」

 言いながら、リュカが俯く。

「ストリゴイ、きたの、オレのせいだ。オレをたべに、ストリゴイがくる。みんなのせい、ちがう。オレのせいだった……」

「そんなこと気にして、龍鱗湖に入ったの? あそこはすごく深いのよ。バカね」

 冷たくなって死んだようだったリュカの姿を思い出し、ほのみはごしごしと目許をこすった。

「ほんと、バカだよ……。男の人は自分だけで全部決めて、こっちがどんなに心配しても、勝手に居なくなっちゃうんだから……。お、大兄ちゃんもそうだったし……!」

 言いながら、涙がどんどん溢れてくる。ほのみは顔を覆い、しゃくり上げた。

「リュ、リュカのこと……すごく探したんだからねっ……水から助けたとき、すごく冷たくなってて、もう、起きないかもしれないって、思ったんだから……!」

「ほのみ……どうして、なく?」

「バカ! リュカが、心配かけたからよっ……でも……守ってくれて、ありがと……」

 ほのみは濡れた目を上げ、泣き顔のまま微笑んだ。リュカは目をぱちくりとさせた。

「戦ってくれて、ありがとう。リュカがいて、良かった」

「……でも……オレが……いたら……」

「じゃあ、もう、守ってくれないの? ストリゴイはたくさんいるんでしょ? リュカはここから居なくなって、もうあたしたちのことは守ってくれないの?」

 ほのみが拗ねたように頬を膨らませる。

「ふーん、そっか。リュカの知らないとこで、あたしが死んじゃっても、いいんだ?」

「いやだ!」

「じゃあ、守ってよ。これからも。ううん、リュカだけじゃないよ、あたしも、守る」

 ほのみはリュカの手を掴み、しっかりと強く握った。

「あたし、弱いかもしれないけど……でも、リュカを守りたい。知らないところでリュカが怪我したり、危ない目に遭うのはいや。だからお願い、勝手にいなくならないで。一緒にいて」

「ほのみ……」

 リュカは自分に触れる温かい手を見つめた。何故か、以前よりも彼女を近くに感じる。自分の中にほのみが居るみたいだ。

「オレが……いっぱい、なかせたか?」

 また涙を溢れさせているほのみに尋ねると、彼女はかぶりを振った。

「そんなのじゃないの。心配もしたけど……いまは、嬉しいの。リュカが戻って来て、嬉しいから、涙が出るんだよ」

「うれしい?」

「そうだよ。おかえり」

 涙もそのままに元気な笑顔を見せる少女は、いつだってこうして明るく笑っているけれど、今日は何故かいつもよりとても可愛らしく見えて、リュカは白い頬を赤らめた。


 すっかり元気になったリュカは、ちゃぶ台に乗りきらないほど用意された食事をすべて平らげ、炊飯器いっぱいに炊いたご飯も空にしてしまった。

「はい、これでもう、おかわりは無いからね。よく噛んで食べるのよ」

 最後の一膳を手渡しながら、ほのみはリュカに釘を刺した。

「ほら、リュカ。俺のも食えよ。快気祝い」

 三太が自分の皿に乗っていた厚切りのハムを、リュカの皿の上にのせた。

「三兄ちゃんさぁ、やっぱり狼になったとき変だよ、その頭。そこだけ黄色くなっちゃう」

「いいだろ。うちは全員黒いから、区別つきやすくて」

 夢中でご飯をかき込んでいたリュカが、ぱっと顔を上げる。

「サンタ、オオカミ、なったのか?」

「おう、なったなった。お前探すのにな。俺も次兄も、ほのみだって……」

「やめて! わざわざ言わなくていいの!」

 ほのみは慌てて言葉を遮ったが、遅かった。リュカがぽかんと口を開け、ほのみを見つめる。

「ほのみ……オオカミ、なったのか……オレ、みてないぞ」

「いいの、見なくて、そんなの!」

「なんでだ! オレは、ほのみの、おっとなのに……うわきか!?」

「ちょっと! そんな言葉、誰が教えたの!」

「俺じゃねえぞ」

「嘘よ! 三兄ちゃんに決まってるじゃない!」

「テレビだろ。もう諦めろよ。お前、村のみんなの前であんなことまでして」

「ちょっと! 言わないで! リュカの前で、余計なこと言わないで!」

「ほのみ、オレにいえないようなこと、したのか?」

「どうせ村中に知れ渡っているし、変なこと吹き込まれる前に、ちゃんと自分で説明したほうがいいと思うけどな」

 次武までもそんなことを言う。

「そうだぜ、なんせお前、素っ裸でコイツに跨って……」

「ちょっ……やめて!」

「すっぱだか、オレもみたい!」

「見せるわけないでしょ!?」

「オレだけみてない! おっとなのに! おまえは、オレというものが、ありながら、ほかのおとこにみせたのか!」

「そういうことばっかり、どこで覚えるの!」

「俺じゃねえぞ」

 そんな光景をヴァヴがにこにこと見つめ、傍らで寝そべる創に語りかける。

「ねえ、あなた。大きな事件を乗り越えて、二人の絆はより深まったのね」

「おっとなのに……」

 リュカが憮然と呟くも、ほのみは無視した。

「それだけ元気なら、もう大丈夫だね。今日からまた、勉強だからね。ストリゴイはもういなくなったんだし。もうすぐ学校だよ」

「べ、べんきょう……」

 リュカが嫌な顔をした。ストリゴイより手ごわいかもしれない。

「でも、あの怖い声、あれがストリゴイだったのね」

「こえ?」

 ほのみの言葉に、口の周りにご飯粒を付けたリュカが、目をしばたたかせる。

「そう。次兄ちゃんとご飯作ってるとき、聴こえたの。女の人の、ちょっと気持ち悪い声で。あ、リュカ、ご飯粒いっぱい付いてるよ」

「おんな……?」

「そうだよ。なんか頭に響いてくるみたいな。あれ、村のみんなも聴いたんだって」

「ちがう!」

 ガチャン! と大きな音を立て、リュカが茶碗を落とした。味噌汁の入った椀にぶつかり、中身が食卓にぶちまけられた。

「きゃあ! 何してんの、リュカ!」

「そのストリゴイ、ちがう! オレがたおしたのと、ちがう!」

「何してんのよ、もー!」

「三太、無事な皿下ろせ。ほのみ、布巾取ってくれ」

「お前なー、自分がほとんど食ったからって。俺たちはまだ食ってんだぞ」

「ストリゴイ、まだいる!」

 リュカが叫んだとき、玄関にドンと何かがぶつかる音がした。すぐにリュカが立ち上がり、走っていく。

「ま、まさか、ほんとに……ストリゴイが?」

 ほのみは緊張で身を強張らせながら、リュカの後を追った。みんなで玄関に出ると、首を傾げるリュカの足許で、一匹の小さなタヌキがばったりと倒れていた。

「達郎! 大丈夫か!」

「あ、これ、たつろーか」

 次武が慌ててたたきを下り、タヌキの子を抱え上げた。タヌキ姿で誰がどの子なのか分かるのは、さすが先生と言える。

「せ、せんせー……た、大変だ……」

「どうした。怪我は無いみたいだな。何があった? そんな姿で」

 うっすらと子ダヌキが目を開く。次武は青ざめつつも、冷静に尋ねた。

「大変なんだ、先生……! 大変なことが起こったんだ!」

 まさか、本当に新たなストリゴイが現れたのかと、全員に緊張が走る。

「大丈夫だ。落ち着いて、話してみろ」

「まりやが、木から下りられなくなったんだ!」

 切羽詰った声を上げる子ダヌキに、リュカと創を除く面々が、はぁ、と安堵の息をついた。

「もう、びっくりしちゃった……」

「まったく……どこで遊んでるんだ?」

「山で……。山神様の、ほこらの近くだよ」

「子供だけで山で遊ぶなと、いつも言ってるだろう」

「うん……母ちゃんたちに言うの、怖くってさ。絶対怒られるから、まず先生のとこに……」

 達郎がしょんぼりとしながら言った。小さく息をついた次武を、リュカが見上げる。

「オレ、いくぞ。とべるから」

「頼む、リュカ。俺も村長に応援を頼んで、すぐに行く」

 ほのみも慌てて手を上げた。

「あ、あたしも行く!」

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