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命をかけて

 ほのみはヴァヴと一緒に、村の集会所に駆け込んだ。

《ストリゴイ(外道)対策、村民会議場》と紙の貼り付けてある扉を、勢いよく開く。

「みんなっ……!」

 そして――固まった。

「よー、ほのちゃん、もう始まってるぞー」

「こっち来て、お酌頼むよ」

「ヴァヴちゃんもたまにはそんな毛皮脱いで!」

「な、な、な……!」

 赤ら顔で手を振る大人たちに、ほのみは拳を握り、わなわなと身を震わせた。

 小さな集会所には、年配者から若者まで、男性ばかりが十数人集まり、大きなちゃぶ台を囲むようにして座っている。それはいい。

 問題は、ちゃぶ台の上に散らかっている、缶ビール、日本酒、焼酎、つまみ……。

「ほのみ……これは……」

 ヴァヴが呆れ顔で、ほのみを見上げた。赤ら顔の村長が、上機嫌で酒瓶を振る。

「お~、ほのちゃん! 話は盛り上がってるぞ~」

「しっ、信じられないっ!」

 ほのみはすぐさま靴を脱いで畳に上がると、酔っ払いたちを怒鳴りつけた。

「どういうことっ!? どうして宴会が始まってるの!?  お兄ちゃんたちも、どうして止めてくれなかったの!」

 村長の近くに座っている二人の兄を、キッと見やる。

「俺は止めた」

 次武は腕組みしたまま、すでに諦めた様子でそう答えた。

「三兄ちゃんは、どうしてビールを持ってるの!?」

「や、これは、勧められたから、付き合いでな。二口しか飲んでねーし」

 ほら、と三太はたっぷり残った缶ビールを振ってみせた。

「ひどい! ひど過ぎるよ! リュカはみんなのために、ストリゴイを倒しに行ったんだよ! まだ村に来て、ほんの少ししか経ってないリュカが、あたしたちの為にそこまでしてくれてるんだよ! そっ……それなのにっ! 何なの!? 何なのよ、これは!」

 ほとんど泣きそうになりながら、ほのみは怒鳴り散らした。村人たちは一斉に頭を抱え、呻き声を上げた。

「ごめん、ほのちゃん、ちょっと頭に響く……」

「もう頭痛くなるほど呑んでるの!?」

 酒好きなタヌキのおじさんたちなど、すでに人間の姿も保てていない。酒瓶を抱いて転がって寝ている者もいれば、千鳥足で腹踊りを披露している者もいる。

「おじさんたち! お兄ちゃんたち! 起きて、お酒置いて!」

「まーまー、ほのちゃんも、見ていきなよ、新作の裸ラインダンス」

「あああああ、もう!」

 ほのみは血の昇ってきた頭をぐしゃぐしゃと掻いた。髪質が硬いのがコンプレックスで、毎日時間をかけてきちんと梳かしているボブカットから、何本か横髪が飛び出した。

「いい加減に……して! こんな、こんな村のために、リュカは……!」

 少女の黒髪がざわざわと逆立つ。

 激しい怒りを感じ、少し酔いが覚めたらしい村長が、慌てて酒瓶をちゃぶ台の下に隠す。

「ほ、ほのちゃん、誤解だって……その、なんか景気づけっていうか、なぁ? 次ちゃん」

「最初から酒盛りでした」

 バン! とほのみはちゃぶ台を叩いた。

「なにがストリゴイ対策よ! みんな、全然のん気じゃない! また、誰かが死んじゃったらどうするの! あたしは、そんなの、いやだ!」

「ほのみ、泥酔している方々には、何を言っても無駄ではないかしら……あまり酔っていない方々だけで会議を……あっ、やめてください、モフモフするのは! あの、私、これでも人妻なので……ああっ、た、助けてっ、創……!」

「ギャアア!」

「あっ、ごめんなさい! 噛んじゃった……」

 ヴァヴが、慌ててほのみの傍に走り寄ってきた。

「ほ、ほのみ、どうしましょう、思わず、がぶりとやってしまったわ……」

「いいよ。みんな噛んじゃってよ」

 ほのみは冷ややかな目で、言った。




 滑空する魔物が、森の木々をへし折りつつ、地面に激突する。

 その体に張り付いていたリュカは、地面とストリゴイとの巨体に挟まれ、その衝撃と重みで全身をひしゃげさせた。が、凄まじい再生能力で蘇り、また戦う。

 どんな攻撃を受けても、先に死ななければ負けない。そんな雑な戦い方を続け、妖力はずいぶん減った。傷の治りが遅くなってきている。

 以前、ヴァヴと創に言われた言葉を思い出した。

(あなたは強いかもしれないけど、超再生能力にばかり頼っては駄目よ)

(そうだね。君は自分の妖力が膨大だから実感が無いだけで、妖力というのは使い続けると減っていくものだから)

 そんなことを教えてくれた者はいなかった。力は使えば減る。全部使い切ると死ぬ。そんなことも知らなかったリュカにとって、敵の攻撃は受けるだけのものだった。

 どれほどの怪我をしても、どうせ治る。だから、別にいい。

 そんな考えをしていたから、創に負担をかけた。

 彼はいつもリュカが怪我をしないように気にかけてくれていた。

(君が平気でも、君が怪我をしたら、僕は悲しいよ)

 そう言い、リュカの頭を撫でた。そんなふうに誰かに労わられるのは初めてだった。

 彼が心配すると分かっていたのに、ストリゴイを前にすると、苛立ちのままに戦った。そんなリュカを庇い続け、とうとう彼は傷ついてしまった。

 今の戦い方も創が見たら悲しむような戦い方だ。自分が傷つくのも構わず、腕で肉塊を貫き、無数の手足を折り、翼をもぐ。哀れなデスマスクを潰していく。

「はやく、しね!」

 しぶといストリゴイだ。頭も手足もほとんど失っているのに力尽きる様子は無く、ますます暴れ狂っている。巨体を樹木や地面に衝突させ、まとわりつくリュカを押し潰す。

 地面とストリゴイとの間から這い出したリュカは、顔も体も醜く潰れていたが、すぐに再生し、化け物に掴みかかった。そこに残った顔の一つが、ぎょろりと目を剥き、リュカを見た。

 それは妖怪の顔だった。見たことのない日本の妖怪だ。どこかで喰われたのか、もしや村の誰かではないかと思ったリュカの手が、一瞬止まった。

 無数の口が開き、長い舌が伸びた。リュカの体のいたるところに巻きつき、拘束する。

「あっ……!」

 思わず声を上げた。絡んだ舌から脂汗のように唾液が滲み、それがじゅうじゅうと皮膚を焼いた。妖怪の口から吐き出されたのは、灼熱の唾液だった。

 それを浴びた顔が焼けただれ、閉じた瞼の中で眼球が煮えたぎった。頭を振って少しでも払おうとしたが、粘ついて剥がれない。

 焼け落ちた瞼が再生していくまでの一瞬、創やヴァヴと過ごした森での日々を思い出した。

 それは冷たい雪と氷の季節から始まり、雪が溶けると白く小さな花が咲き、やがて森に緑が溢れた。その葉が枯れ落ち、また雪が降り、氷に閉ざされる。生まれてから何度も通り過ぎていった季節は、彼らと出会ってから、まるで違うものになった。

 今度白い花が咲いたら、日本に行こう。創が言った。ニホン? 尋ね返すと、青年が穏やかに笑う。そう、日本。僕の故郷。

(僕の家族が居るんだ。弟が二人と、可愛い妹が一人。次武は真面目だから眼鏡をかけてて、三太はやんちゃだから金髪。それから、ほのみは可愛い。世界一可愛い女の子なんだよ)

 焼けただれた唇で、リュカは呟いた。

「ほのみ……」

 ストリゴイの腹が割れ、大口が開く、その口の内側のいたるところに、びっしりと鋭い牙が生えている。リュカはぼんやりとそれを見ていた。左腕を喰われた。


 ――オイシイ、オイシイ、オイシイ、オイシイ!


 ボキボキ、メキメキと嫌な音を立て、怪物が自分の腕を咀嚼する。

 笑っている。腹が立つが、抵抗する気力も一緒に喰われていくようだった。何だかひどく疲れた。再生能力を使い過ぎた。怒りに身を任せ、慎重に戦わないからこうなった。創たちの言うことはいつも正しい。リュカを喰ったストリゴイの傷が見る間に癒えていく。リュカの持つ強力な再生能力を取り込んだ怪物は、壊れた玩具のように笑う。これでまた強くなり、永遠に近づいた。そう言っているように。美味そうに自分の腕を噛み砕く怪物を、どこか冷めた気持ちで見た。ほのみの小言を思い出す。そうだ、かたいものは、よくかんで、たべる。あれは……なんだった? 喰われながら、逆に冷静になっていく。そうだ、するめだ。びーる、をのんでいるサンタにもらった。

(もう、慌てて食べちゃダメ! しっかり噛んで、食べるんだよ)

 いっぱい貰ったのでいっぱい口に入れたら、叱られた。ビールを飲ませようとする三太も怒られていた。

 でも、あれはきらいだ。うまくない。さいだーのほうがいい。

 こっちを飲めと、次武に貰った。あれはちょっとからいけど、シュワシュワするのがおもしろい。余ったするめをポケットに入れたらまた怒られた。何でもポケットに入れちゃダメだと。ほのみはすぐおこる。けど、かわいい。

 ――あいたい。

 でも、それはもう出来ない。ほのみの笑顔や小さな手のぬくもりが蘇ってくる。

 温かい記憶に、胸を燃やすような怒りが消え、代わりに、強い信念が蘇った。

 負けたら――もう守れない。

 次の瞬間、紫の瞳に鋭い光が戻った。リュカはストリゴイに、右腕も差し出した。すぐさま右腕も捕らえられるが、腕を喰わせたまま、リュカはその巨体を持ち上げた。

「あ、ああああっ……!」

 翼を広げ、ストリゴイを抱えたまま、空に飛び上がる。

 一度だけ地上を見下ろしたが、戦いが始まってから創の姿は無くなっていた。

 きっと、ほのみたちのところに帰ったのだ。それでいい。リュカは安堵しつつ、全身を喰おうとするストリゴイに抗いながら、しっかりと飛んだ。

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