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ヴァンピールの少年【4】

 リュカの知能は赤ん坊とそう変わりはなかったが、言葉を知りさえすれば喋ることは簡単に出来た。

 創はリュカに言葉や文字を少しずつ教え、ヴァヴは森のことを教えた。モンスターのことや、ヴァンパイアやストリゴイについても。

 彼と過ごしている間にも、ストリゴイは何度となく森を襲撃してきた。

 リュカは驚くほど強く、なんなくそれらを返り討ちにした。それに加え創とヴァヴがいれば、全てのモンスターに恐れられるストリゴイも、どうという敵ではなかった。


 傍らに倒したばかりのストリゴイの残骸が横たわっている。無数の手足を引きちぎり、デスマスクもすべて潰し、完全に動かなくなるまで叩く。そうして息の根を止めるまで、リュカは安心出来ないようだった。

 戦っているとき、デスマスクの中に狼を見つけて、ヴァヴは嫌な気持ちになった。ストリゴイを攻撃するたび、同胞の悲痛な鳴き声を聴いた。

 この化け物に、どれだけのモンスターと人間が殺されてきただろう。

「もうすぐ……いなくなる」

 リュカは冷たい目で、かつて自分の一族だったものを睨みつけた。最後に残っていた頭を、ぐしゃりと足で踏みつぶす。

「オレを、だました……こいつら、ゆるさない。ぜんぶ、ころす」

 知恵をつけていくにつれて、リュカはストリゴイへの怒りをはっきりと口にするようになった。彼の中に宿る母親の記憶が刺激を与えているのかもしれないと、創は言っていた。

 彼の強さを、ヴァンパイアたちは利用していた。リュカにストリゴイ狩りをさせ、その血肉を喰らって、自分たちがより強い上位のストリゴイとなるために。やがてはリュカを凌駕する力を得て、彼を殺せるように。

 だが、タイムリミットのほうが先にきた。奴らがリュカより強くなるよりも先に、リュカのほうが奴らへの憎しみを思い出した。リュカの中で眠っていた母親の意志が目覚めて、それがリュカに影響を与えているのだろう。

 なんて悲しいモンスターなんだろう、とヴァヴは思った。

 こうして彼は一生戦い続けるのだ。永遠に晴れぬ母親の無念のために。


 無数の魂を失ったストリゴイの体は、やがて塵となって消えた。

 それを見届けてから、黒狼が声をかけた。

「さぁ、行こうか。リュカ」

「うん」

 頷いて、リュカは創の首に、ぎゅっと抱きついた。

 父親に縋る子供のようだ。実際、その認識はなくとも、創を父のように思っているだろう。ヴァヴはリュカを遠慮なく叱るが、創は優しく窘めるだけだから、余計に創に懐いている。

 創の首筋に顔を埋める少年に、創も体をこすりつけた。彼は狼になっても、リュカより体長が大きい。創が寄り添うと、まるで大きなクッションみたいに、リュカの体はそこにすっぽりと収まってしまう。

「寝てしまった」

 見ると、リュカは創に抱き着いたまま寝息を立てていた。

「あらあら。赤ちゃんみたい」

 独りで彷徨っていたときは、こんなふうに気の抜ける瞬間などなかっただろう。それがいま、親に守られた獣のように、安心して寝息を立てている。その顔を見て、創は狼の顔でも分かるくらいにやけていた。

「可愛いなぁ。ほのみと同じくらい可愛い。寝顔は天使のようだよ」

「あなたがそう言うならそうなんでしょうね」

 もう聞き飽きた親バカ発言を、ヴァヴはいつものように流した。

「早くほのみとリュカの子供が見たいなぁ。天使も嫉妬する可愛さだろうな」

「気が早いにも程があるわ」

 ヴァヴは息をつき、眠っているリュカの衣服の襟首をくわえた。そして軽々と持ち上げ、創の背中にどすんと落とした。

「さぁ、あなたの可愛い子を、ちゃんと背負って帰ってちょうだいね」

「ヴァヴがしっかり者で助かるよ」

 ぐうぐうと眠っている少年を連れて、二匹の巨狼は森の中を歩いた。

「出会った頃、この子は眠りもしなかったわ。今では人間の子供みたいね」

 彼を育て始めた当初を思い出し、ヴァヴは目を細めた。

「そうだね。それだけ、ヴァヴが可愛がってくれたからだよ」

「あなたってほんと口が上手いわね。でも、この子はあなたが大好きなのよ」

「嬉しいね」

 創も目を細めた。夏が近づき、心地良い風が長い毛を撫でていった。


 短い夏が終わり、季節が秋になっても、三人の生活は変わらなかった。ストリゴイを倒すたびに、「もうすぐだ」とリュカは言った。創とヴァヴはただ彼の言葉に従った。




 そのときも、いつもと同じだった。

 いつもと同じように、リュカはストリゴイをたやすく葬った。

 ――はずだった。


「……ハジメ!」

 自分をかばって弾き飛ばされた巨狼に、リュカは気を取られた。

「リュカ! まだよ!」

 ヴァヴは夫が攻撃を受けても、ストリゴイから目を離さなかった。数メートルもある巨人のような黒ずんだ体に、飛びついて牙をたて、浮かんだデスマスクの一つを潰した。

 丈夫な創が、弾き飛ばされたくらいで死ぬわけがない。

 リュカだって分かっているはずなのに、彼はひどく動揺していた。

 自分が傷ついたって、少しも気に留めないのに。

「ハジメ……」

 倒れたまま動かない黒狼を、愕然とリュカは見やった。

「気を取られないで! 創は強いわ! 簡単に死なない!」

「しぬ……?」

 明らかに動きが止まってしまっている。ヴァヴはストリゴイの腕から逃れながら、チッと舌を鳴らした。

「リュカオン! しっかりしなさい!」

 自分のことは気に留めなくても、創やヴァヴが傷つけられることには敏感だ。特に、慕ってやまない創のことになると、あからさまに動揺して動きが鈍くなる。

 きっとリュカ自身、こんな気持ちを味わったことはないだろう。自分以外の誰かが傷つくことを、恐ろしいと思うことを。

「創、起きて!」

 いつもなら、「いたた……ごめんね、下手うっちゃった」なんて言いながらすぐに起き上がる創が、まだ倒れたままなのは、ヴァヴにも気にかかった。

「どうしたの、創!」

 まさか、と一瞬嫌な考えがよぎって、振り払う。今は戦いの最中だ。

「ハジメっ……」

「創を守りたいなら、戦いなさい! そいつを殺して!」

 敵に背を向けようとしたリュカに、ヴァヴは夢中で声を荒げた。その言葉がスイッチになったかのように、リュカは襲いかかってくる敵に向き直った。

「殺しなさい! そいつを!」

 リュカの体が、びくんと震えた。

 その言葉が、リュカの中に宿っている母親の無念を呼び覚ます。

 分かっていて、言った。

 創の意識があったなら、ヴァヴを叱っただろうか。

 きっと彼は、冷酷な選択をしたヴァヴを慰めるだろう。そういう優しい夫だった。




 目を醒まさない黒狼の傍らで、リュカはいつものように身を寄せ、太い首筋に抱きついた。温かい。生きている証だ。

「……ハジメ……」

 生きているのに、反応が無い。不可解そうに、リュカは黒い毛を撫でた。

 生きていると分かっているのに、目覚めないということが理解できないのだ。

「リュカ……」

「ハジメ、ねてる……おきない」

 近づいて来た銀狼に、リュカは言った。ヴァヴはいつだって、何でも答えてくれる。それにヴァヴのことが創は大好きだから、きっとヴァヴが起こしたら起きてくれると思っていた。

「ヴァヴ、どうする?」

「じきに目を醒ますわ……彼は強いから」

「そうか。よかった」

 リュカはほっとしたように、自分の身の丈よりも大きな黒狼をひょいと肩にかついだ。

「じゃあ、かえろう」

「ええ」

 黒狼を担いだまま、背中の羽を大きく広げる。

「はじめ、おきたら、きのうのはなし、つづきだ」

「昨日の話?」

「ほのみのはなし。ようかいの、むらのはなし」

「飽きないわね」

 くすっと銀狼は微笑んだ。創に何度もせがんで話をさせている。話しているうちに創の話は尾ひれがついて大げさになってくるので、ほのみは世界一のとびきりの美少女になっているし、灰澤村は世界一愉快で楽しい妖怪たちが暮らす村になっている。リュカはそれを全部鵜呑みにしていた。

「……はやく、はなしたい。ハジメと」

 リュカの声には、聞いたことがない不安そうな響きがあった。

 伝説の怪物ヴァンピールには、心なんて無いと思っていた。

 でも、違う。

 言葉を覚え出してからのリュカは、水を求める乾いた地面のように、一年で色んなことを吸収していった。彼は、何も知らないわけではなかった。自分が産まれてからの季節をずっと数えていた。次の冬が、十三回めの冬だと言った。

 思えばヴァンパイアたちが何も教えなくても、彼らの言葉を少しは耳にしていたはずだ。けれど彼は心を閉ざし、一切の言葉を覚えず、何も知ることもなく、無垢なままだった。

 母親から受け継いだ怒りと無念がそうさせたのだろうと、ヴァヴは思っていた。だけど創はそれを否定した。

(それは、きっと愛情だよ)

 少なくとも利用されていた間、心を持たずにいられたのだから。

 あの子の誕生日は、僕たちと初めて出会った日にしよう、と創は言った。

 リュカオンはあのとき生まれて、何もかもこれから始まる子だから。

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