ヴァンピールの少年【3】
創は彼に、リュカオンと名付けた。ギリシャ神話に登場する、悪い行いをして神の怒りを買い、狼に変えられてしまったという王の名だという。
「なにそれ。もっと良い名前があるでしょう」
咎めたヴァヴに、あっけらかんと創が言う。
「響きが良いし、聖人の名前とかは、荷が重たいじゃない? 良いほうのリュカオンがこの子になればいいと思って」
「よろしく、リュカ」
初めて名前で呼ばれて、不思議そうな顔をしている少年に、創は身を屈めてその目を真っ直ぐ見つめた。
「リュカオン。君の名前だ」
と、その手を取って、手のひらに綴って見せた。
「リュカ。君は僕たちと一緒においで」
「待って、創。この子を連れて行くということは、あなたの村に……」
ヴァヴは慌てた。
「ヴァンピールは異質な存在よ。彼はストリゴイと戦うこともやめられない。この森で、三人で暮らすという選択肢もあるわ。この森なら私たちの他にはいないし、ストリゴイが来ても大丈夫よ。でもあなたの村には、あなたの大切な妖怪がたくさんいるじゃない」
「日本にだってストリゴイはいる。もし村にストリゴイが来たら僕が戦わなければならない。両親も祖父母も戦ってきた。その役目を弟や妹にばかり負わせられないよ。ましてやほのみは臆病だし」
「だったらなおさらじゃないの」
とヴァヴは言ったが、創は一度決めたら曲げないのを分かっている。
「リュカと行くのは危険よ」
何も分かっていない様子のリュカを、ヴァヴは見下ろした。
恐ろしいストリゴイよりも、恐ろしいかもしれない少年。
「どこにいても危険なことはある。それなら、大切なものは傍で守れるほうがいい。僕はそう思ってる」
創はいつも微笑んでいる。でもその目が真剣なとき、彼の決意は固く、揺るがないことを知っている。
「……あなたがそう言うなら、従うわ。私はあなたのつがい。狼のつがいは絶対ですもの。あなたの大切な家族は、私の家族。私も守るわ」
「ありがとう、ヴァルヴァラ」
創は間にいたリュカごと妻を抱き締めた。抱き合う二人の間で、リュカは何も理解出来ていないように立っていたが、いつまでも抱き合っているので、やがて苦しくなって自分で抜け出していった。
「ヴァヴ!」
小屋に飛び込んできた少年は、泥だらけだった。春になり、雪解けで森のあちこちがぬかるんでいるからだ。
「どうしたの、リュカ」
「てがみ、だ。ニホンの!」
リュカは手にしっかりとエアメールを持っていた。
「まぁ、手紙は私が取りに行くって、行ってるでしょう!? あなたと創は目立つんだから……」
創宛の手紙は、森から一番近くの村に預かってもらっている。近いといっても、人間の足なら歩いて半日近くかかる距離だ。リュカは普段は隠している翼で飛行することが出来る。そうした彼の姿に、人は気付かない。空気も同然にそこに存在している彼に、人間は完全に近づくまで気づけないでいるのだ。まるでストリゴイのようだ。
ストリゴイはヴァンパイアのなれの果てだ。ヴァンパイアより強いリュカは、そっちに似た性質を持っているのかもしれない。そんなこと、口には決してしないが。
「リュカはともかく、あなた……」
リュカ同様に泥だらけの黒狼に、ヴァヴは目を向けた。
創は狼の姿のまま、人間の目には犬に見えるよう姿くらましが出来る。だからといって、白い髪の少年と黒い大きな犬は目立つに決まっている。
「だって、リュカが待ちきれないっていうから」
「あなたはリュカを甘やかしすぎだわ」
「ほのみから、だ」
手紙を開けようとして封筒を破ってしまったリュカに、ヴァヴは言った。
「リュカ、あなたは手紙なんて読めないでしょう」
ようやく最近、ひらがなが半分読めるようになったばかりだ。リュカは便箋を掲げ、そこにびっしり書き込まれた硬い字を眺め、顔をしかめた。
「ほのみ……なんて、かいてる?」
「次武の字だな」
黒狼が鼻をひきつかせながら言った。
「ほのみから、てがみ、ほしいな」
リュカがしゅんと肩を落とす。創の立派な洗脳教育で、会ったことも無い少女に熱を上げている。
「そのうち本人に会えるよ」
「ほんとか?」
リュカはぱっと顔を上げ、すぐに表情を暗くした。
「……だめだ。まだ、ストリゴイ、いる」
リュカは、自分が倒すべき敵を認識している。それはストリゴイと化した自分の一族だ。ほとんどは倒したが、まだ残っているという。
「ほのみ、あいたい、けど、できない」
ヴァンパイアの一族に生まれたというのに、何の欲望もない彼が、唯一果たしたいことがそれなのだということが、あまりに悲しい。ヴァヴはもう以前のようにリュカを拒む気持ちはなくなっていた。




