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ヴァンピールの少年【2】

 森に迷い込んできた少年は、口がきけなかった。というより、声を発することは出来るが、言葉を知らなかった。

「ほら、お風呂だよ」

 人間の姿に戻った創が、嬉しそうに少年に告げた。少年は全裸で、不思議そうに湯気のたつ大きな桶を眺めていた。

 ガスも電気もない森で湯をはるのは大変だ。強靭なヴァンパイアなのだから水で充分じゃないかしら、とヴァヴは思ったが、「お湯が気持ちいいから」と創は言って、せっせと川から水を汲んできて、少しずつ鍋に入れて火にかけた。

「足先からゆっくり入ってごらん」

 優しく言って、少年の足に触れる。少年は言葉が分かっているのかいないのか、片足をゆっくり上げた。その体を創が支える。

「風呂に入ったころがないなら、少し熱いかもしれないね」

 湯の先に足の指をつけた少年は、一度びくっと足を引いた。だが、もう一度、ゆっくりと足を浸していく。

 裸足で歩いてきたのに、傷一つない。いや、怪我をしないのではなく、自己再生能力が高いのだと、ヴァヴには分かった。

 聞いたことがある。ヴァンパイアと人間の間に、まれに子が産まれる。その子供はヴァンピールと呼ばれ、ヴァンパイアを滅ぼすほどの強い力を持つ。

 明るい場所で、少年の紫の瞳は青く見えた。不思議な色合いの青い瞳はヴァンピールの証だ。

 踵が埋まるくらいのお湯に両足を浸した少年は、目をしばたたかせながら、足踏みをしたり、片方の足先をゆらゆらと動かして、ぱちゃぱちゃと水音を立てさせた。初めて水遊びをする子供のようだ。

「楽しいかい?」

 なんて、創はにこにこと微笑んでその様子を眺めている。ヴァヴは狼の姿のまま、いつ少年が化け物に変貌してもいいように目を光らせていた。

「もっと広いお風呂に入れてあげたいけどね。でもそれなりに頑張ったからゆっくり浸かってね。そのまま腰を落としてごらん。体を洗ってあげるから」

 湯に入れる前にも創はせっせと少年の体を拭いてやり、泥や汚れをあらかた落とし、伸びきった長い髪も短く切ってやっていたが、そのどれもヴァヴは手伝わなかった。ヴァンパイアがいつ牙を剥くかなんて分からない。いまは大人しくても、奴らは狡猾だ。

 喋れない子供のふりをしているだけかもしれないわ。そんなふうに思うヴァヴとは対照的に、

「まず、名前を考えてあげないとね」

 ペットにする動物でも拾ってきたかのように、創が言った。のん気そのものだ。

 少年がヴァンピールであれば、自分たちは勝てない。創などたやすくくびり殺せる距離にいる。結婚してすぐに未亡人になってしまうかもしれない。

 だが、少年は大人しく、創に言われるがまま、湯の中に腰を沈めた。

 創は手桶を持ち、傍らの鍋からちょうどよい温度にした湯を汲んで、ガリガリに痩せた少年の白い裸身にゆっくりとかけた。

 少年はやはり小さく肩を震わせたが、大人しくされるがままだった。その体を創が布でこすっていく。

「気持ちいいかい?」

 尋ねると、少年はきょとんとした顔をした。体つきからいって十四、五歳だろうが、赤ん坊のようだった。

「……創、あなた、いい父親になりそうね」

「そう?」

「生きてれば」

「物騒なこと言うなよ」

 あはは、と創が笑った。ヴァヴはふうと息をついた。

 ヴァンパイアの血の臭いをまき散らしていた少年の体に、創が温かい湯をかけていく。そんなもので臭いはすぐに取れないだろうが、この死臭こそが彼がヴァンパイアを殺していたという証拠に他ならない。

 ヴァンピールはヴァンパイアを滅ぼす。そんなのは大昔、祖父に聞かされた伝説だと思っていた。

「創、憶えてる? まだ私のおじい様が生きていたときに、聞いた話」

「うん。ところどころ怪しいけど」

「ヴァンピールが産まれる経緯。それは、人間とヴァンパイアが愛し合った結果などでは無いわ。本当にその子がヴァンピールなら、その母親はヴァンパイアに攫われ、嬲られた人間の娘なのよ」

 記憶を思い出すように、ヴァヴは口にした。

「ほとんどのヴァンピールは、そうして産まれる。モンスターが人間との間に子供を作る、日本にもそういう昔話が多いって、私も創のおじい様に聞いたことがあるわ。でも、そんなお伽話のような物語じゃない。その子の母親はとても惨い目に遭い、散々弄ばれた末に、その子を宿したはずよ」

 当の少年は湯を手ですくうと、物珍しそうに眺めていた。

「ア……」

 振り返って、創に何か言ったが、それは言葉ではなくただ音だった。獣の鳴き声と変わらない。

「生まれた子はヴァンパイアをたやすく滅ぼせる力を持つ。ヴァンピールを身に宿した母親はモンスターへと変異し、産み落とす瞬間まで子を守る。そして産まれたヴァンピールが最初に喰らうのは、母親の血肉なのよ」

 その身と共に、自分の命と力、魂を分け与えるように。そして彼らは母親の腹の中で成長し、産まれ落ちたときからヴァンパイアを葬る力を持っている。

 それを知るヴァンパイアたちは、産まれたヴァンピールを殺すのではなく飼い慣らそうとするのだ。

「でも、結局はその子に殺されたみたいね」

 少年はヴァンパイアやストリゴイの数を減らしてくれた。だがそれは結果的に、というだけだ。彼が他のモンスターや人間を守ろうとしたわけではない。

「本能よ。そういう本能で生きてるの、その子は。ヴァンパイアを……そして欲望を貪るままにストリゴイとなった奴らを、ずっと殺し続けるの。私たちが狼になるように、その子はそういうモンスターなのよ」

 少年は二人の話など聞いておらず、指で水面に波紋を作って遊んでいた。知能は赤ん坊並みだろう。

 喜びも、悲しみも、怒りも、幸福も、不幸も知らない。

 だが、宿敵を殺すという本能と、それを叶える能力だけは備わっている。

「これは、獣の仔を育てるよりも大変なことよ。分かってるの?」

「僕は妹を娘みたいに育てたんだよ。思春期の娘に比べたら、こんな素直そうな男の子一人くらいわけないさ」

 ヴァヴは呆れて物も言えなかった。

「君には申し訳ないけど、まだしばらくここにいなくちゃいけないな。せめて言葉くらい話せるようにしてあげないと」

 少年の白い髪を、そっと撫でる。少年は創をじっと見たが、別に嫌がるそぶりはなかった。ヴァンパイア以外のモンスターに敵愾心はまったくないようだ。

「それにしても、イケメンじゃないか? この子。すごく美形だと思わない?」

「創のほうが格好良いわよ」

「えっ、本当に? 嬉しいなぁ。ヴァヴも世界一綺麗だよ」

「あなたの世界一って軽いから……」

「こんな格好良い男の子、うちの世界一可愛いほのみのボーイフレンドにぴったりだと思わないか?」

「本人たちの意思もあるから……」

 名案のように言う夫を、ヴァヴは冷たく見やった。まだ会ったことのない彼の弟妹たちに同情してしまう。

「結婚早々、君にも苦労をかけてしまうね。もう少しこっちに滞在することになりそうだ」

「私は元々ここに住んでるんだから、構わないけど…、あなたには日本に家族がいるんだから。ちゃんと手紙書きなさいよ」

「しばらく帰って来ないなんて言ったら、またほのみに怒られちゃうかなぁ……」

 困ったように、創はぽりぽりと黒髪を掻いた。勝手に許嫁を作られているほうが怒るだろうとヴァヴは思った。

「よし! 弟たちにだけ言っておいて、ほのみには黙っておこう!」

「知らないわよ」

 ヴァヴはまた嘆息した。

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