ライカンスロープの森で
目立つ墓は作らなくて良いと、母に言われていた。その言いつけ通り、ヴァヴは母の亡骸を森の奥深く、穴を掘って埋めた。
「深く掘り過ぎたわ……」
穴の下に降りてきたヴァヴは、思わず独り言を零しながら背負ってきた母の遺体を穴の底に横たえた。
白くなりかかった銀色の毛をゆっくりと撫で、体の傍に摘んできた花を添える。大きな狼だと思っていたのに、母はいつの間にか老いて、ヴァヴのほうが大きくなっていた。
ヴァヴは膝をつき、手を組んで、しばらく祈った。気が済むと立ち上がり、狼の姿に変化した。人間の姿のときに身に着けていた衣服を咥え、さっそうと穴を駆け上がる。
穴のすぐそばに、青年が立っていた。
「創?」
銀の狼となったヴァヴは、目を丸くした。
黒髪黒目の東洋人の青年は、真っ黒いコートに長いマフラーを何重にもぐるぐる巻いて、寒そうに肩を竦めた。
「お母さま、亡くなったんだな」
「ええ、一昨日。穴を掘るのに一日もかかってしまったの」
ヴァヴは衣服を地面に置き、再び人の姿を取った。裸体を見ても青年は特に動揺せず、ヴァヴも気にすることなく彼の前で衣服を身に着けた。
「泥だらけだ」
「ずっと穴掘りしてたんだもの。……創、いつからここに?」
「昨日トランシルヴァニアに着いたよ」
「そうじゃなくて、いつから穴の傍に? あなた、気配があまりしないから驚くのよ」
「ごめん。声かけにくくて。なんだか急に、君とお母さんに会いたくなって」
「だったら、タイミングが悪かったわね」
「そうかな? きっとお母さんが呼んだんだと思うよ。おかげで、こんな寒くて暗い森で、君を一人ぼっちにせずにすんだ」
臆面もなく微笑む青年に、ヴァヴは苦笑いで返した。
創は穴の傍で跪いて、両手を合わせて日本風の祈りを捧げた。コートのポケットから小さな花を一輪取り出し、穴の中にそっと投げ入れた。
「一つだけ見つけたんだ」
「ありがとう。母さまも喜んでるわ」
暗い森には当然灯りもない。だが、獣である彼らは、森の闇を恐れない。
小さなランプの灯りの下、夕飯は獣の干し肉をあぶり、生のまま洗っただけの野草の上に乗せ、それごと食った。
「お母さまは、いつから?」
「一か月ほど前から、急に弱ってしまったの。今年の冬は越えられないだろうって、本人も覚悟してたわ。昔、奴らにやられた古傷が、今頃になって酷く痛むって言ってたわ」
「そうか……たまには酒でもどう?」
創が通りがかった村で買ったという果実酒の瓶を取り出して見せた。
「普段飲まないから酔うわよ」
果実酒を少しだけ開けて、ヴァヴは酔いに任せて喋った。母が死ぬまでの日々や、最期に看取ったときの様子を。創はいちいち丁寧に頷きながら、真面目に聞いていた。
「もう、ナスターセ一族も私一人になってしまったわ……」
小さな木のテーブルに頬杖を突きながら、酒をちまちまとグラスに移すのも面倒になって、瓶ごとヴァヴはそれをあおった。
「この森に狼が帰って来ることも、もう無いわ。そもそも、私たちライカンスロープを駆逐したのは、ヴァンパイアやストリゴイだけではないんだもの。人間だってそうよ」
ヴァヴは酒瓶に口をつけ、ぐいぐいと中の果実酒を一気飲みしてしまう。
「だから、私ももう、未練はないわよ。母さまだっていつだって森を離れてもいいと言ってくれてたし」
え、と創が目をしばたたかせてから、ぱっとその表情を明るくする。創のほうが二つ年上だが、ヴァヴからすれば東洋人は幼く見えるので彼もどことなく可愛らしく見えた。
「それって、僕のプロポーズを受けてくれるってこと?」
「ええ。受けてたつわよ」
「そんな決闘みたいに……しかも酔ってる勢いで……でも嬉しいな」
「一生ついてきなさい、創。幸せにするわ」
「逆だなぁ。でも嬉しいよ、ヴァヴ。君はしっかり者で頭も良いし、日本語もペラペラだし、きっと村に馴染むよ。妹や弟たちも喜ぶ。日本は賑やかだ。君もきっと気に入る」
創はテーブルの上でヴァヴの手を取った。人間たちが贈る指輪の代わりにか、ヴァヴの左手を取って、薬指の付け根をそっと撫でた。
「つがいになろう、ヴァヴ」
「ええ、創。私、あなたが大好きよ」
「僕も。子供の頃から」
そう言った創の姿は、大きな黒い狼に変わっていた。ヴァヴも銀狼になって、優しい目をした黒狼の体に身をすり寄せた。




