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決別【2】

「リュカ!」

 ヴァヴの静止を無視して、リュカは飛び去ってしまった。

 直後、それまで大人しかった黒狼が、いきなり駆け出し、垣根を飛び越える。

「あなた!?」

 ヴァヴは驚いた声を上げたが、追いはしなかった。去っていく黒狼を見つめ、ふうとため息をつく。

「……創がついて行ったなら、大丈夫ね……。最初にあの子を見つけたのも、創だもの」

「なにも、リュカ坊の言ってることを信じてないわけじゃねーんだがなぁ」

 村長が短い白髪頭を掻きつつ、言った。

「畑も生きてるしなぁ。ほったらかすわけにはいかねえし」

「ええ。分かっています。けれどあの子は、ずっと一人で生きていた。同族の群れの中にいても一人だった。だから分からないんです。どうして皆さんが村を捨てられないのか。それが簡単なことではないということも……。彼はとても強いけれど、子供なんです」

「だが、坊の言うことも、一理ある。もう長いこと平和だったから、急に襲撃されたら対応出来んかもしれん。俺たちも、平和ボケを治す良い機会かもな」

 神妙な顔で頷いた村長は、顔だけを巨大化させ、妖怪たちに告げた。

「よし、今晩メシ食い終わったやつから、集会所に集合だ! ステゴロー対策村民会議を開くことにする。開始時間はテキトーだから、遅れんなよー!」

「ストリゴイです」

 ヴァヴが訂正し、村長は大きな顔を赤らめた。

「まずは村長が、ちゃんと名前言えるようになることからだな」

 三太の言葉に、他の妖怪たちもうんうんと頷く。

 ほのみだけはリュカのことを想って涙が止まらなくなり、慌てて家に戻った。気付いた次武が追ってきてくれたので、その胸を借りて泣いた。


 夕食はあまり味がしなかった。リュカの好物ばかりの食事を、ほのみは半分以上残してしまった。三太が土産に買ってきたいちご大福も、冷蔵庫に入ったままだ。

 食事の後、次武と三太は村民会議に出かけて行ったので、ほのみは一人で後片付けをした。

 リュカのために残したハンバーグにラップをかけ、ダイニングテーブルの上に置いた。お腹が空いて、案外すぐに戻ってくるかもしれない。

 そんなことを思ったら、また泣けてきた。創がちっとも帰って来なかった間も、こうして時々、一人でべそべそと泣いていた。

 一緒には行けないと、リュカを突き放してしまった、あのときの彼の悲しげな顔が忘れられない。

 きっと、すごく傷ついた。

「ほのみ」

 台所にヴァヴが姿を現し、ほのみはエプロンの裾で目許をさっと拭った。

「お義姉さん……あ、いちご大福食べる?」

 無理やり笑顔を作って、冷蔵庫を開ける。

「リュカも大兄ちゃんも、遅いねー。先に食べちゃおうよ」

 明るく振舞っているつもりが、涙声になってしまった。いちご大福の箱に手を伸ばそうとして、ヴァヴに背を向けたまま、手のひらで顔を覆う。

「ほのみ……あの子のこと、心配してるのね」

 ヴァヴの優しい声に、ほのみは潤んだ目でこくんと頷いた。

「よかったら、少し、話をしない? たまには女同士で、ゆっくりと」


「さっきは、リュカを庇ってくれてありがとう」

 縁側に腰かけたほのみの横で、ヴァヴが言った。二人の間にはいちご大福を乗せた皿があり、柔らかな夜風に、ヴァヴの銀色の毛が気持ち良さげに揺れている。

 藍色の空に月がぽっかりと浮かび、たくさんの星が輝いていた。こんなに静かで平和な夜なのに、どこかに怪物が潜んでいるかもしれないなんて、信じられない。

「ほのみがいなければ、あの子は皆さんに誤解されていたと思うわ。あの子はあれで、自分では日本語が上手なつもりなのよ」

 ヴァヴは笑うように口を歪めた。言いにくかったが、口周りの銀毛にあんこが付いていた。

「お義姉さん……付いてるよ」

「あら。ありがとう、ほのみ」

 ほのみは布巾で彼女の口許を拭ってあげた。

「創はね、リュカを褒めて伸ばすなんて言ってたわ。言葉を教えるにもしても、とにかく誰かと話すことを楽しんでほしいって、あの子が生意気なこと言っても、ちっとも叱らなかった」

「大兄ちゃんらしいと思う。あたしにもそうだったから」

 容易に想像出来て、ほのみは笑った。

「だからかしらね、ちょっとあの子、調子に乗りやすいの」

「リュカ?」

「ええ。創にいつも褒められてたから。でも最初は、創の言うことにもあまり反応はなかったわ」

 あのリュカが? とほのみは驚いた。創と仲良しで、いつも一緒で、ほのみが嫉妬しそうになるくらいだ。アニメやガラクタにはしゃいだり、喜んでご飯を食べている姿ばかり見ているから、想像が出来なかった。

「でも、創が初めて声をかけたとき、すぐについて来たみたい。きっと、無いように見える心のどこかで、あの子はずっと人恋しかったのね」

「……最初は、あたしもリュカのこと、人形みたいな子だなって思ってた。けど、そんなことなかった。ほんとは、好奇心がいっぱいで、食べることと楽しいことが大好きで、人懐こくて……みんなだってリュカのこと、すぐに好きになったのに……」

 声はだんだんと小さくなり、最後には俯いた。膝に手を置き、縁側に投げ出した足をきゅっと閉じる。リュカと過ごすようになって、スカートではなくショートパンツをよく履くようになった。いきなり空に連れて行かれたら困るから。

 そうやってついこの前まで、一緒に空を飛んだりしていたのに。

 覚悟を決めたように、ほのみは顔を上げた。

「お義姉さん、あたし、弱虫なの。途中で、やっぱり止めてって言うかもしれない。……でも、前にお義姉さんが言ってたリュカの話……今度は、訊いてもいい?」

「ええ。いいわよ。崩していいかしら? 長い話だから」

 ヴァヴはわざわざそう断ってから、ほのみの横に寝そべった。

「思えば、もう一年以上の付き合いね。でも、ずっと長く一緒にいた気がするわ。あの子と、創と、たった一年だけでも、私たちは家族同然に過ごしたの……」


 銀狼は顔を上げ、そこから見える遠くの山々を眺め、懐かしむような目を向けた。それはどこか遠い場所を見つめているようだった。

 一年前の冬、雪と氷に閉ざされた、冷たく静かな故郷の森を。

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