決別【1】
「みんな、誤解しないで! リュカはまだそんなに言葉を話せないんだよ! みんなのこと嫌ってるわけじゃないの! ただ、言いたいことを上手く言葉に出来ないだけなの!」
リュカを庇うように、彼と村人たちの間に、割って入る。
「リュカ、言ってたもん、村が好きだって! だから、心配してるの! 今日だって一生懸命ストリゴイを探してたんだよ! 毎日、こんなに遅くまで!」
「ほのみ……」
ヴァヴが目を丸くし、呟く。
ほのみはリュカのタンクトップから伸びた白い腕を掴んだ。
「ねえ、リュカも、もう怒らないで。どうしてそんなにイライラしてるの? そうだ、お腹空いたんでしょう? 今日はね、リュカの大好きなハンバーグだよ。目玉焼きも乗っけてあげる。今日は二つ乗せようか? 三つでもいいよ」
ほのみは彼を安心させるように笑顔を作り、強くその手を引いた。リュカは難しい顔で、その場から動こうとしない。
「アニメ、ちゃんと録画しておいたよ。カード集めてるやつ。一緒に観ようよ。ね、だから、おうちに入ろう?」
懸命に語りかけていると、次武もやって来た。
「ほのみの言う通りだ。感情に任せて話しても、お前の言うことは誰にも伝わらない。改めてみんなに集まってもらって、そこでお前の言いたいことを話したらどうだ。ちゃんとみんな来てくれるし、話を聞いてくれる」
「だめだ! どうして、あつまる! くわれるぞ!」
集まる、という言葉に反応して、リュカが叫んだ。
「リュカ、言いたいことは分かるけどな、こういうときはまずは話し合うもんだ」
三太もやんわり声をかけるが、リュカはかぶりを振った。
「なんでだ! よわいのに、なんで、にげない! ストリゴイ、どこかにいる、でも、わからない! あつまるからだ! いろんなやつが、いっぱいいるから、けはい、わからない!」
「リュカ! お願い、やめて! 落ち着いて!」
ほのみはリュカの腕をぎゅっと抱き、訴えかけた。
「なるほどなるほど、言い分は分かった」
村長がやって来て、ひときわ大きな声で言った。
「リュカ坊の言いたいことはよ、外道から身を守るために、村を捨てて、バラバラになって逃げろっつーことだな。でも、それは出来ねえよ」
「なんでだ!」
「リュカ、あなたはお黙りなさい。私が説明するわ」
銀狼が妖怪たちを見回し、頭を垂れる。
「この子の無礼は、私からお詫びいたします。どうかお許しください。先日、リュカは山でストリゴイの気配を僅かに感じたのです。あなた方が外道と呼ぶ怪物です」
「どこかに、きてるのに! わからない! おまえらの、せいだ!」
「リュカ、やめてよ!」
怒って叫ぶリュカの腕をほのみは引っ張った。その隙に、ヴァヴが口を開く。
「この子は、外道……ストリゴイと呼ばせていただきますが、その存在を感知する能力が、私たちよりずっと鋭い。その力で、多くのストリゴイを仕留めてきました。けれど、日本に来てから、思うようにその力が使えないようなのです。それゆえに苛立っています」
「そりゃー、村に俺たち妖怪が、いっぱい居るからか?」
誰かの不安そうな言葉に、ヴァヴが頷く。
「ええ。私たちがいた大陸では、モンスターは大規模の群れを作ることはなく、また一つところに定住しないことがほとんどです。それはストリゴイや敵対モンスターを警戒し、また人間とも極力関わらないため。でもここは違う。多様なモンスターが一つの社会を作り、人間とも積極的に関わり暮らしている。それはとても、素敵なことだと思います」
ヴァヴは傍らの創を見やり、穏やかな目をした。が、すぐに厳しい目つきに戻る。
「ですが、多くの妖怪の気配が入り混じる初めての経験に、リュカは混乱しています。ストリゴイは狡猾です。普段は空気に溶け込むように存在を消し、獲物を見つけたときにその牙を剥くでしょう。以前にもこの村は襲撃に遭っていると創から聞いております。皆さんも、その脅威を充分ご存知でしょう」
「もちろん、忘れたわけじゃねえよ。あのときも、仲間が犠牲になった」
村長が頷く。辛い過去の話をしながらも、相変わらずのんびりとしたその口調に、リュカはますます苛立ったように噛みついた。
「だったら、なんで、にげない!」
村長は頭の後ろをぼりぼりと掻き、ぎょろりとした目でリュカを見下ろした。
「逃げてどうする? 外道……あー、お前さんに分かるように言うと、ステゴンだったな」
「ストリゴイです」
ヴァヴが静かに訂正する。村長はちょっぴり顔を赤らめた。
「……それだ。そのスト……ゴン? は、どこにだっているんだぞ。お前さんがいた国にもまだそいつらはいるだろーし、この日本にもいる。どこに逃げたって、一緒なんだよ」
「村長、まともなこと言ってるけどしまんねーなぁ……」
「顔もでかいし、カタカナ弱いしなぁ……」
「わからない!」
リュカが叫ぶ。燃えるような夕焼けに、白い髪はそのまま同じ色を映した。夕暮れの空はしだいに黒ずんでいく。夜になるにつれ、彼の瞳の色も青から紫に変わっていく。
「どうしてだ! わからない! みんな、しんでもいいのか!」
「リュカ、お止しなさい。村長さんの言うとおり。ここは私たちの国とは違うのよ。皆で助け合って、力を合わせて生きていくことを、あなたも創から教わったでしょう? 村を捨てて逃げるなんて、簡単なことじゃないの。それはあまりに現実的じゃないのよ」
「なら、くわれてもいいのか!」
ヴァヴの緑の瞳が、紫闇の瞳を見つめる。そして彼女は悲しそうに言った。
「そうね……ごめんなさいね。あなたにこんな説明をしても、分からないわね……。創なら、上手く話してくれたかもしれないけれど……」
「ハジメ……」
創の名に反応したリュカは、一瞬肩を震わせた。その震えが腕を掴むほのみにも伝わった。
リュカは目を伏せ、唇を噛んで、悔しげに言った。
「――ハジメは、つよかった……! でも、やられて、こころ、なくなったっ……! あんなふうになるのは、もう、いやだ……!」
俯いたリュカが泣きそうな顔をしていた。
彼の激しい怒りと、村人たちに食ってかかる姿を見たとき、ほのみは悲しかった。みんなが家族のように寄り添う小さな村で、争いと無縁だった少女は、その穏やかな日常が変わらず、ずっと続くものだと信じていたのだ。そこに現れた少年も、もうこの場所に馴染んでいる。これからは彼も、戦いのことなんて考えずに生きていける。そう思っていた。
でも、彼の苦しみなんて、少しも分かっていなかった。
彼の味方になってあげたい。庇ってあげたい。心はそう告げているのに、争いを知らずのん気に生きてきたほのみに、リュカと皆を納得させる言葉など思いつくはずもなかった。
こんなとき、大兄ちゃんが話せれば――今こそ心から思う。ヴァヴの言葉さえ届かないリュカも、創の話なら聞くかもしれない。けれど心を失った黒狼は、ただリュカの傍で静かに彼を見守っているだけだ。
オレンジ色だった空がいつの間にか群青色に侵食され、夜が近づいてきていた。闇の訪れを警戒するように、リュカは空を睨みつけていた。そして、村の妖怪たちを見やった。
「だれも、にげないのか? ツグム」
リュカに問われ、次武は迷うことなく頷いた。
「ああ、逃げないよ。今までお前だけにストリゴイの警戒をさせたことは、悪かった。これからは協力して警戒に当たろうと思っている。けど、逃げることは出来ない」
「……サンタは?」
「悪い。俺も、次兄と同じ意見だよ」
「そうか」
諦めたように、彼らから目を背けたリュカは、ほのみには一方的に告げた。
「なら、ほのみだけ、にがす。ここはあぶない。オレが、にがす」
「逃げるって……どこに?」
リュカは無言で、ほのみの肩を掴んだ。その強い力に、ほのみは驚いて肩をびくりと震わせた。そのままいつものように、強引に連れて行かれるような気がしたのだ。
「よわいやつは、くわれる。たたかっても、しぬだけだ」
骨が軋みそうなほど強く肩を掴まれ、ほのみは頭を振った。その顔をリュカが見つめる。
「おまえは、よわむしだから、たたかえない。オレが、まもってやる」
「あ、あたしは……でも……だめだよ……そんなの……」
「いこう、ほのみ」
ほのみはリュカの目から逃れるように、弱々しく顔を背けた。
彼の言う通りだ。弱虫で、喰われて死ぬと言われただけで、もう震えてしまっている。襲われるなんて嫌だ。怖い。家族や村のみんなが襲われたら、もっと辛い。でも。
「いくら怖くても、戦えなくても……村から逃げ出すなんて、ほのみは出来ないよ……」
掠れた声でそう告げ、リュカの胸を、ほのみは両手でそっと押し返した。
「ほのみ……」
彼は失望したような表情を浮かべ、ほのみに触れていた白い手が、ぱたんと力無く下がった。
「……そうか」
彼が離れたかと思うと、いきなりほのみの目の前が翳った。夜が来たのかと思って顔を上げると、彼の背に黒い翼が生えていた。その影の中でほのみは立ち尽くした。
「なら、ストリゴイ、みつけて、ころす。いますぐ、ころす。そしたら、あんぜん、だ」
「待って!」
「待ちなさい、リュカ! 何を焦っているの!」
飛び上がろうとしたリュカに、ヴァヴが吠える。リュカは躊躇わず、地面を歩くような自然さで、宙に浮かぶ。
「リュカ、お願い、待ってよ!」
もう夜になってしまう。山の夜は暗くて危ない。闇の中に紛れた彼の姿を二度と見つけられなくなりそうで、ほのみは必死で叫んだ。
「一人で行くなんて、ダメ! 言ったでしょ! リュカは、まだここらに慣れてないんだから、危ないんだから!」
「ほのみ、オレのいうこと、きかない」
リュカは宙にぴたりと止まったまま、平淡な声で告げた。
「オレも、ほのみのいうこと、きかない」
「バカ! へりくつ!」
リュカを捕まえようと足を踏み出したほのみが、サンダルのつま先を地面に引っかけ、そのまま転びかけた。リュカは咄嗟に手を伸ばしかけたが、先に次武が彼女を支えたので、すぐに手を引っ込めた。次武の腕に掴まったまま、ほのみが泣きそうな声を張り上げる。
「ねえ、お願い、行かないで! もう、夜になっちゃう! 帰って、一緒にご飯食べようよ!」
「ストリゴイ、ころす。オレの、やくめだ」
「リュカ! 創と約束したでしょ! 一人になっては駄目よ!」
ヴァヴがリュカの足許まで走り、吠えた。彼女の言葉さえも、リュカは突き放した。
「おもいだした」
異国から来たヴァンピールの少年が、集まった妖怪たちを冷たく見下ろす。
「ひとりのほうが、つよい」




