守りたいもの【2】
「……まったく、アンタたちったら。どこ行ったのかと思ったら、なんで、ほのちゃんやリューくんに泣きついてんのよ?」
玄関先で腕組みをする母親に見下ろされ、まりやはボロボロのぬいぐるみを守るように胸に抱えている。おずおずと後ろを振り返ると、リュカが力強く頷いた。
意を決したように、まりやは前を向き、きりっとした顔で、母親を見上げた。
「ママ。まりやね、ポンちゃん、やっぱりすてない……! そのかわり、ちゃんとピーマンたべるから……! おねがいだよぉ……!」
最後は泣きべそになったが、自分の意見を言ったまりやを、ほのみも弁護する。
「ピーマンだけじゃないの! しいたけもブロッコリーも食べるって!」
まりやとよく似た母親の眉が、片方だけつり上がった。
「ん? 一番嫌いなやつが入ってないじゃない?」
「う……。たまご……のこしません……」
「なんだと? たまご、のこすならくれ。オレがくう」
「黙ってよ、リュカ……」
「母ちゃん! オレからも頼む!」
達郎がまりやを庇うように両手をばっと広げ、母親に立ちはだかった。
「オレのカードはリューちゃんにあげるから、ポンちゃんは助けてやってくれ!」
「うちはもらうなんて言ってないけど!?」
ふうと、母親が息をつく。
「カードはともかく、ポンちゃんはねぇ……。あたしだって鬼ダヌキじゃないから、捨てろっていうのは、言い過ぎたかもね。でもねえ、まりやは今度から、幼稚園に行くのよ。いつまでもタヌキ気分じゃいけないとも思うのよ」
この村には幼稚園も小学校も無く、ふもとの町まで通わなければならない。ほのみも昔、山を下りるのが怖くて、毎日泣きながら幼稚園に通った。まだ高校生だった創がいつも宥めて連れて行ってくれた。
「これから人間と接するほうがずっと多くなるからね。幼稚園はそれが最初のスタートになるの。ポンちゃんはまりやが赤ちゃんのころ、お友達にっておじいちゃんが買ってくれたんだけどね。いつもポンちゃんと一緒にいるから、この子はすぐにタヌキに戻っちゃうんじゃないかって、パパと話してたのよね」
「そっかぁ……そういや、あたしもそうだったなぁ……」
幼いころはテレビに犬が出るだけで、狼の本能が出てしまったものだ。幼い妖怪は力も精神も不安定な部分が多い。そこを乗り越えて、人間たちの中でも生きていけるようになる。
「小学校なら次武先生がいるから、安心なんだけどねー。しっかりしてるから。子供たちをちゃんとフォローしてくれるもの。でも、茅実ちゃんは不安だわー」
茅実ちゃんはふもとの幼稚園で働いている。子供好きの明るい妖怪だが、うっかり屋で、寝坊して慌てて本性のまま通勤し、大騒動を起こした。「慌てて、ついすっぴんで行っちゃった」と言い訳した彼女は、化粧どころか顔の中身を全部つるりとさせて、同僚や子供たちを恐怖のどん底に叩き落とした。
「ああ、茅実ちゃんの、のっぺらぼう事件ね……」
「そうよ、あのすっぴん事件。たくさんの人間に見られて、大変だったでしょう。うちの子も同じ騒動を起こしそうで、ついね」
「でも、あたしも何度かうっかり狼になっちゃったけど、みんながフォローしてくれたから大丈夫だったし、そのうち狼にもならなくなったもん。まりやちゃんだってきっと慣れるよ」
「だといいけどねー」
「ほのみ、オオカミ、なるのか?」
「むっ、昔の話よ! 昔の!」
リュカはほのみの狼姿にやたらと興味を示す。ほのみは慌てて否定した。
「マ、ママっ……!」
まりやはぬいぐるみをしっかりと抱き締め、再び顔を上げた。
「まりや、もう、ポンちゃんがいないとようちえんいかないなんて、いわない! これからは、まりやがポンちゃんをまもる! ポンちゃんのために、つよくなるから!」
「なにそれ、かっこいい」
タヌキの母親は腕を組んだまま、感心したように娘を見た。
「やっぱり村にお兄ちゃんが増えると、子供って影響受けるのねー。でも、まりやがこういうデカいこと言うのって、初めてかも」
「まりや、つよくなった」
リュカは膝を曲げて屈み、まるで何かの師匠であるのように、まりやの背をぽんと撫でた。
「たよるだけは、よわい。けど、たよりあうのは、ひとりよりつよい。ハジメが、いってた」
「やだ……創くん……昔からいいこと言う子だったわ……」
母親がエプロンの裾で目許を拭う。
大兄ちゃんらしい言葉だ。ほのみは思った。リュカは本当に、大兄ちゃんから色んなことを習ったのだ。だからリュカはいまも、創を慕っている。
それに比べて、ガミガミ怒ってばかりのほのみは、すでに鬱陶しがられつつある。
「ママ! まりやはつよくなる! ポンちゃんをまもるために、ようちえんにいく! びっくりしてもタヌキにならないようにがんばるし、にんげんのおともだちもつくるよ!」
「そう……。分かった! 今回はリューくんの顔を立てて、ママもまりやを信じてみる!」
「ママぁ!」
まりやが母親の腕の中に飛び込み、タヌキの母子はひしっと抱き合った。
その光景にほっとしつつ、ほのみはリュカを見た。彼はどこかぼんやりとした目で、抱き合う母子の姿を見ていた。
並んで歩くリュカとほのみを、すれ違う村人たちが「いいねえ、デートかい!」と冷やかす。
リュカは人見知りをしない。声をかけられたらちゃんと挨拶を返す。表情は相変わらず乏しいが、ヘラヘラしないところが男らしいと言われ、女性には特に可愛がられている。
彼は正直者で、何に対しても真剣だ。子供と全力で遊び、畑仕事をすすんで手伝い、婆ちゃん妖怪の長話にも、おじさん妖怪のつまらない駄洒落にも付き合う。けっこうノリも良く、自分の歓迎会のときに酔ったおじさんたちに芸を披露しろとせがまれ、大根を三本まとめてへし折る即興芸も見せていた。食べ物が勿体無いので、以後禁止したが。
ほのみがあれこれ世話を焼かなくても、リュカはもうすっかり村に馴染んでいる。
「……ごめんね、リュカ」
あぜ道を歩きながら、ほのみはぽつりと呟いた。
「どうした、ほのみ。おもらししたか?」
「違うわよ……。あたし、バカみたいだなって思って。なんか、大兄ちゃんもお義姉さんもああなっちゃったでしょ。あたしがリュカの面倒みなきゃって、勝手に先走っちゃって……」
そう言って顔を伏せるほのみのつま先に小石がぶつかり、舗装されていない土の道にころころと転がった。
「学校で恥かいたり、バカにされないようにって思ったの。でも、リュカは別にそんなこと気にしないよね。それにもう、村の人気者だもん。学校でもすぐに人気者になるよ」
「なんだ? ほのみ、うるさくないと、ちょうし、くるうな」
「どーせ、うるさいもん」
頬を膨らませ、拗ねるほのみの顔を、横からリュカが覗き込む。不意打ちで紫の瞳に見つめられると、いまだにドキッとしてしまうのが、少し悔しい。
「ぱーっと、するか?」
「え?」
「よっ、こらせっと」
リュカは村長が腰を上げるときのかけ声を真似ながら、ほのみを抱え上げた。黒い翼を出すと、Tシャツの背中が破れ、ほのみは内心あーあ、と思ったが、今日は何も言わずリュカの首にしっかりと腕を回した。空に飛び上がると、下から村長の声がした。
「おおい、仲良しなのはいいけどよぉ、目立つのは、ほどほどになぁ!」
「はぁい! ごめんなさい! ちょっとだけ!」
返事をしながら、ほのみは笑みを零した。




