不吉の神 【2】
「ど……どうして疫病神様が、うちの村に……?」
「アホか! 言ったろーが! 俺がずっと先に居たんだ! 村が後に出来たんだよ!」
疫病神がまたも大量の唾を飛ばしながら怒鳴り、ほのみは身を竦めた。
「す、すみません……」
「こいつ、ストリゴイ、ちがうのか?」
リュカが訝しがりながらも、鋤を下ろす。男は鼻をほじりつつ、白けた目を向けた。
「神様だっつーの。ま、そりゃ俺は疫病神だよ? お前らに何もしてやれんし、居るだけではた迷惑な神様だと思ってんだろ。まあそうなんだけど。けどな、近づかねーことこそが、俺の優しさなんだぞ?」
「あ……はい。ありがとうございます……」
「そうだ、そういう謙虚な気持ちを忘れんな。お前は狼娘か。ちと貧相だが……」
いやらしい目つきで足をジロジロと見つめられ、ほのみは思わずスカートを押さえた。
ズバリとほのみの正体を言い当てたことには驚いた。そういえばほこらの後ろに居たのに、しばらくリュカもその気配に気付いていなかった。神様には違いない。
「そっちの白いのは外国産か? いいですねーさぞおモテになりそうですねー。若い二人で人目を盗んでこんなとこでデートですかぁーやらしーですねー……ってざけんなよ、不良どもが! 親に言うぞ!」
「う……そんなんじゃないんだけど……」
神様から中指を立てられ、ほのみは笑った顔を引きつらせた。
「でも、疫病神の俺に会っちゃったから、お前ら別れるもんねー。ざまーみろ!」
小躍りする疫病神に、ほのみはますます顔を引きつらせた。
「かみさま、このやま、すんでるのか」
「おうよ。山神はブスだし龍神は根性悪いが、俺っちのほうがずーっとずーっと昔っからここに居たんだからよ」
「あの、ハイザワ様は……?」
「ありゃもう力が弱いからな。いるだけで精一杯ってかんじじゃねーの? もう村を守ってやる力がねーのよ」
「そんな……」
「あ、最近は、変なのもいたな。なんかキモいの」
「ストリゴイか!」
リュカが鋭い声を上げる。疫病神は黒ずんだ指を鼻に突っ込みながら答えた。
「ありゃめんどーだよなー。あれも外国産だからよ、日本の神なんかちーっとも恐れん。最初のうちはそれほどえれーモンでもねーが、あらゆる魂を喰い散らかしてでかくなる。獣を襲う。人間を襲う。妖怪を襲う。弱えー神なんかもたまに喰われちまう。俺も気をつけよっと」
ぶるるっ、と大げさに身を震わせる疫病神の言葉に、リュカは険しい顔で、告げた。
「オレの、いちぞく。ストリゴイ、なった」
「え……?」
ほのみは驚いてリュカを見た。その強張った表情や声から、強い怒りが感じられた。
「だから、ぜんぶ、オレが、ころした」
恐ろしい言葉を口にしたリュカを、ほのみは恐ろしいと思わなかった。ストリゴイ化したヴァンパイアを放っておけば、多くの犠牲者が出たはずだ。父母や創のように。
「えーなにー? オレ強い自慢ー? 中二病?」
あろうことか鼻くそを飛ばして茶化す疫病神に、リュカは真剣に言った。
「ストリゴイは、ころす。オレの、やくめだ」
「んー? よう分からん。ようはテメー、こうか? 『恐ろしくも悲しき血に飢えた魔物の一族に生まれた少年、それがオレだ。最強のオレは重い業を背負い、敵と戦い続けている。この血に流れる非業の宿命を背負って……』ってことか? すごいね。マンガにすれば? 売れるんじゃね。あとここは日本なんだから、ちゃんと日本語喋れよなー。なんか緊迫感がねーよ」
「無茶言わないでよ! リュカ、がんばって喋ってるじゃない!」
あんまりな態度に、相手は神様だというのにほのみは怒鳴ってしまった。一族を殺さなければならなかった彼の心中を思うと胸が痛んだ。なのに疫病神は小憎たらしく鼻で笑った。
「お前おかん系カノジョか? 流行らねージャンルだぞ、それ。ま、せいぜい運命の少年と世界の危機でも惑星の崩壊でも防いでくれや。あと、もうちょっとお供え増やしとけ」
「ひっ……ひどい……か、神様とはいえ……!」
ぷるぷると震えるほのみの横で、リュカは素直に頷いた。
「わかった。オレ、ストリゴイさがす。むら、まもる」
「超かっけー。頑張れよ。非業の宿命に抗いつつも。……あっ、ストリゴイ!」
リュカとほのみの背後をぱっと指差し、二人は慌てて後ろを向いた。
「うっそぴょーん。ま、神様らしくアドバイスするなら、宿業を背負いし少年よ、せいぜい負けて喰われないよう気をつけな! そうなりゃそれこそ、外道にゃ大のご馳走だぜ!」
不吉な言葉を残し、疫病神はほこらの裏の茂みに飛び込んだ。凄まじい臭いとガサゴソと草を掻き分ける音を残して。山神様の祭壇からは、真新しいお供えがごっそり失くなっていた。
「ああ……ひ、ひどい……そ、そりゃ神様には違いないけど……ひどい……!」
ほのみはがっくりと祠の前に膝をついた。あたりには食い散らかされたお供えものが散乱したままだ。
「……ごちそう……?」
リュカは鋤を握り締めたまま、ほのみにも聞こえないような小さな声で呟いた
「まけて……くわれる……オレが……?」
目線を上げると、背の高い樹木の枝が広がって絡み合い、空を隠している。
その隙間から僅かに見える虚空を、リュカは厳しい顔でじっと睨んだ。
リュカがほのみを抱え、再び黒生家の庭先に下り立つころには、陽も落ちかかっていた。
すでに村人たちは帰っていたが、家族はまだ裏庭にいた。
上から兄たちの姿を見たとき、すでに怒られることをほのみは覚悟していた。
「お前ら、いくらなんでも長い時間遊び過ぎだぞ」
次武が胸の前で腕を組み、厳しく告げる。三太も軽い口調で非難した。
「そうだぜー。人が一日働いてたってのに。お前らは春休みでも明日から仕事だぞ、俺らは」
「あ、遊んでないもん! 見回りに行ってたの! ね、リュカ!」
「うん……。みまわり、した」
厄病神に会ってから、リュカは少し大人しい。
「せめて昼飯くらいは食いに戻って来い。みんな待ってたんだぞ」
「はぁい……」
子供みたいに遊びまわっていたと完全に思われている。ご飯も食べずに、ずっとストリゴイを探してたのに……。だが次武が怖くて、それ以上言い訳しなかった。
あれからどんなに帰ろうと言っても、リュカはちっとも聞いてくれなかった。ストリゴイの姿を見つけて仕留めるまでは気が済まないようで、説得には骨が折れた。
「そういえば、あたしたち、何も食べてないね……」
ほのみは疲れた顔でリュカを見た。リュカも腹に手を当て、こくんと頷いた。
「うん。はら、へったな……めだま、くいたい」
その様子は普通そうに見えて、やっぱりどこか元気が無いように感じられた。お腹が空き過ぎたのかもしれない。彼は近寄ってきた黒狼の背を黙って撫で始めた。
「ハジメ……しゃべれるように、なったか?」
そう声をかけても、黒狼は黙って身をすり寄せただけだった。リュカははあと息をついた。
「山に、何か狩れそうな動物はいなかったの?」
銀狼がやって来て、穏やかな声で尋ねた。
「いても食べないよ! ……わあ! 納屋、すっごく綺麗になってるね!」
ちょっと天然な義姉にずっこけかけたほのみは、改装された納屋を見て、感嘆の声を上げた。
裏庭の隅で朽ちかけたまま放置されていた納屋は、見違えるように補修されていた。
「すごーい! 見違えたね!」
「これからも少しずつ直してくけど、とりあえずはマシだろ。寝るぶんには」
三太がくたびれた顔で、自分の肩を叩く。
「ええ、ほんとに素敵。皆さんのおかげよ。森で暮らしていた小屋を思い出すわ」
ヴァヴが嬉しそうに尻尾を振る。
「ねえ、ほのみ。中にちょっと入ってみて?」
「あ、うん」
ヴァヴに誘われ、ほのみは納屋の扉を開いた。前は引き戸だったが、押しただけで開くように改良されていた。ヴァヴは前肢を壁について立ち上がり、電気のスイッチを入れた。ちなみにそうして立ち上がったヴァヴは、ほのみの背よりも大きい。
「わあー。すっごく変わったね。ちゃんとおうちみたい!」
「そうでしょう?」
今朝まではただの物置だった。それが今は、そこにあった古い家具や家電はすっかり片付けられ、八畳ほどもある小屋の床半分には畳が敷かれていた。石床の部分は土間にあたるのだろう。掃除も行き届いている。
「すごい。畳から上がお部屋だね」
といっても、創とヴァヴが靴を脱いでそこに上がるわけではないので、単に家らしい雰囲気を出しただけだ。元々あった小さな窓は、埃かぶっていたガラスが綺麗に磨かれ、小さなカーテンがかかっている。近所の奥さんの誰かが作ってくれたのだろう。
「夏前には、窓をもうちょっと広げよーかと思ってよ。もっと光が入るように」
三太が背後から覗き込み、言った。
「冬は寒くない?」
「それは冬になってから考える。これから暑くなるんだから、いいんだよ」
「こうして見ると広いけど、大兄ちゃんとお義姉さんが二人であの畳の上で過ごすって考えたら、狭い気もする。畳、要るの?」
「床だけじゃ味気無いだろう。多少の防寒対策にもなる。まだ少し寒いからな」
次武が答えた。たしかに、気分も大事だ。床に寝そべるよりは家に居る感じがする。
「問題無いわ。日本の春は暖かいもの」
ヴァヴは畳に上がる前に、すのこの上に乗って、肉球についた土を器用に払った。
「畳、とても気持ちいいわ。これから毎晩、創とここで眠れるのね。素敵。灰澤村の皆さんは、本当に親切な方ばかりよ。見て、ほのみ。このクッション、素敵でしょ?」
「う、うん……そうだね」
これも村民の差し入れだろう、着物地をリサイクルして作ったらしき格子柄の大きなクッションにヴァヴは前肢を乗せてくつろいだ。のそのそと創が近づいていき、一緒に寝そべる。
義姉は上機嫌で毛づくろいを始め、創もそれを手伝う。相変わらず仲睦まじい。
まあ、二人がこれでいいのなら、いいのだろうけど。




