リュカとほのみ 【1】
「うーん、こんなもんかな……」
兄たちの古い服を引っ張り出したほのみは、それらを畳の上に広げた。部屋の隅では、リュカが退屈そうに座っている。
「ねえ、リュカどんなの着たい?」
「そとにでたい……」
その呟きは無視して、押し入れをひっくり返し見つけた服の中から、リュカに似合いそうなものを探す。
「オレも、ハジメといっしょがよかった……」
「好きねぇ、大兄ちゃんのこと。でもだーめ。リュカはやることあるでしょ」
リュカが嫌そうにほのみを見る。が、逃げ出す様子はない。一応ほのみの言うことは聞いてくれるようだ。
二人の兄と二頭の狼は、裏庭にある納屋を大改装中だ。
手伝うと言ったヴァヴに、あの姿で一体何が出来るんだろうとほのみは思ったが、古いベッドやタンスなど重たい家具に太い紐を括りつけ、創と二頭で引っ張り運び出す様はトラック顔負けだった。異国生まれの義姉は、優しく美しいだけでなく、とてつもなくパワフルだ。
「リュカ、ちょっといい?」
ほのみはリュカの背中に、何枚かTシャツを当ててみた。
「やっぱり、お兄ちゃんたちの今の服はダメだね。肩も余るし、ぶかぶかになっちゃう。これじゃ不恰好だもん。昔の服も思ってたより残ってないんだよね。これは、三兄ちゃんが昔履いてたジーンズかなぁ、リュカには腰が緩いかも」
一人でまくし立ててから、ふむ、とほのみは顎に指を当て、考えた。
「ほのみ……うごいて、いいか?」
「まーだ。こっちはどうかな? あたしのTシャツだけど。あ、着れそうだね」
「これ、たのしくない……」
リュカは、じっとしているのが嫌なようだ。逃げようとしたので、ほのみはがっしとその肩を掴んだ。
「でも、肩けっこうがっしりしてるのね。やっぱりあたしのじゃダメかな?」
「ほのみ、オレ、そと、いきたい」
「ダメよ。その黄身だらけの服じゃ、絶対に外になんて出さないから」
「つらい……」
リュカがしょんぼりと肩を落とす。
「着てきたスーツのズボンを履いてるわけにもいかないし、買いに行くまでは三兄ちゃんのお下がりで我慢しなきゃね。ほら、これならウエストがゴムだし、ハーフパンツだから履きやすいよ。こんなだぶだぶのジャージ、裾が落ちてきて気持ち悪いでしょ? あ、こっちは丈が良さそうかな? ウエスト合わないけど、ベルトで締めちゃえばいっか」
「ほのみ……まだ、ダメか?」
「ちょっとくらい辛抱しなさい。いい? あなたのためなのよ。今は良くても、そのうち黄身の付いた服を着てたことを、後で絶対後悔するんだからね」
母親のような言いぶりをし、どんどん着替えさせる。リュカは嫌がりながら従っていた。
散々悩んだ挙句、三太が少年時代に着ていたTシャツに、まだ肌寒いので長袖の上に半袖を重ねて着せた。下は唯一サイズの合ったハーフパンツ。押入れの中の戦力ではこれが限界だった。何の変哲も無い格好だが、美少年は何を着ても美少年だ。
「すてきだよ、リュカ。うん、ちゃんとかっこいい!」
しかしリュカは気に入らないのか、Tシャツに覆われた肩や腕をやたらと動かし、眉をしかめた。
「これ、せなか……よくない」
「よくない? 窮屈ってことかな?」
「まえのがいい」
背中に手を伸ばし、むずがって掻くような仕草をするリュカに、ほのみは彼が着ていたタンクトップを手に、言った。
「これ? これはいくらなんでもボロボロ過ぎるよ。肩のところも首のところも伸びちゃってるし、背中に穴だって開いてるじゃない。とてもじゃないけど、こんなの着せられないもの」
「でも、こわれる」
「壊れる? うーんと……破れるってこと?」
うんうんとリュカが頷き、自分の背中を指差した。
「そうだ。オレ、たたかう。はね、いる」
「羽? あ、そっか。吸血鬼ってコウモリに変身出来るんだ。ジョージさんが言ってた」
「こうもり?」
「でも、コウモリってあんまり強くなさそう……。あ、リュカが弱いって言ってるんじゃないからね。でも、戦うとか考えなくてもいいの。うちの村は平和なんだから」
「へいわ?」
「そうだよ。安全ってこと。今はね」
ほのみが軽くそう言うと、リュカは急に険しい表情になり、両手で彼女の肩を掴んだ。
「きゃっ……! ちょっと……い、痛いよ……!」
いきなり乱暴に掴まれ、ほのみは抗議の声を上げた。
しかしリュカはますます力を込め、ほのみの肩に指を食い込ませた。
「ほのみ、ばか」
「ば、バカとはなによ!?」
「あんぜん、ない。ストリゴイ、どこでも、くる」
リュカの細い指は、信じられないほどの強さだ。痛くてほのみは身を捩り、リュカの胸を押し返したが、少年はびくともしなかった。
「ストリゴイ、あぶない。だから、ころす。ぜんぶ」
「な、なに物騒なこと……ちょっと、ほんとに痛いんだけど!」
「わかってない、ほのみは、ばか」
「ば……バカバカ言い過ぎじゃない!? バカはリュカでしょ! 痛いよ!」
リュカを安心させようと思って言ったのに、乱暴にされたあげく、頭ごなしにバカ扱いされて、ほのみは怒鳴り返した。
「もう離して! 乱暴なことしないでよ!」
彼が過酷な環境の中、ストリゴイと戦い続けていたのは知っている。そのことを忘れ、この村は安全だと軽々しく言いきったのは、たしかに悪かったかもしれない。
内心そうも思ったが、ほのみもすでに頭に血が昇っていて、その勢いが止められなかった。
「あたしは、リュカが戦うなんて可哀相だから、言ったのに!」
そう怒鳴ると、リュカは余計にきつくほのみを睨み返した。
「かわいそう?」
「……あ」
思わずほのみはぱっと口許に手を当てた。
しまった。今のはさすがに言い過ぎた。
「オレは、かわいそく、ない。かわいそうは、くわれるやつだ」
そう言い、いきなり手を離した。
「……リュカ?」
まさか、本気で怒ったのだろうか。ほのみは急に不安になり、少年の顔を見た。綺麗な顔立ちをしているぶん、黙って見つめられるだけで凄みがある。
「むら、モンスター、おおい。ストリゴイ、くる」
「……妖怪が多いところに、来るってこと? でも、うちの村はもうずっと安全で……」
そこまで言って、ほのみは口をつぐんだ。『安全』という言葉に、またもリュカが厳しい目を向けたからだ。どうも彼はこの話になると頑なだ。仕方無く、ほのみは自分から折れた。
「あの……リュカ? ごめんね。リュカはずっと、その……ストリゴイ……だっけ? それと戦ってきたから、心配するの、当たり前だね。あたし、リュカの気持ち、考えてなくて」
ほのみは頭を下げ、リュカの顔を恐る恐るうかがった。彼は無表情だった。
「……ええと、許してくれる?」
「オレは、ほのみ、まもる。みんなを、まもる」
それだけ言うと、くるりと背を向け、彼は歩き出した。
「えっ! ちょっと、どこ行くの!」
「ストリゴイ、さがす。オレの、やくめ」
振り返らず、小さく頭を振り、背を丸めた。片膝をつき、急に項垂れた少年に、ほのみは戸惑いながら声をかけた。
「ど、どうしたの? ……お腹、痛いの?」
ほのみの言葉には答えず、リュカは短くはっと息をついた。次に長く吸い込み、強く吐き出す。そして――Tシャツに包まれた背中が、ぶわりと大きく膨んだ。
「わっ……な、なにっ!」
二本の鉤爪のようなものが布を突き破る。ほのみは唖然として見つめた。少年の背中が突然裂けたのかと思った。メリメリと骨を軋ませる嫌な音を立てながら、黒い鉤爪が伸びていく。
見る見るうちに、彼の背に大きな黒い羽が生まれた。
「は、羽って……これ……?」
羽はリュカの体の倍以上はあった。蝙蝠の皮膜に似た、細い骨に薄っぺらい皮が張ってあるような羽は、強い風にあおられたら破れてしまいそうにも見える。でも蝙蝠のように腕と一体化しているのではなく、背中から生えている。というか、羽の付いた腕がもう一つ生えたみたいだ。人間がイメージする悪魔みたいだとほのみは思った。
着替えたばかりのTシャツは背中が裂けてしまっていた。破れた布が翼のところどころに引っかかっている。
少年が立ち上がり、ほのみを振り返る。静かな、射るような目つき。
息を呑むほど綺麗だった。
白い髪と肌に、黒い翼、青から紫に変わる瞳。彼はあきらかに自分たちとは違う。
幼くとも狼女であるほのみは、本能で分かる。同じ妖怪でも、感じる妖力の強さが段違いだ。彼が隠された翼を――その本性を――出しただけで、圧倒的な力の差を肌で感じた。
――こわい。
無意識に後ずさってしまった。妖怪の、狼としての本能で。
得体の知れない少年を前にして、震えが止まらない。
もう今すぐでも、尻尾を巻いて逃げだしたい。だけど。
「いって、くる」
その言葉に、ほのみははっと我に返った。
リュカがふいと顔を背け、縁側に向かおうとする。
その姿を見たほのみの脳裏に、ある記憶が一瞬にして蘇った。
(ちょっと行ってくる)
そう言って、家を後にした兄の、最後に見た笑顔と、最後に聴いた声。去っていく背中。大兄ちゃんも強かったとヴァヴは言っていた。でも。
「待ってよ! 行かないで!」
大声を出し、リュカの手を掴んだほのみを、彼はきょとんとした顔で見た。
さっきまでは得体の知れないモンスターだと感じて、恐れてしまったリュカの手を、しっかりほのみは握った。震える手にぎゅっと力をこめる。
「だめよ! 一人で行かせない!」




