灰澤村の妖怪たち 【2】
「おおーい、誰かいるかーい?」
まるで地鳴りのような、家を揺るがさんばかりの大きな声が響く。
「おーい、次ちゃん、三ちゃん、ほのちゃーん。野菜持ってきたぞー」
「天ぷらいっぱいこさえたから、お食べねえ」
「自家菜園のトマトはいかがかな?」
「ヴァンピールのにいちゃーん、さっきはごめんなー。これ、母ちゃんが持ってけってー」
「あのぉ……おようふく、かえしてくださぁい」
灰澤村の住民は、勝手にどやどやと入ってきて、玄関に『差し入れ』を山積みにしていく。村にやって来た新しい仲間への贈り物だ。
そんな彼らに、家の奥から走ってきた少年が、いきなり怒鳴る。
「おまえら、だれだ!」
「わぁっ」
驚いて飛び上がった小さな女の子が、ぽんと子ダヌキになった。ぽてんと玄関の床の上に転がって、びえええんと泣き出す。
「うわぁぁぁん! おどかさないでよぉ!」
ぶかぶかになった衣服とポシェットを引きずりながら、子ダヌキが手足をばたつかせた。
「ん? ……またタヌキか?」
ほとばしっていた殺気が消える。集まった村人たちの視線を受けながら、リュカは目をしばたたかせた。
「ほおおお、これが留学生かい!」
「服、めっちゃきたねえ!」
「おやまぁ、いけめんじゃないの。ばあちゃんがもう百歳若かったら、ほっとかないよぉ」
「キヌ婆は百歳若くても、まだババアじゃねえか」
「村長、なんだってえ? 腹、かっさばかれたいのかい?」
「おわっ、包丁取り出すなよ! 鬼婆!」
「ねえねえ、皆さん。彼、若いころの私に似てませんか? ね、皆さん。『エデンの東より来た美少年』と呼ばれたころの私に……」
「呼んでねえよ、嘘つきジョージが」
リュカはぽかんとして、好き勝手に盛り上がる大勢の人間たちを見た。いや、人間では無い。たしかここは、全員がモンスターの村だと、ヴァヴが言っていた。
だが、これが、モンスター?
「よわそうだ……」
ぽつりとリュカは呟き、ぐすぐすと泣いている子ダヌキを、ひょいとつまみあげた。
「ぴぎゃぁぁぁ! おにいちゃああん!」
「おい、コラァ! まりやを離せ! たまごだらけ吸血鬼め!」
ジタバタと暴れる子ダヌキを、坊主頭の少年がひったくるように取り戻し、ガンを飛ばす。さっきリュカを見に来ていた子供の一人だ。
「らんぼーはやめてくれよな、白い兄ちゃん! 昨日、うちの車貸してやっただろーが!」
「くるま……あの、でっかくて、かたいモンスターか」
「モンスターじゃねえ! うちの新車だ!」
「あいつは、つよそうだ」
「つえーなんてもんじゃねー! 化けダヌキの死因ナンバーワンが、交通事故なんだぞ!」
胸を張ることでもないが、少年が胸を張る。
「今度は母ちゃんが作ったクッキーも持ってきてやったぜ! 礼をしたけりゃ、そのバッサバサ頭、おれんちで切ってくれよな! 坊主にするなら《バーバー・クリスマスイブ》! おれは跡継ぎの達郎、小二! コイツは妹のまりや、四歳!」
「うわぁぁぁん! はずかしいよぉぉお!」
言いきった! という顔の少年の腕の中で、妹タヌキが手で顔を覆う。周囲の村人たちがパチパチと拍手をする。
「タツ坊、立派なせがれになったな……」
「まったくエクセレントです。露骨過ぎる宣伝に、押し付けがましさも忘れない」
首に巻いたタオルで感動の涙を拭う村長の横で、襟と袖をフリルでビラビラとさせた中年が気障っぽく肩を竦める。
「なんだこいつら」
和気あいあいとしたノリにリュカが首を傾げていると、三太が顔を出した。
「おー、みんなありがとな。お、キヌ婆の天ぷらじゃん。そうめん食いてえな。おい、リュカ。そうめんの天ぷらのっけは最高にうめーぞ」
「てんぷら?」
「そうそう。美味いモンの上に美味いモンをのせるとな、すげーうめーんだよ」
「うめーのか……」
三太の手のひらが、達郎にボサボサ頭と言われた白髪をわしゃわしゃと撫でた。
「怖い連中じゃねーから大丈夫だよ。みんなうちの村の仲間で、お前の仲間だ」
「オレの、なかま?」
「そうそう」
髪の色は違うが、三太の面差しや優しい話し方は創と似ている。次武もそうだ。だからリュカは彼らのことは好きだ。リュカは素直にこくんと頷いた。
「わかった。じゃあ、ころさない」
「ヒィィ」
物騒なことを平然と言い放つリュカに、怯えた声が上がった。
「なあ、三兄ちゃん、服返してくれよー!」
「おう、タツ坊。車、サンキュな。服は泥付いてたから、次兄が洗濯機に放り込んじまったよ。後で返しに行くから。つーか勝手に脱ぎ散らかしといて、返せとはなんだ」
「マジでびっくりしたんだよー。ジョージみたいに弱っちいのかと思ったら、その兄ちゃんすげえとぶんだもん。スパイディじゃねーんだからさぁ」
「わーった、わーった」
「すまんなー、三ちゃん。みんなでどやどやと押しかけて。差し入れだけでもと思ってよぉ」
「あー、村長。悪いね。あんがと」
三太が短い金髪を掻きながら答えると、大柄の老人はリュカのほうを向くと、皴だらけの顔を歪め、にかっと笑った。
「留学生くんは元気そーだな。長旅ごくろーさん。俺はこの村の村長だ。村長と呼んでくれ」
身長二メートル以上はある大柄な老人をリュカは顔をしかめながら見上げる。
「そんちょー……? しわしわの、へんなようかいだ」
「や、皺は年寄りだからよ……」
「リュカ。このへんな妖怪たちが、村の皆だ。挨拶出来るか?」
三太が促すと、リュカは頷き、自己紹介をした。
「オレ、リュカオン。せかいいちのいけめんだ」
堂々とした自己紹介に、おおっ! と村人たちが拍手をした。
「この兄ちゃん自分でイケメンつったぞ! しかも世界一!」
「いやぁ、婆ちゃんが若けりゃねぇ……」
「ほう、ヴァンパイアでありながら《狼の王》とは。中々ユニークなネーミングですね」
白いシャツとステテコ姿の老人ばかりの中で、一人だけフリルだらけの服を着て、気障を絵に描いたような紳士風の男が、一歩前に進み出す。ウェーブのかかった銀髪を長く伸ばし、わざと胸の前に垂らして緩く結んでいる。
「オレのなまえ、ハジメがつけた」
「ほほう、黒狼伯が!」
「誰だよそれは」
大げさなリアクションをする男に、すかさず三太が突っ込む。男はリュカに向かってやはり大げさに両手を広げ、それから片手だけを胸に当てると、うやうやしく頭を下げた。
「おお、リュカオン。美しいヴァンピールの少年よ、私こそがこの灰澤村のヴァンパイアの始祖ヘレンの息子、ジョージ伯爵です」
「誰が伯爵だ。さっき『ヒィ』とか言ってたくせに。リュカ、コイツは嘘つきジョージつってな、嘘しかつかねえ妖怪だから気をつけな」
「いえ、三太くん、さすがに嘘しかつかないということは……」
「リュカでいいぞ、ヒラヒラようかい」
「いえ、ヒラヒラ妖怪ではなく、私もヴァンパイアで……」
「よろしくな、リュカ。また今度、ぱーっと歓迎会をやろうな」
村長がジョージを押しのけつつ、三太に向かって言った。
「で、どうだい? 三ちゃん。大兄の具合は」
「ま、元気だよ。ちっと喋れねえけど。お陰さまで、綺麗な嫁さん連れて帰って来たよ」
「おやまあ、創ちゃん、結婚したのかい。早く言ってくれれば、街で鯛を買って、腹かっさばいて、刺身にしてきてやったのにねえ」
「でも兄ちゃんっていまオオカミじゃん」
「愛し合う恋人たちを引き裂く悲劇……さながらギリシャ神話のようですね」
「あ、そうだ。なあ、村長。メシ食ったら納屋を片付けるんだけど、手伝ってくれよ」
「おー、任せろ。ま、どいつもこいつも勝手に集まって来るだろうけどよ」
「頼むわ。余ってる畳とか欲しいな」
「分かった。他にも欲しいモンあったら言えよ。リュカ坊も、自然と年寄りとタヌキがいっぱいのどかな村だが、のんびりは出来るからよ。新学期まで、ゆっくり羽伸ばしな」
「はね、だしたほうが、いいか?」
村長の言葉に、リュカが首を傾げた。その頭を、三太がぽんぽんと撫でる。
「楽しくやってろってことだよ」
「そういうこった。じゃー、帰るぜ、三ちゃん」
「散髪来いよな!」
「ぐすっ、ぐすっ、おようふく、おねがい……」
「今度はばあちゃん、鯛持って来るからねえ」
「それではさようなら、我が眷属の少年よ……」
来たときと同じようにどやどやと去って行く彼らに、リュカは呆気に取られていた。
「いまの……ぜんぶ……タヌキか?」
「いや、違うのもいる」
「――そうだよぉ~」
家中を包むような大きな声とともに、出て行ったばかりの村長が、ぬっと玄関に顔を出す。
「うわぁ!」
皺だらけの巨大な顔が、玄関いっぱいにニヤニヤと広がっている。初めて見る妖怪にリュカはすぐに身を屈め、攻撃態勢を取る。
「おまえ、ストリゴイかっ!」
少年の緊迫した様子とは対照的に、巨顔の妖怪の後ろで、どっと笑いが起こる。
「あー、リュカ、違うぞ」
三太が指でリュカの肩をトントンと叩き、奇妙な妖怪を顎で指し示す。
「あれは大入道っつってな、ただのデカいオッサンだ」
「ただのでかいおっさん……?」
「そう。ただのデカいオッサン」
「つよいのか?」
「いや、デカいだけ」
「そうだよぉ~……っと」
するするする、と村長の顔は元のサイズに戻っていき、愉快そうにゲラゲラと笑った。
「いや~久々に、いい驚きっぷりだったぜ。ま、俺たちゃ驚かせるってことにかけちゃ、外国モンにも負けてねえからよ」
「ほんと日本妖怪は、愉快ですよねぇ。ただデカいだけとか、ただ小豆洗ってるだけとか。西洋モンスターは残虐なものが多くて恐ろしいですからね、本当にこの村に来て良かったですよ。……あ、でも、キヌ婆は怖いです。鬼婆って人間さばいて、煮込んで食べるんですよね?」
「そうかい。……お前さんも腹ぁ、かっさばいてやろうか!」
「うわぁぁぁぁん! こわいよぉぉ!」
優しそうだった老婆の顔がクワッと恐ろしい形相に変わり、驚いた少女がまたポンとタヌキの姿になる。
「はぁ~いい驚きっぷり見たし帰ろ帰ろ」
「キヌ婆やっぱこえー」
「ちょっとちびりかけました……」
来た時と同じようにわいわいがやがやと騒がしく帰って行く。
きょとんとしているリュカの肩をぽんぽんと叩き、三太が笑って言った。
「ああいうのが、日本の妖怪だ。怖くねーだろ?」




